悲しい強さ
いつか来るこの日に再会するのが、貴女でなければと思っていた。
生を受けて以来、お母様とナナキに寄り添ってくれるこの友を除けば一番の長い時間を過ごした貴女でなければと。五帝の皆さまには感謝している。各々が持つその誇りを尊敬している。だけどエンビィ、貴女は、貴女だけは来てほしくはなかった。
その存在はこの世界において強すぎる。どこに居るのかも、呼んでいるのだということもわかってしまう。やはり貴女は高潔だ、エンビィ。帝都を離れたこのナナキの周りを案じてくれるのですね。主を背にして戦えばナナキは成す術もなかっただろう。感謝を。
エンビィ、ナナキは覚えています。
初めて出会った日を。五帝となった日を。皇帝陛下にお会いした日を。共に戦った日を。一緒に笑った日を。喧嘩した日を。そして帝都で一緒に見たあの花を。それでも、ナナキはその世界を肯定することはできなかった。
ナナキが肯定したのは今ここに在る世界。エンビィ、貴女にはナナキが見て、肯定した世界を伝えたい。でもそれはきっともう適わないのだろう。それはあの日に断たれた、ナナキが断った。だからもう戦うしかない。互いの誇りのために。
「……約束だったな」
我が主は聡明な御方だ。ナナキの表情と先の一言で悟って頂けた。今とあの時では状況が違う。ここは帝都ではない。恐らくエンビィはその力を存分に振るうのだろう。五帝同士が本気でぶつかり合えば、フレイラインなど数分もせずに消し飛ぶだろう。
ただ、ナナキもまたあの時とは違う。主と約束をした。この日が来れば見捨てろと、ナナキはそう言った。だけどあの日の私たちは仮初の関係だった。その中に信はまだなかった。けれど今は違う。
――――私はここに戻ってくる。
「まだまだ手放すつもりはないぞ。行ってこい」
笑ってしまう。まるで心の中を覗かれた気分だ。ありがとうございます、良き主。ナナキはまだここに居たいと、そう願い出るつもりだったのに。それを主に言わせてしまうとは、やはりナナキは良い従者とは言えない。償うには戻ってこなければならない。
ナナキの認めた、主が居るこの場所に。
許可だけ頂ければそれで良いのだ、返事は必要ない。それは主の信頼を疑うことになる。ナナキがすべきことは誇り高き主に感謝と敬意を込めて頭を下げることだ。でも心の中だけで告げるのなら、許されるのだろうか。
必ず戻って参ります、御身の下へ。
行こう友よ――――今宵は死闘となる。
◇
最初の言葉は何が良いだろうか。
謝罪は違う。これまでの感謝も違う。誇りを語るのでもなく、敵意を向けるのでもなく。多分、これには正解なんてものはないのだと思う。ならせめて、報告をしよう。
「良き出会いがありました。エンビィ」
「――――ハハ。そりゃよかった。心配はしてたんだよ」
少しの間をおいて彼女は笑ってくれた。それはナナキに何度も見せてくれた笑顔と同じものだった。炎とは燃やすだけではない。人に温もりをくれるものだ。けれど彼女は五帝が一人、炎帝エンビィ。帝都に仇名す全てをその業火をもって等しく灰へと変える。
「多分さ、これは私じゃないとダメだと思ったんだ。シルヴァやライコウは論外。サリアだってマシではあるけど、ダメなんだ。一番初めに再会するのは、多分私じゃなきゃダメなんだ」
木に寄りかかりながら語るエンビィの邪魔をしようとは思わなかった。ただ彼女の言葉を聞いていよう。これはきっと、私たちの最後の思い出になるのだろうから。きっとこの先にあるのは、どちらかが居ない未来なのだろうから。
「言いたいことがあったんだよ。たくさんね」
エンビィも同じ想いを持ってくれているのかもしれない。ただ茜の空を見上げながら彼女は喋る。
「可愛かったんだ。妹みたいに想ってた。本当、バカな子だけど子供のくせに誰にも負けない強さがあって、そのせいで空回って、どでかい迷惑を掛けられた。でもそんなバカの面倒を見るのが好きだったんだよ。今回のこともそうだ。色々下手なんだよ、ナナキは」
