嘆きの街道
「やはり……! 女子供ではないか!」
果たして、馬車を率いる騎士たちの一人は驚いたような声を上げた。
「君たち、もしルミナの街に向かっているのなら少し道は荒くなるが荒野に迂回しなさい。この先は嘆きの街道と言ってとても治安の悪いところに出る。女子供が通っていいような場所じゃない」
至って真剣な面持ちでナナキたちにそう語る騎士の小父様。
強面なその顔とは裏腹に、どうやら本当にナナキたちの身を案じているらしく、街道を行くのではなく荒野に迂回しろとアドバイスをくれた。
「ご親切にありがとうございます」
波風を立てたくはないのか、エンビィは人当たりの良い笑顔を浮かべながらも少しばかり素っ気のない返事と共に小さく頭を下げた。
ナナキとしては、もう少し愛想を良くしても良いのではないかとも思うのだけれど。ともすれば、ここはナナキがお手本を見せてあげるのが良いだろう。
素っ気なく頭を下げるエンビィに習って頭を下げたあと、ナナキたちの身を案じて下さった優しい騎士様に向かってナナキの素敵な笑顔をプレゼント。
題して、通りすがりのナナキスマイル。世界の皆さま、ナナキです。
「て、天使……?」
ぽつりと零した騎士様に全力を以てイエスと答える所存。如何にも、私こそがこの辛く険しい世界に降臨した一筋の希望の光。大天使ナナキエルである。
「気、気を付けてな」
「ありがとうございます。騎士様たちも、どうぞお気を付けて」
しっかりと頭を下げて、笑顔で騎士様たちにさようなら。
「……なんというか、ナナキのそれは詐欺だね」
What the fuck?
ナナキの素敵な笑顔を詐欺呼ばわりするとは何たる姉だ。事と次第によっては如何にエンビィと言えど粛正せねばならない。具体的には明日の朝も頬をべちんとしてやる。
「それで? どうするナナキ。私は別に荒野に迂回してもいいけど」
「まさか」
くだらないエンビィからの質問には一言で返すことにした。
忠告をして下さった騎士様には申し訳ないけれど、ナナキはさっさとこの任務を終わらせてフレイラインへと帰りたいのだ。ともすれば、目指すのはフリーグラントまでの最短。嘆きの街道をわざわざ迂回するなんてことはありえない。必要もない。
「さっさとそのルミナの街というところまで行きましょう」
「そうだね。ふかふかとまでは言わないからちゃんとした寝具で寝たい……」
そう言ってコキコキと首を動かしながら、エンビィは大きな溜息を吐いた。
◇
「……ここが嘆きの街道」
かくしてたどり着いたその場所を、一言で表すのなら。
「うぐぐ……ふぎぃッ……!!」
死ぬほど臭い。
あちこちから漂ってくる余りの異臭に思わず鼻を押さえてしまう。森で暮らしていたせいか、人よりもずっと鼻の良いナナキにとってこの場所はまるで地獄のような場所だった。それはもう、口ですら呼吸したくない程に。
「ちょ、ちょっと大丈夫?」
「無理ぃぃぃぃ!」
「うわ! こらくっつかない!」
かくなる上はエンビィにくっついて呼吸するしかない。
そうすればエンビィの良い香りで異臭が緩和されて何とか息をすることが出来る。嘆きの街道、よもやこれほどのものとは思いもしなかった。
「は、走ろうエンビィ。これは無理だ」
「あのナナキがここまで弱音を吐くのも珍しいな……」
「無理。息できない。早く」
「わかったわかった。確かにこれは酷いしね」
エンビィの背中に顔を押しつけたまま無様に嘆きの街道を行く。
辺りに漂う異臭は、進めば進むほどにキツいものになり、五分も駆ければそれはもう激臭と呼べるものになった。まったく、今回ばかりは自分の良すぎる鼻が恨めしい。どうしてエンビィは平然と息をすることが出来るのだろう。
「酷いな」
嘆きの街道を駆けながら、ぽつりとエンビィが零した。
その言葉が気になって、息を止めて少しばかり周囲を見回してみれば、すぐにでもその一言の意味がわかる。ボロボロの衣服。痩せこけた身体。伸びに伸びた頭髪に、生気のない濁った瞳。かつては人間だった者たちの、なれの果て。
こんなになってまで、彼は頑なに魔法を使わない。
世代が低ければ低いほど、魔法を使わなければ使わないほど、魔法壊死への耐性はなくなっていく。酷いものであればたったの数十回で魔法壊死を発症する者だっている。ここはきっと、そういう者たちが集まる場所なのだろう。
なるほど。
帝国が、陛下が恐れるわけだ。
つまり、これは帝国が求める理想のための犠牲者たちだ。
彼らの身近にもし、科学があったのなら。もっともっとずっと前に、科学の力があったとしたのなら。それを考えれば帝国は正しく世界の敵、人類の敵となるのだろう。科学だけでは神には抗えないと、魔法の力も必要なのだとわかっていても、人は安直に科学を求めただろう。
