そもそも泳いだことがない
「……何か雰囲気が変わったか?」
とか。
「なんだか少しだけ変わったわね」
とかとか。
仕えている主やその妹君に雰囲気が変わったと幾度か御指摘を頂いた。その度にナナキはこう返す。
「そんなことはありませんよ、いつもの私です」
とびっきりの笑顔で応答、至福のナナキスマイル。世界の皆さま、ナナキです。夏も盛り、暑い日々が続いております。世界の皆さまはいかがお過ごしでしょうか。ナナキはこの蒼い空の向こうで至福の夢を見ました。それはとても素敵な夢でありました。だから今日もきっと、良い一日なると思うのです。
夏の昼下がり、消えてしまった神様に感謝を捧げた。ありがとう、神様。
ふと、涼やかな鈴の音が駆けた。これは主の鈴、つまりお呼びである。一流のメイドというものは主をお待たせしない。ナナキソナー、進路に感無し。ルート模索、決定。それではナナキが参るった。うん、伝説との戦いでまた速くなったかな。良いことだ。
主の部屋の前に到着。最後にぱぱっと身だしなみを整えてから扉をノッキングナナキ。マナーである。どうだろう友よ、大自然で育った身とは思えないくらいナナキも文明の生活に馴染んできただろう。うん? いや別に今でもネズミは食べれるよ。美味しいよ。
「入れ」
「失礼致します。お呼びでしょうか、我が主」
許可を得て入室、しっかりと一礼も忘れない。ナナキが主のメイドになってそれなりに経つが、だからと言って日々下げるこの頭がおざなりになってしまってはいけない。しっかりと敬意を以て当たらなければいけない。それがナナキの誇りでもあるのだから。
今日も我が主は凛々しい。
「助けてくれナナキ」
やっぱり凛々しくない、撤回。
「助けてくれとはご挨拶ねお兄様。まるで私が無茶なことを言ってお兄様を困らせてるみたいじゃない」
「というわけでな、助けてくれ」
ナナキが助けてほしい。
今日も仲良くご兄妹でお過ごしのところ大変に申し訳ないけれど、御二人には状況を説明する義務があるのではないだろうか。
とりあえず、ミーア様からの何かしらの要求により窮地に陥っていることは理解した。であれば具体的な内容を開示して頂かなければナナキにはどうすることもできない。いや、我が主は聡明な御方。つまり、主には触れ辛い話題の可能性。ならば切り口はナナキが。
さすがナナキ、主を思いやるメイドの鑑。
「いったいどのようなことをお願いされたのですか、ミーア様」
「ただ水着を買いに行くからお兄様もお誘いしただけよ」
ふむり?
「何か不都合なことがあるのでしょうか、主」
ミーア様の言うことに特に不自然なところはない。今日から三日間は本当に久しぶりの主の休日。であればご兄妹御二人で仲良くお買い物をしたいというお兄様大好きミーア様の要求は可愛らしいものでは。ぜひナナキもそれを進める。家族とは至高の存在なのだ。
「女性物の水着売り場まで連れていくんだ、この妹は」
「男性の意見は欲しいでしょう。何か変なことを言っているかしら」
「視線が痛いんだ」
「兄妹だとアピールしましょう。恋人でも構わないわよ」
「構うよ」
ナナキも構うよ。あっ、いや、冗談だけど。
ふむふむ、把握した。どちらの言い分も理解できるため、ジャッジが難しい。しかしここのところ忙殺されていた主を思えば、やはり主を優先するべきだろう。何よりナナキは主のメイド、そう、最初から結論は出ていたのだ。
何とかミーア様を説得しなければいけない。主の妹君という御立場である限り、緊急時でもない限りそのお身体に許可なく触ることはできないので無理やり追い出すこともできない。交渉が必要だった。ミーア様を刺激しないように、主の解放を求めるのだ。ネゴシエーターナナキ。
「交渉を致しましょう、ミーア様」
「お断りするわ、ウサギさん」
取り付く島もナナキ。廃業。
◇
炎天下のロイヤル・ストリート、なつがあつい。
結局はナナキの力及ばず、主を御救いすることは適わなかった。不甲斐ないメイドナナキ。