上げて落とすな。
「ナナキはさ、心が強すぎるんだよ。向き合わなくてもいいことにまで向き合うことはないだろ。わざわざ正面から出ていく必要なんてなかった。こっそり居なくなってくれたなら、寂しいだけで済んだんだよ。でも、やっぱりナナキはナナキだった。強引すぎるよ」
そう、ナナキは強者だ。そうで在れと、そうで在らなければと。強くならなければ生き残れない。あれだけの強さを持っていたお母様ですら、この世界の運命に屈してその命を失ったのだから。ナナキは生き残る。それは、あの最後の日に母と誓った約束の一つだ。
たとえ、大恩のある姉にこの剣を向けることになろうとも、ナナキは生きる。
そしてエンビィ、貴女もそれは同じの筈だ。
「私は五帝だ。五帝が一人、炎帝エンビィ。ナナキがそうであるように、私にも守らなきゃいけないもんがある。どんだけ可愛いと思ってても、どんだけ殺したくないと願っても、私はあんたを殺さなきゃいけない。それは五帝が背負わなければいけない責任なんだよ」
互いに譲れないものがある。それだけで十分です、エンビィ。
互いの誇りの優劣を決定付ける方法は極めて原始的なものでいい。より強い者が生き残るのはこの世界の定めなのだから。でも、だからこそそこで手段を選んではいけなかった。高潔であったから、誇り高い貴女だから――――一人で来てしまった。
何故連れてこなかったのですか。
シルヴァを、ライコウを、サリアを。それはダメだよエンビィ。貴女はナナキを知っているのに。
「これは呪いだよ、ナナキ。わかってるよね」
それは優しい言葉だった。終わらせなければいつまでも続く呪いを背負ったのだと、彼女は警告している。今を望むのであれば、終わらせなければいけない。それはもう避けられない。だから彼女は言っているのだろう。これは呪いだと。断ち切れと。
ありがとう、ナナキの心の姉よ。
今度こそお別れをしよう。
「場所を変えよう、ナナキ。おいで」
決着の場はこの人里離れた山奥ではなかった。人知を超えた力を持つ私たちであるからこそ、その場所への到着は一瞬だった。
舞台は、果てだった。
「終わった時代の果てだ。ここなら誰もいない。誰もこない」
人が科学と共にあった時代の成れの果て。大昔に建てられた巨大な建造物たちの半分は崩れ、朽ちた。かつては自由を謳ったと言われている女神も今では誰にも崇められることのない置物となっている。終わった時代。人が終わらせた時代。
「昔話をしよう、ナナキ。この場所はかつての世界で一番の力を持った国だった。でもたった一人の人間がこの時代を終わらせてしまった。それは予言だったらしいよ。……そして今になって、また同じ予言が出てしまった。もうこの世界にはね……次を耐えられる力は残ってないんだよ」
神界戦争の始まり。それはたった一人の人間によってもたらされた悪夢。全部、エンビィが教えてくれたことだった。
「だから、始まったこの場所で終わらせよう――――来い、”ハイエント=ヘリオス“」
黄金の大火ハイエント=ヘリオス。エンビィが討ち破り、従える業火。その業火はエンビィの身を包み、彼女を炎帝エンビィへと昇華させる。
「武装顕現――――”万象の炎騎“」
文字通り、戦いの火蓋は切られた。
抑えるものがなくなった炎は天まで上り、その業火は大気を揺らす。万をも超えるその業火の前ではあらゆるものが灰へと還る。紅蓮の騎士甲冑に巨大な炎の剣。ナナキの前に、炎帝エンビィは降臨した。降臨してしまった。
「ナナキは強いよ。それはわかってる。きっと私が相手でも躊躇わない。いや、多分誰であろうとも躊躇わないんだと思う。だけどさナナキ」
そう、ナナキは強い。もう避けられない。
「その強さは悲しすぎるよ」
一緒に別れを謳おう、イルヴェング=ナズグル。もう会えなくなるのだから。もう一緒に笑うことはできないのだから。呪いを断ち切るために、別れの歌を――――
「――――遅いよナナキ」