優しい弱さ
――――これは呪いだ。
きっと、お母様の愛した世界を否定したことへの報いなのだろう。ナナキはあの世界を肯定することができなかった。そしてたどり着いたこの道でも、呪いは追ってくる。どこまでも、どこまでも追ってくるのだろう。終わらせない限り、ナナキが生きている限り。
剣帝シルヴァ、武帝ライコウ、天帝サリア、そして炎帝エンビィ。
その誇りの高さ故に、それはナナキへ呪いとして降りかかる。なら振り払わなければいけない。何を犠牲にしてでも、ナナキは生きていかなきゃいけない。誇りとは善悪ではない。誇りの証明とは、自分を誇ることができるのか。自分を認めることができるのか。
ナナキはナナキを肯定する。
曲げられないものがある。通さなければならないものがある。約束がある。生きなければいけない理由がある。あの世界も、そしてこの世界でもナナキは世界から否定されるのだとしても。ナナキだけはナナキを肯定しなければいけない。
だって、悲しすぎる。
お母様と約束したことも、教わった誇りも、生きるための強さも。その全てを否定されて、ただ予言に殺されるためだけにナナキは生まれてきたのか。お母様から頂いたこの命は、この名は、この誇りは、そんなことのために生まれてきたものなのか。
否だ。それを認めることはできない。
この強さは何のために身に着けたものだ。母がその命を削ってまでナナキを強くしたのは何のためだ。
――――撃ち破るためだ。
運命だろうと、世界だろうと、困難だろうと、そして予言だろうと。その全てを撃ち破り、ナナキが生きていくための力だ。ああ、そうか。ナナキはまだ迷っていたんだ。だってその世界は、お母様が愛した世界だったから。
さようなら、お母様の愛した世界。
世界はナナキに剣を向けた。ならばナナキもそれに応えよう。そう、その世界は今、ナナキの敵と相成った。容赦はしない、情けもかけない。心せよ、ナナキの敵よ。このナナキの命を欲するのであればその世界のすべてを失う覚悟で来い。
先に剣を向けたのはそちらだ、ならば相応の覚悟をせよ。例え予言の結末を辿ることになろうとも、後悔だけはしてくれるな。ナナキは離れた、それでも追いかけてきたのは貴方たちだ。
「――――がッ!?」
そうだ、だからもう、貴女も敵なんだ。エンビィ。
「あーあー……最初で最後の隙でも通らないか。完全にスイッチ入ってら……」
降りかかる火の粉は払う。道を塞ぐ者がそこを譲らないのであれば切り払う。大恩のある姉であろうが、予言を止めるための正義であろうが、ナナキには関係のない話だ。重要なのは一つ、その全てはナナキの敵だ。それは要らない。ナナキの肯定した世界には要らないものだ。
消えてなくなると良い。
武装顕現――――”全能の雷騎“。
今一度、ナナキの強さを披露しよう。震えて竦んでくれるのなら上々だ、このナナキの前には立つな。だが誇りを持ってナナキの前に立つというのなら止めはしない。安心してほしい、このナナキが介錯仕る。誇りを抱いたまま逝くと良い。
「さあ、始めましょうか――――エンビィ」
「本当に、悲しい強さだよそれは」
◇
次から次へと襲い掛かる紅蓮の炎は終わった時代の名残を灰へと変えていく。けれどその炎がこのナナキに届くことはない。迫りくる剣も、全てを灰へと還す炎も、その全てが遅すぎる。思い上がりも甚だしい。雷を捉えることができるとでも思うのか。
「ハイエント=ヘリオスッ‼」
世界が炎に包まれる。
狙うのならば致命だろうエンビィ。酸欠などこのナナキには通用しない。絡め手でこのナナキを討てると思うのか。後手に回ればもう貴女には機会がないぞ。その誇りを貫き通すというのであれば、全力で攻めて来い。このナナキの様に。
「――――友よ」
生まれた雷は全てを灰にする業火を掻き消して辺りに稲妻を奔らせる。その力の一部を武装として顕現しているこの鎧にはイルヴェング=ナズグルの意志が宿っている。人神一体、ナナキは一人で戦っているのではない。
他の五帝のように、神を道具として扱ったことなど一度もない。心を通わせる私たちに、神を道具として扱っているだけの貴女が勝てる道理はない。
「降ろさないのですか、エンビィ」
この状況を打破せんとするのならば、ハイエント=ヘリオスを顕現させるしかない。ここには誰もいない、誰もこない。そう言ったのは貴女だエンビィ。さあ、呼ぶがいい。