「ゼアン様ー! ミーアさん、ナナさん! フィオさん! こちらですよー!」
大きな身体でぶるぶると手を振ってくれているのはシエル様。揺れるお肉と弾ける玉の汗。炎天下であるとはいえ、このロイヤル・ストリートは贅沢に空調を整える魔法が行使されている。普通であれば十分に涼しいと言える温度なのだけど、シエル様には少し足りないようだ。
聞いた話によれば、アイナ・アイナとの戦いでシエル様を屋敷に招いた際に今回の話が出たのだとか。つまりは明日、湖へ泳ぎに行くのだそうで。この暑い季節にはぴったりな行事になりそうだ。
「やあシエル、今回は誘ってくれてありがとう」
「お気になさらないでくださいゼアン様。私が皆さんと遊泳したいと思ったものですから」
ところで、シエル様に合う水着はあるのだろうか。大変に申し上げにくいのだけど、シエル様の体形は着衣の天敵とも言える体形である。そこそこにある上背に有り余る脂肪。今回のメインは水着ということだけれど、水着ということはやはりそれなりに布の面積が普段より少ないものになる。
つまり――――い、いや、素人のナナキが意見するようなことではない。店員のお姉さまにお任せしよう。決して逃げたのではない。これは店員のお姉さまのお仕事を奪わないようにと、配慮した結果なのである。
「それじゃあ早速向かいましょう」
「ほ、本当に俺も行くのか?」
「当たり前でしょう」
「さあ、ゼアン様。行きましょう」
片や主と同じ髪、同じ瞳を持った美しい少女。片や大きく太く、美しい心を持った女性。正に両手に花、すれ違う人たちは何事かと振り返る。そんな様を従者同士、フィオさんと苦笑い。ナナキはメイドで彼女は騎士だけど、主人を想う心は同等である。
いつまでも笑っていてはいけない、ナナキたちも店内に向かう。
「私たちも向かいましょうか、フィオさん」
「はい、ナナキ様」
「ナナキちゃんと呼んでくれても構いません」
「ご、ご容赦ください」
まだ仲良しと呼べるレベルにはなれないらしい。ナナキちゃん、めげずに頑張ります。
「いらっしゃいませ」
綺麗なお辞儀、満点を差し上げます。お返しにナナキもお辞儀した。どうしてかびっくりされた。初めまして、ナナキです。もしかして給仕服が珍しかったりしたのだろうか。いや、服を売る店でそれはないかな。
「ナナキ様はどのような水着を買うかは決めていらっしゃるのですか?」
「……ほ?」
なんて考えていたら、フィオさんから話しかけてくれた。大きな進歩である。けれど異なことを仰るものだから、うっかり変な声が出てしまった。
「……どうして私が水着を買う必要が?」
「え? ええっと……バカンスですのでナナキ様も泳げると思いますが……」
いえ、ナナキは泳げません。
大自然での生活で身体を洗うためにしか湖には近づかなかった。足が着く深さまでしか行ってはいけないとお母様に厳しく言われたから。水は人間が生きていく上でとても重要なものだけど、同時にとても危険なものでもあるのだと、お母様はナナキにそう言い聞かせた。
人間は陸上の生き物である、従って泳ぐ必要などないのだ。
「いらっしゃいませ、どのようなものをお探しですか?」
固まっていたら店員のお姉さまが飛んできた。売上を伸ばそうと努力するその姿勢は素晴らしいものだと思った。でもどうしよう、やはりナナキも水着を買わなければならないのだろうか。買ったところでナナキは泳げないのだけれど。
「もしサイズがわからないのでしたら、御計りしますよ?」
「サイズ?」
どうしようか迷っていたら、店員のお姉さまがグイグイと攻めてくる。困った、こんなことならもっと自分で服を買って慣れておけば良かった。帝都で暮らしていた頃の服は全てエンビィが買ってきてくれたものだからサイズとかもわからない。
良い機会かもしれない、色々と経験してみようと思う。
「それではお願い致します」
「ではこちらに」
結果、とある部分の数字だけが脳裏に焼き付いた。




