つよいひと
「随分と手慣れましたね。完璧な手際でした」
「ありがとうございます。リドルフ執事長」
お湯が沸いてしまえば他愛のない話も終わる。彼との会話はまた次の機会にするとしよう。目的であったナナキの給仕の様を見せつけることには成功した。これでナナキへの認識を改めて頂けたのなら嬉しい。フフ、厨房までもう少し、数歩と言ったところかな。
「それでは失礼致します」
「はい、よろしくお願いしますね」
誇りに懸けて。
準備を全て済ませてティーワゴンをゆっくりと押していく。速さは必要な時だけで良いのだ。ナナキは今や大貴族とも呼べるアルフレイド家のメイドだ。誇り高き主人に見合う品格を身に着ける必要がある。メイドの失態は主の恥、メイドの極意である。
良き主に相応しい、良き従者で在れナナキ。
何度だって自分に言い聞かせる。現状で満足することは許さない。まだ行ける、まだ学べる。何せナナキは敬愛なるお母様の娘なのだから。特別であるのだから。
誓いを胸に刻んで進む。肯定した世界で過ごすこの日々の中でナナキは成長していく。いつか、お母様のような素敵な女性になれるだろうか。素敵な母親になれるだろうか。ナナキは理想を知っている。だからこうして理想を追う、いつまでもいつまでも。その背中に届く日まで。
「……今日も蒼空ですよ、お母様」
窓から覗く蒼穹にご報告。日差しが差し込む廊下を進みながら母を想った。本当に報告をしたいことは次の休日まで取っておく。休暇の申請は通り、もう少しすれば休日を頂ける。その日に会いに行くのだ。あの森で眠っているお母様に。
報告したいことが山ほどある。何から話そうか、今のうちにまとめておかないと一日を使ってしまうかもしれない。悲しみを越えて、前を向いて、多くの出会いがあって。だからこそのこの久闊。きっとお母様はお喜びになると思うのだ。
きっと褒めてもらえる。だからその日を楽しみにしよう。
想いを馳せて、御二人の待つ中庭へ。屋敷から外に出ると照り付ける日差しと焼けた空気に襲われる。もうすぐ夏が終わる、その筈なのだけど太陽は今日も頑張っている。その意気や良し、ナナキも負けてはいられない。
天道のナナキスマイル。世界の皆さま、ナナキです。
天道を征く。サンシャインナナキ。
「お待たせ致しました」
からのメイドナナキ。エレガントな所作で任務を遂行。パラソルの下で談笑を楽しんでいた主とシエル様にお茶をお出しする。その後は静かにその場で控えた。
「ではアルカーンとの和解を?」
「和解というか、協力関係になったというか」
他愛のない話を聞きながら、伝う汗を拭った。この強い日差しの中で、それもロングスカートのクラッシックなメイド服を着ていれば汗も出る。暑さへの耐性が高いナナキもこれには少しばかり参ってしまう。後でシャワーを浴びよう。汗だくは女性としては許されない。
筈なのだけど。
「それではお仕事の方は順調なのですね、さすがゼアン様です」
「あ、ああ。それよりもその……大丈夫か?」
「ええ、私は大丈夫ですよ?」
滝のように汗を流すシエル様を見て、主も心配をし始めた。肥満体形であるシエル様にとってこの夏の暑さは天敵、であればお話は室内の方が良い筈。それでも屋外を選んだのは何か理由あってのことだろう。その真意はナナキにはわからないけど、一つだけわかることがある。
「主、続きは屋内でされてはいかがですか」
それは、ナナキが口を出さないといけない状況であるということ。本来であれば主とその婚約者の談笑に口を挟むことは慎むべきだ。しかしシエル様には軽い脱水症状が兆候が見られる。まだ慌てるような状態ではないけれど、大事に至る前に手は打たなければならない。
「お、お待ちください……私は、大丈夫ですから……」
「しかし――――」
瞳が合った。それは明確に告げていた、邪魔をするなと。
「今日はゼアン様に御話があって参りました……その、誰にも聞かれたくなかったものですから……」
「……だから外にしたのか。ナナ」
「かしこまりました」
一礼をしてその場を離れた。どのような話をするのかは容易に想像が付く。それを邪魔するような真似はしない。必要ない。恋敵ではあるけれど、彼女のその美しい心にナナキは惹かれていた。だからこそ、この一度限りの言葉を貴女に送ろう。そう、この一度限りだよ。
「――――ご武運を」
◇
それから数分後、主に呼ばれてその場へと戻った。
ぐったりと椅子に寄りかかっているシエル様の表情はよろしくない。意識も朦朧としているようだった。この熱気に極度の緊張が合わさって悪化した様子。すぐに近寄ってシエル様を持ち上げる。ヌルヌルとした汗にまみれるけれど、汚いとは思わなかった。
意識のはっきりしない彼女を見て思う。こうも必死で在れる女性は格好良い。長い時を掛けて育ててきたその想いを彼女は伝えることができたのだろうか。言葉にしてみれば数分でしかない彼女の想い、それでもナナキはそれが本物で在ったと知っているから。ナナキは良い恋敵を得た。
確認がしたかった。だから主の顔を見た。
「婚約破棄されたよ。ちゃんと選べってさ」
いつもの無表情。ほんの少しだけ困ったような表情を浮かべてはいるけれど、それは取り繕っているものでしかない。悲しんでいるのでも、喜んでいるのでもない。ただ、婚約が破棄された事実だけを見ているように思えた。少しだけ、その蒼星石の瞳が怖くなった。
「……シエル様をお運びします」
「――――なあ、ナナキ」
振り返ってみれば、主は私を見ていた。
「選べってことは少なくとももう一人以上の候補がいるってことだよな」
それはシエル様の出した言葉で、ナナキの出した言葉ではない。ただ何となく聞いた、そんな風には見えなかった。彼は何かを確信しているかのように、ナナキに尋ねている。そんな気がするのだ。
「……誰なんだろうな、それ」
ここで明かせばナナキは勝つのだろうか。それなら答えは一つしかない。
「存じません」
――――要らないよ、こんなチャンスは。
ナナキにもようやくわかった。欲しいだけじゃダメなんだってこと。今ここで主に想いを伝えても、ナナキは自分を誇れない。ちゃんと正面から向き合って、堂々とナナキは手に入れる。シエル様は知っていたのだろう。一番大事なのは、どうやって手に入れたかということなのを。
見縊るな。ナナキは負けない、だからこんなものは要らない。こんなものがなくたってナナキは勝ってみせる。そうでなければナナキは自分を誇ることができないから。私たちの戦いは、黙っていれば結婚できた婚約者という立場を捨てて決闘に臨んだ彼女に相応しい決着でなければならない。
「失礼致します」
それになんだか、今の主はナナキの好きな主とは違ったように見えた。
どれだけの巨体でもナナキの身体能力と魔法に掛かれば問題なし。とりあえずはナナキの部屋まで運んで休ませた。緊急事態ともいえるので従者の部屋でも我慢して頂きたい。シエル様を寝かせたらすぐに厨房から氷を持ってきてシエル様の額に乗せる。その次はタオルで汗を拭いていく。
彼女は恋敵だ。
だからこそ、ナナキとの決着を前に死ぬことは許さない。死ぬならナナキに負けてからにして頂く。彼女の美しい心を知っているから、認めているから。だから、ナナキだって女性として貴女に勝ちたい。貴女がそう思うように、ナナキだって勝ちたいんだ。
美しいものには、誇り高きものには、称賛を。
「格好良かったですよ、シエル様」