ナナキはその全てを撃滅しよう。
「わかっちゃいたけどね、ちょっとこれはデタラメだな……」
煤にまみれた顔を拭いながらエンビィは零した。その身に纏う鎧には痛々しい傷跡が幾つも窺える。このナナキに近接戦を挑むこと自体が間違っている。人が雷の前にその身を晒せばどうなるか、子供でもわかることだ。だけど、それでも貴女は来るのだろう。
誇り高き炎帝よ、せめてもの手向けを送ろう。
「――――万象を焦がせ。顕現せよ、黄金の大火ハイエント=ヘリオスッ‼」
「――――あの日の誓いをここへ、共に行こう。神話の雷イルヴェング=ナズグル」
今ここに、二つの神が降り立った。
黄金の炎を纏った女神はその熱ですべてを灰へ。否、その熱は雷を纏う漆黒の騎神には届かない。炎の神と雷の神。その二つはこの世界に顕現するだけで途方もないエネルギーを辺りへとまき散らす。地面は砕け、廃墟は溶け、雷が天を荒らす。
「炎帝の名の下に、帝都に仇名す敵を討つッ‼ 灼熱の一撃を以て、これを終幕とするッ‼」
それは地上の太陽だった。
エンビィの持つその剣の輝きは人間の目を焼き、全てを溶かす。このイルヴェング=ナズグルの鎧を以てしてもその熱を防ぎきることができない。その一撃の命中は死を意味する。全力中の全力、これを防ぎきることは適わない。
猶予はない。決着の時は来た。
「――――太陽の剣」
太陽の剣は巨大な光の柱となって天へと延びていく。なるほど、これは速いだけでは避けきれない。これは炎帝エンビィを示す、誇りの一撃。なんて美しい光なんだろう。こんなにも美しいものがあったのに、それでもナナキはその世界を肯定することができなかった。
これに応えよう、友よ。
刻め世界よ、ナナキの力を。そしてこれから先、何度でも思い出せば良い。ナナキと戦うというその意味を。この傷跡を受け、それでもなお向かってくるというのなら、その全てを撃滅しよう。奪わなければ、終わらないのだから。
今ここに、神話の雷を。
――――――――”崩雷“。
「――――――――ッッッ‼」
見上げる空のその全てから降り注ぐ神話の雷。この万雷はこの戦場の全てを消し飛ばす。エンビィの剣はもう目の前まで来ていた。決死の覚悟で相討ちを狙ったのだろう。でもエンビィ、ナナキは一人ではない。エンビィとは違うんだ。
「なッ……!?」
イルヴェング=ナズグルがその身でナナキを庇う。いくら友でもその一撃を防ぐことはできない、だけど一瞬で良いのだ。一瞬でもその剣を止めてくれたのなら、降り注ぐ雷が全てを終わらせてくれる。ありがとう友よ、本当に君は優しいね。
「――――――――」
終幕はいつだって呆気ない。降り注ぐ全ての雷はエンビィの身体を貫いた。それでも最後の抵抗に、ナナキたちがして見せたようにハイエント=ヘリオスを盾にして絶命だけは逃れたようだった。でも変わらない。たとえ生き残っても、もうナナキと戦える力はないだろう。
――――終わらせよう。
もう満足に身体も動かせない彼女の下へと歩く。
『だから千の次は万、万の次は億だってば。頭悪いなあもう』
ナナキは強い。
『これが帝都のお金。これがないと何も買えないの。こら投げんなッ!』
そうでないと生き残れないから。
『ほら綺麗だろ? 桜って言うんだよ。もう帝都にしかない木だ』
それは約束だから。
『――――おいで、ナナキ』
頬を何かが伝った。
これは強者であるナナキが零していいものじゃない。それでも、視界が滲むのは止まらなかった。ナナキは否定した、ナナキが否定した。別れるために、奪うために戦ったのはナナキだ。卑怯だ、この涙は卑怯者が流すものだ。誇り高いナナキが流していいものじゃない。
それなのに、その筈なのに。
止まらない。止まらない止まらない。過ごしてきた日々が脳裏から離れない。思い出がこの心を抉る。痛い、痛い痛い痛いイタイイタイイタイッ――――痛いよエンビィ。
「……泣……くなよ……ナナキ……」
奪うことでしか終わらないのなら。断ち切るために終わらせるには。この剣をエンビィに振り下ろさなきゃいけない。呪いなのだから、それを終わらせるのだから。だから、だからナナキは振り下ろす。
ああ、お母様。どうか、今だけはどうか。
――――弱く在ってもいいですか。
「……じゃあね、ナナキ」
「――――――――ァアアアアアアアアッ‼」