夢じゃなかった。
「……いつっ!」
「…あ。起きた。」
腹への痛みで目覚めれば、また見知らぬ一室だった。
周りはランプの明かりで照らされた、薄暗い部屋だった。独特な薬の臭いがする。
結構狭い。少し硬めのベッドのような寝台に寝かされていたようだ。
ベッドの他には寝台の隣に簡素な台が置かれているだけの殺風景な所だった。
「まだ起きないでね。薬で治療はしてるけど、まだ全快には遠いから。」
ボロボロの制服、切れ長の眼に大人びた声。
例の女子高生が隣に座っていた。
手には緑色の林檎のような果実を持っている。その皮をナイフを使って器用に剥いている。
俺は言われた通りに寝台へと身体を戻した。が、正直痛い。
折れた経験などないが、あばら骨が折れていそうだ。
女の子の前でなければ、もっと情けなく痛がっていたかもしれない。
「あれ、夢じゃなかったのか……。ゴブリンみたいなのと戦って。……どうなったんだっけ?」
「負けたよ。……でもキミは骨がある、って認められて殺されなかったの。」
「……。」
無我夢中で戦っていた。
途中から記憶は朧げで、どんなふうに戦ったかも覚えていなかった。
「あれは新人殺しのゴブリンでね。見た目は小さいけど、強かったでしょ?」
強いなんてもんじゃなかった。結局、俺は一撃もまともに入れられなかった気がする。
素人が一体なんであんなヨーダみたいなのと戦わなきゃいけないんだ。
ていうかやっぱりゴブリンなのかよ。
「ここ、どこで一体なんなんだよ。俺なんであんなのと……。」
「えっとね。……ここは多分、異世界。地球でもなければ、日本でもない。」
「きみは?」
「わたしの名前は、りあ。」と名乗られて、じっとこちらを見てくる。
「……。あ。俺は、太一。」
「太一、か。とりあえず、これを食べて。」
差し出された皿の上に並べられた果実は、緑色の皮で兎の耳がつけられていた。
「あ、ありがとう。」と皿を受け取ってみると、お腹が空いていたことを自覚する。
しゃりしゃりとして美味しい。梨よりも果汁が多く、林檎のような酸味がある。
「美味いな、これ。」
「一応、それが今回の報酬だから。味わって食べてね。」
「……報酬?っていうか、あれは結局なんだったんだ?」
「ここはね。別世界から召喚した人や魔物を戦わせる闘技場みたい。」
「と、闘技場?」
「そう。で、わたしは召喚されてからもう1年以上は経ってる。」
「い、一年以上……?嘘だろ、帰れないのか?」
「うん。……勝ち続ければ、送還を願えるかもしれないけど。」
りあは悲しそうに眼を伏して、お皿に並べられた果実を見つめる。
勝ち続ければ、か。……あのゴブリンを思い出した。無理だろうな。
「あ。……これ俺のなんだったら、食べていいよ。」
「良いの?……でも、これ。魔力入ってるよ?」
「魔力?でも、いいよ。色々お世話になったし。」
と太一、こと俺は果実の兎を勧める。
「ありがとう。……えっとね。この世界には魔法や魔力があるの。魔力を得ると強くなる。経験値みたいなもの。」
そう言って一つ、りあも果実の兎を食べ始めた。
「経験値……。なんか、ゲームみたいだな。」
俺も二つ目の果実の兎を手に取って見つめるが、これに魔力が入っていると言われてもピンとこない。
りあは口に手を当てて、果実を咀嚼し飲み込んでから。
「そうだね。ん、ちょっと見てて。」
りあはそう言って、手のひらを俺に向ける。
目を瞑って、集中しているようだ。
やがて手のひらから、蛍のような光がいくつか現れた。
淡く緑に輝き、俺の身体の周りを舞うように回る。
光からは熱さのようなものを感じて、その熱さに触れると俺の身体から痛みが引いていく。
「……すげえ。なにこれ?」
「回復魔法。今食べた果実の分で使ったの。」
幻想的な光景とともに、奇跡を目の前で見せられて。
異世界?嘘だろう?と疑っていた気持ちが揺れ動いた。
「さっきまで結構痛かったのに、まるで傷さえ消えたみたいなんだが……。」
「うん。実際に消えたよ。薬じゃ中々治せない傷でも、魔法なら一瞬で治せるから。」
「……、なぁ。本当に、異世界なのか。」
試しに包帯を解いてみると、その下にはまるで何もなかったかのように傷も何もなかった。
さっきまでは、骨の数本が折れているくらいの痛みが走っていたのに。
「うん。本当に、異世界だよ……。」
「でもそれならどうして、薬で治療をしていたんだ?」
「回復魔法として使えるような"無色の魔力"は貴重なの。こういう特殊な果実を食べるしかなくてね。」
「なんでそんな貴重なものを、俺に?」
「えっとね。太一にも魔力を得て貰う為。最初は無色のものを得て、それを自分のものにするといいの。」
お皿に乗った果実の兎。これが無色の魔力入り、と言われてもやはり実感はない。
「他に魔力を得る方法は、魔力を持った生物を殺すとか。食べるの。」
「こ、ころすって……。」
「でも、最初から誰かの魔力を取り込もうとすれば相手の魔力に染まってしまう。」
「そうなると、どうなる?」
「例えば、わたしが魔獣の魔力に取り込まれたなら。たぶんだけど、獣人みたいになっちゃうかな。……だから、ね。生き残っていきたいなら、自分より弱い相手を殺すの。そして魔力を取り込まなければならない……。」
りあの言葉に俺はショックを受けて、黙り込んでしまう。
りあも、辛そうに言葉を出していた。仕方なく、でも殺してしまった記憶があるのだろうか。
悲しそうな目で、俯いてしまった。
「……。」
すっと、俺がお皿を差し出してみると。りあは首を傾げて。
「良いの?」と聴くが、俺は頷いた。
「ありがとう。」とりあは2つ目を受け取り、食べ始めた。
慰めにはならないかもしれないけれど。気が紛れれば良いな、と思う。
その様子をじっと見ていると、少しだけ今言われたショックが癒された。
殺し合い?……冗談じゃない。
でも、この子が俺を騙そうとしているようには見えなくて。
嘘をついているようには全く見えないのだ。今、悲しんでいた様子についても。
……ゴブリンに認められた?