逆を言えば、主はこれら全てを救うことになる。
それはもしかすると、彼が思っている以上に大きなものになるかもしれない。
いつか彼は言っていた。
何かを成してその一生を終えたい。
人間らしく、欲張りたい。
だから、手伝ってくれと。
いやまったく、大したものじゃないか。
彼は自分で吐いたその大言の通りに欲張った。帝国を敵に回して、皇帝陛下に条件を出して、果てには国を作ると言う。信じられないほどに欲張りだ。だけど、彼は自分で吐いたその大言から逃げることはなく、性懲りも無く追い求め続けた。そして気が付けば、いつの間にかこんなところまで来ている。
「もしかすると……」
世界を救うのは、私ではなく彼なのかもしれない。
私は彼のために世界を救う、神を殺すつもりだったけれど、その実は逆で、彼が私を使って世界を救っているのかもしれない。だって、これは元々ナナキが持っていた考えではなかったのだから。私はただ、欲しいものを手に入れるためにそれに協力することにしたのだから。
もしそうなら、それは少し格好良いかもしれない。
エンビィは認めないだろうけど。
「ナナキッ!」
そんなことを考えている時だった。
魔法を使わない者たちが集うこの場所で、魔法が飛んできた。
大した威力でもないそれを防ぐことは容易いけれど、避ける方が面倒が少ない。エンビィは右に、私は左に。それぞれ左右に分かれてそれを回避した。
「おやおや、いい動きをするじゃないか。ちょっと加減をし過ぎたかね」
声は一つ。気配は七つ。
私たちの行く道を遮るようにして立っているそれらは、皆一様にして卑しい笑みを浮かべながら私たちを見ていた。
「いけないねえ。女子供が二人だけでこんなところを通っちゃ。襲われたって文句は言えないよ?」
「……アナタも女のようだけど?」
「私はこいつらのボスさね。ついでに言うと、アンタみたいな綺麗な奴をどこぞの変態に売りつけたりもする」
「そうか。ご苦労なことだね」
下衆の頭領と思わしき女とエンビィが会話をしている間、ナナキはどのようにして呼吸をしようかだけを考えていた。もう二分もすればさすがのナナキと言えども息が切れる。しかし、だからと言ってこの地獄のような臭いの空気を吸い込んでしまっては最悪吐いてしまうかもしれない。それだけは絶対に避けたい。
友よ、何か良い案はないだろうか。
出来れば二分以内で。
「随分と余裕があるねえ、お姉さん。もしかして、それなりの腕利きかい?」
「それを聞いてくる時点で話にならないんだけどね」
「言うねえ。気に入ったよ」
「人を売るような奴に気に入られたくはないよ。おばさん」
「偽善だねえ。売られるような弱い奴がいけないのさ。この世に法なんてない。ルールなんて要らないのさ。強い奴だけが好きにできるのが今の世の中だろう? それを止められない雑魚には生きる権利なんてないのさ! 強い奴が正しい! 弱ければ死ぬだけさね!」
おや、下衆の癖になかなか良いことを言う。
強い奴だけが好きにできる?
雑魚に生きる権利はない?
強い奴が正しい?
弱ければ死ぬ?
「は」
気が付けば、笑っていた。
「ンフッ、ンハハハハ!」
全く以てその通りだと思う。
変に取り繕うよりはよっぽど正論だ。ナナキは嫌いじゃないよ。エンビィのような優しい人間には認めがたくても、それは確かなものだとナナキも思う。
だから。
「その言葉、忘れないでくださいね?」
「ああん? なんだい、ガキ?」
下衆の頭領と睨み合う。
珍しくもナナキと似たような考えを持った相手だ。だとすれば、敬意を以て叩き潰してやるのがせめてもの情けというものだろう。彼女の言い分であれば、ここでナナキに殺されたって何も文句はないということなのだから。
ところで友よ、そろそろナナキの呼吸も限界だ。
あのおばさんが笑わせるものだから思ったよりも持たない。何か良い案は出ただろうか。なに? 何も思いつかない? だとすると、やはりもう一度エンビィに顔を埋めるしか手は残されていないわけだけど、せっかく格好を付けた手前、そんな無様を晒すのはいかがなものかとナナキとしても思うわけだよ。
「はぁ。面倒だけど、さっさと終わらせるよナナキ」
どうやら姉もさっさとけりを付けるつもりのようだし、やはりここは我慢するしかないようだ。
なに、如何に激臭とはいえ口で呼吸をすれば少しはマシ――
「わかりま……おえええッッ!!」
「だああああああ!? 何で吐いてんの!?」
くちゃい。




