今日よりナナキ
――――拝啓、お母様。
世界は素敵なのだと、お母様は私にそう言い聞かせてくださいました。世界を憎んではならない、世界を肯定できるような人間になりなさいと。
その御言葉を胸に、お母様が居なくなってしまった世界でも私は努力致しました。並々ならぬ努力を致しました。理不尽を糧に、苦境を乗り越え成長を。けれど、それでもまだ足りないようなのです。今の私にはもう道が見えないのです。
「お願いしますナナキ様ッ‼ どうかッ‼ どうか武装を解除してくださいッ‼」
どうか導を、この愚かな娘に導を頂けないでしょうか。
世界を肯定する努力を致しました。世界を肯定できるだけの強さを身に付けました。でもそれは全て勘違いであったのです。信じたものも、己の誇りも、すべて紛い物であったのでしょうか。
「ご、五帝の皆様はまだ来られないのか!? 我々だけでナナキ様を止められる訳がッ……ぐああッ!?」
「五帝の一人であるナナキ様が何故この様な凶行に及んだのですか!? お答えくださいッ‼」
何がいけなかったのでしょう。今の私には何もわからないのです。
お母様はこうも仰いました、ナナキは特別な人間なのだと。だから多くの人の役に立ちなさいと。私も自分は特別なのだと、お母様が亡くなってからしばしの歳月を経て自覚を致しました。ですから、より多くの人々の助けになろうとこの帝都でその力を振るったのです。
民は喜んでくれました。同胞たちは慕ってくれました。
それなのに、何故――――
「外道に堕ちたか、雷帝ナナキ」
何故、仲間であった彼らから剣を向けられるのでしょう。
「私が外道、ですか。剣帝シルヴァ」
「足元を見よ。同胞たちの屍で出来たその道が人の道である筈がなかろう」
「いいえ、これは人の道です、シルヴァ。それぞれが道を進み衝突した結果なのです。彼らはただ、弱かった」
「汚い心だ」
ああ、剣帝シルヴァ、武帝ライコウ、炎帝エンビィ、天帝サリア。共に五帝と称され肩を並べ、背中を預け合った彼らと何故対峙しなければならないのか。
「予言は正しかった。お前はここで逝け、雷帝ナナキ」
もう、彼らの中に私の存在はないのだと。
世界は素敵だと言ったお母様のお言葉を疑ってしまう。私がいったい何をしたというのか。帝都のために尽くし、帝都に仇名す賊を討ち払ってきた。それなのに、それなのに予言などと、そんなあやふやなものの一言で私の世界は変わってしまった。
「油断するなよシルヴァ。子供とはいえ我ら同様に五帝が一人」
「わかっている、たかだか十六のガキに四人がかりとは情けないが……こいつは化物だ」
「なんせ十二歳であの氷帝を決闘で破ってるからね。舐めてかかればこっちがやられるよ」
「エンビィ、あれは決闘ではないわ。あれは虐殺、あの氷帝が成す術もなく当時十二歳の子供に殺されたのよ」
敵意に溢れるこの世界は本当に素敵なものなのでしょうか。私が世界から否定されるのは、私が世界を肯定できていないからなのでしょうか。ああ、お母様。もう貴女の温もりも微かなものとなってしまいました。思い出せないのです、あの時の幸せが。
もう、十分に努力致しました。
どうかこの不肖の娘をお許しください、お母様。私は元より、愛する母を奪ったこの世界のことが好きではなかったのです。ずっと誤魔化し続け、胸で燻る黒い感情を消せないでいるのです。私はこの世界を愛せない。
失望されたでしょうか。
ですが、もうしばらくだけ、私をお母様の娘で居させてほしいのです。どうか、あと一度だけ。私の力でも届かないその場所から、醜く足掻く娘を、ナナキを見守っていてください。
「ああ、世界よ――――さようなら」
私は彼らと同じ世界を愛せない。だから変えよう、自分の世界を変えよう。今必要だったのは別れなのだとようやく気付くことができた。さようなら、好きになりたかった世界。どうやら嫌われているようだから私は行くよ、愛せる世界を探しに。
「おいで――――”イルヴェング=ナズグル“」
一緒に別れを歌おう。そして祝ってほしい、愚かなナナキを。
「ナナキイイイィィィ――――ッ‼」
シルヴァの怒号が聞こえた。彼は激昂していた。五帝とまで称される比類なき力で私を討とうと神速とも呼べる速度で私に肉薄し、すべてを断つというその剣を私に振り下ろそうとしている。私は帝都を想う彼の優しい強さが好きだった。でも、お別れをしないといけない。
「ぐッ!? 間に合わなかったかッ‼」
「下がってシルヴァッ‼」
「帝都の中心で神を降ろすなんて……‼ なんてことを……」
「武装顕現じゃないぞ……本体を呼びやがったッ‼」
神話の雷、イルヴェング=ナズグル。漆黒の雷神は優しく私を包んでくれた。そうだね、あの日も君は慰めてくれた。君を倒してしまった私なのに。
「これが……神話の雷……ッ!?」
「神界戦争時代に百の神を殺した怪物だ、全員で降ろすしかないッ‼」
「こんな怪物を単騎で討ったというの……ナナキは……」
「そうしなきゃ契約は結べないでしょ。これが全力か……ったく、実力隠してたなこの子」
ただ本気を出せる相手がいなかったというだけの話だ。だって、五帝の皆は仲間だったから。でも今はもう互いに戦うしかない状況になってしまっている。この四人は本当に強い、だから私も探しにいくために全力を出さないといけない。
「行こう、イルヴェング=ナズグル」
◇
前略、お母様。
ナナキは旅に出ます。どうか祈っては頂けないでしょうか、この不肖の娘のために。ナナキも見てみたいのです、お母様の仰った素敵な世界を。力及ばず、私はお母様の愛した世界を肯定することはできなかったのです。だから、探しに行ってまいります。
「今までお世話になりました、シルヴァ」
「……化物……め……」
「陛下や皆さまにもお伝えください、どうかご自愛くださいますように、と」
「追いかけてくるなという脅しだろうが……」
「本心です」
帝国騎士の外套はシルヴァにそっと掛けてお返しした。これで私はもう、ただのナナキとなった。ふと見上げた空を、蒼い鳥が誘うように飛んでいく。幸せは西にあるのかもしれない。
今日より世界は生まれ変わる。
いいや、生まれ変わったのはきっとナナキだ。
ならばこそ、愛せなかった世界の皆さまも、愛したい世界の皆さまも、そこにいる貴方も、そこにいる貴女も、どこか遠いところから私を見ている皆々様も、どうか拍手を。
そして共に祝って頂きたい。
「――――ハッピーバースデイ、ナナキ」