じゃあ、認められなかったら俺はそこで殺されていたのか?
「……魔力って、俺も魔法が使えるのか?」と話を変える。
「素質次第。わたしは回復魔法と言語魔法、あと身体魔法が使えるよ。」
「それって使える人は貴重なのか?」と聴くと、りあは頷いた。
言語魔法?と疑問が浮かんだが、今は置いておく。
「魔法は、一定以上の魔力を得てないと使えない。だから、太一にはまだ無理だと思う。」
「そうなのか……。でも、これから使える可能性もあるのか。」
「中には使えない人もいるけど。でも魔力があれば出来る事も増えるし、扱える武具も増える。」
「それもまた、ゲームっぽいな……。」
「そうだね。初歩的なのは魔力の調整や、言語魔法で相手に自分の意思を伝えることからかな。ちなみに、太一の付けてた装備も魔力入りだよ。あれはわたしの魔力でサイズを合わせてるの。魔力の効力はサイズだけじゃなくて、軽かったり、太一の動きに合わせて柔らかくなったり硬くなったりしているの。」
「え、魔力ってそんなことが出来るのか。」
「結構良い装備なんだよ?装備の差で"賭け"が成り立ってたから。」
部屋の片隅には、俺が着けていた装備と剣が置かれていた。
そうだったのか。
「……賭け?」
俺は3個目の欠片を頬張りつつ。残り1個だったが、それをりあに勧める。ちょうど、半分こだ。
正直この訳の分からない状況で落ち着いていられるのは、この子に看病されている状況がちょっと嬉しいからという気持ちがあるからだったりする。
あまり欲を張って嫌われたりもしたくない。
りあは眼で良いの?と首を傾げるが、俺はそれに黙って頷いた。
「……ありがと。この世界の人は賭けをしてるの。一応、きみは3倍くらいのオッズだった。」
と説明をしつつ、りあは3個目を受け取った。
「3倍……。」とあまりその数字に実感の湧かないおうむ返しをして頷くと。
「ちなみに、あのゴブリンは1.2倍。」と返されて俺はがっくりとうなだれた。
それって結構な差があるじゃねぇか、と勝ち目のない戦いだった気がしてくる。
新人殺し。殺されなかっただけマシだったのだろうか。
さっきの話だと、自分よりも弱ければ殺すのが当たり前みたいな話だしな。
いや、あのゴブリンにも知性や感情があるのか?殺すのが嫌だ、みたいな。
見た目にはゴブリンは重そうな首輪をつけて、そんなに強そうには見えなかったんだが。
装備の差ってことは、あの重そうな首輪とかはハンディキャップだったのかもしれない。
「でも、負けて報酬が出たのは良い戦いをしたからだよ。」
「そうなのか……?」
「良い戦いじゃないと、薬も支給されずに報酬もなしだったりするから。」
「それも酷い話だな……。」と言いながら、実際逃げ回ったり卑劣な手を使った可能性はあるだけにひやっとする。それさえ出来ないくらい、余裕が無かった。
「一応、勝ち続ければ報酬にどんな願いでも叶えて貰えるそう、だけどね……。」
「元の世界に戻るには、それ以外に方法はないのか?」
「たぶん、無いと思う。この世界の住人とは、力の差も圧倒的すぎるよ。わたし達にとっては希少なこの魔力の実も、この世界の住人にとってはお安いデザートに過ぎない。もっと質の良い魔力を、効率の良い方法で沢山得ていて……。」
「まるで俺たちは、奴隷だな……。」
「うん、そうだね。わたし達は、召喚奴隷って身分だからね……。」
「……。」改めて、酷いことになったという実感が湧いて、暗い顔をしてしまう。
「太一。でも、死ななくて良かった。……ね。」
りあは、こちらを見て微笑んだ。声も優しい。
本心からなのだろう、と思えた。
「……ああ、うん。」と俺は返事をしつつ。
その言葉が、とても嬉しかった。生きていることを、良かったと言われて。
でも、恥ずかしくなってそっぽを向いた。
その優しい笑みに、俺は惚れそうになっていた。
心臓が鳴っている。
その自覚をしてしまって、余計に恥ずかしくなってくる。
ここには時計はないのか、とか関係ない事をあえて考えようとしてしまう。
たぶん、りあと俺はそう年齢も変わらないはずだ。
俺は高校2年、りあも制服からして高校生くらいだ。
こちらに来て1年以上経っているそうだが。だから制服もボロボロになってしまったのだろう。
「あ、あと。これを読んでおいてね。」と言いながら、りあは本を取り出した。
「これには、わたしが知ってることが日本語で書いてあるから。この世界の単語とか、魔法のこととか。」
りあは皿を回収しつつ、食べ終わった俺の手を綺麗な白布で拭ってくれる。
この手の看病に慣れているのかもしれない。あるいは本を汚さない為か。
ん?昨日今日で本を書いて用意しておけるとは思えないな。
「……あれ?もしかして、俺とりあ以外にも日本人がいるのか?」
「いた、けど。……今は、もう。」と声を暗くする。
それで察する。恐らく、その人は死んだのだろうな……と。
もしかすると、その人の為に書いていた本なのかもしれない。
りあは白布で果物ナイフを拭いて、鞘にしまう。
「じゃ、報酬も渡したし。今日はもう、ゆっくりと寝てね。」
「色々ありがとう。……その、助かったよ。」
と言いつつ、りあが部屋から去ることを察して内心寂しくなる。
ずっと居て欲しい、と思った。
何時までもこうして居られたらどれだけ幸せだろうか。
こんな美人で可愛い女の子に看病されて、惚れない男子高校生がいるかよっ!
などと思いつつ、部屋から去ったりあを見送った。
「おやすみ。また、朝に来るからね。」
「ああ、分かった。おやすみ。」
何だろう、今の状況は。非日常の中にいる。
でも、ああも可愛い女の子に看病をされるのなら悪くはないと思えてしまう。
朝がちょっと楽しみだ。
少し眠いけれど。置かれた本を手に取って、ぱらぱらとめくってみた。
女の子が書いたような丸目の癖があるが、読みやすい綺麗な字だった。
内容は、と適当にページを開いてみる。
……えーと、つまり。要約するとこんな感じか。
・魔力は身体に馴染むとその人自身の"色の魔力"になる。
・身体に馴染んでしまった魔力は"無色の魔力"として使うことは難しい。
・無色の魔力を使う魔法として魔力を使いたいなら、また別の身体に馴染んでいない魔力を得てからじゃないと使えない。
・無色の魔力は身体に馴染みやすく、その人に吸収されて"色の魔力"になりやすい。無色のまま維持することは難しい。
・色のついた魔力は取り込みにくい。強すぎる色の魔力を取り込もうとすれば、逆に飲み込まれてしまうことがある。その結果どうなるかはケース次第。この世界の獣人や竜人などの亜人種の中には、そうして魔力によって飲み込まれた結果その姿になってしまった場合もあるらしい。
りあなりの解釈でさまざまな説明がされている。
これらの注意点として、「あくまでもわたしの解釈だから間違っていることもあるかも。」らしい。
身体に身についた"色のついた魔力"は別の使い道になり、自身へ作用するものへと変換しやすいらしい。
強化系の魔法や自己回復、といった所か?さっき気になった「言語魔法」のことについても書かれているようなので、ぱらぱらとページをめくって読んでみた。こちらは「色の魔力の使い道」の項に書かれていた。
「言語魔法は、魔力を通して自分の意思を相手の分かる言語で理解してもらう魔法。無効な場合もある。
また、相手の話す言語を魔力を介して自分の分かる言語で理解する魔法でもある。この2つはそれぞれ別の魔法で、自分の意思を伝える方が覚えるのは簡単。これは魔力の使い方の基礎でもある。逆に相手の喋っている言語を読み取ることはちょっと難しい。」
成る程、えーと……。
つまり、送信だけは覚えやすいけど受信は難しいみたいな感じか?
りあなりの解釈で言語魔法の原理の考察が書かれているが、この辺は上手く理解出来なかった。
しかし、まだ魔力の存在についてよく分からんな。無色とか色つきの魔力とか。
どういう違いがあるのだろう。イメージが出来ん。
最初の基礎的な方にページを戻してみると、「魔法は学んで後天的に身に着けることが可能。召喚奴隷たちはオリジナルの魔法を編み出すことがある為、その実験材料としてもこの闘技場が意味があるのかも。」
などなど、結構興味深い内容が沢山書かれていた。
読んでいると、段々と眠くなってきた。
適当に読むより、時間をかけてしっかりと最初から読んだ方が良いかもしれない。
本を台の上に戻して、今日は眠ることにする。
もしこれが夢なら、覚めて欲しいという気持ちがある。
また、戦うとしたら。恐い。戦いたくなんてない。
しかし、これがもし夢でも。
りあのことは覚えていたい。
思い出すと、少しだけまた心臓の音が高く鳴りだした。