テラストカハウストカ7
「テラストカ ハウストカ」
第二章 ダークナイトライヂング〓
あまりにもグッドタイミングな三太の登場。偶然か、それとも幽霊の成せる技か。三太には、部屋にいる人間も幽霊も目に入っていないようで、忙しそうに後ろを振り返りながら、何やら訳の分からない事をしゃべっております。夏子たちには見えておりませんが、もちろん後ろを付いて歩いておる家来と話しているのでございました。
やれ妖精の交通事情がどうだの、やれ小人の食料問題がどうだの、話してる内容が内容だけに、真剣に話していれば話しているほど、夏子たちの目には狂気にしか映りません。三吉の書類の信憑性を試すにせよ、そもそも意志疎通など出来るのかどうか、と言う疑問がわくのでございました。こんな至近距離にいるのに、自分たちの存在すら感知されていないのでありますから。あるいは無視している?いや、見えていないだけ?違う、三太の世界に夏子たちが存在してないのでございます。
三吉「おい、試せと言っておるだろ。」
そう言われても、三人はどうして良いやらドギマギドギマギ。そこへ、全てを楽しんでいる土方が、書類をめくり意見いたしました。
土方「手始めに、1ページ目にある挨拶でもしてみなよ。」
土方がにやけ面で言うもんですから、他人にやらせずお前が言えよ、と三人は心合わせて思いました。が、書類をめくり、
深見「三太帝国は毎日クリスマスイブ、だって。正気かね?」
夏子「正気じゃないから困っているんじゃない。」
紙谷「クリスマスイブだから挨拶は、朝昼晩ともメリークリスマスだって書いてあるよ。フッ君、言ってみなよ。」
深見「やだよ。クリスマスでも無いのに。」
夏子「言いなさいよ。確認作業なんだから、やんなさいよ。」
深見「…何か恐いんだよ。こんな三ちゃん、初めてだからさ。」
夏子「私だって初めてよ。メリークリスマスって言うだけじゃない。さっさと言いなさいよ。」
皆があまりにメリークリスマスと言うものですから、妄想世界の三太の耳にも届いたようでございます。何処からか聞こえてくる、と探る内に三人の姿を発見いたしました。もめている三人も、三太の汚れなき眼に気付きました。三人ともによくよく知ってるいる三太でありましたが、目の前に立つ三太の黒目の黒さに、命さえ取られるのではと危険すら感じたのでありました。知ってるようで知らなかった、本能のまま、人間の野生むき出しの三太の姿、と言って良いのではないでしょうか。それは、まるで未確認生物とのファーストコンタクトの如く、三人は固まってしまったのでございます。
三太「…フッ君、カミヤン、夏子、いたの…メリークリスマス。」
そう言って、三太は又、忙しそうに後ろの家来と話を始めたのでございました。ただ、ちゃんと三人の存在を意識した上でありましょう、一目を気にしてか部屋の隅に置いてある、立派なクローゼットの中へそそくさと消えて行ったのでございました。
三太も突然の出来事に驚いたでしょうが、夏子たち三人も同じく驚いた。土方も、三人ほどではないが、大きく目を開けております。意志疎通不可能と思われた三太と、挨拶だけとは言えコンタクト出来たのでありますから。三人の胸中に湧く、この複雑な感情は何たるや?
それは、停電で長時間の暗闇の中、引き出しの奥から、誕生日だかクリスマスのケーキの余っていたキャンドルを見つけ、何とか火を灯した時の様な喜びでありましょうか。それとも、片側一車線しかなかった田舎道が二車線になり、すれ違う車の光景を見て、ほんの少し大都市に近付いた気がした時の様な喜びでありましょうか。はたまた、子供の頃、林間学校でこしらえたカレーライスの一口目をほうばり、悪戦苦闘した苦労が報われ旨かった時の様な喜びでありましょうか。どれにせよ、端から見れば大した事柄ではないのかもしれません。ただのキャンドルの火、ただの二車線、ただの林間学校のカレーライスでございます。しかし、当事者たちにとっては、訳は分からないが、小さいながらも何事にも代えがたい喜びなのは間違いございません。その証拠に、まるで長年取り組んできた実験が成功したかの様に、三人は誰からとなくハイタッチをしているではございませんか。
三吉「どうだ?その書類の信憑性は?」
ああ、信憑性の事を忘れておりました。挨拶だけではございますが、現代社会を完全シャットアウトしている三太に通じたのは確かであります。今の三人のノリでは、このたった一例の証明だけで、この書類を信じてしまいそうな雰囲気でございます。その盲目的な熱狂を続けたいのは山々でありますが、そもそも根本的に三吉の国家救済策には、無理がある事に今更気付いたのでございました。
深見「ところでオジジ様、三ちゃんが総理に返り咲くと言われますが、政権交代されて我が党は野党に成り下がっておるのはご存じですか?」
ジロリと深見を睨む、三吉の目。幽霊となっても衰えぬ眼力、いや、幽霊になったからこそ更に威圧感は増し、底知れぬ妖力までが加わった三吉の眼力。深見は、少し後悔しておりました。昔からの知り合いだからとは言え、幽霊に、しかも昭和の怪物に馴れ馴れしすぎたかと。
三吉は、そんな事で睨んだ訳ではございません。よくもいけしゃあしゃあと、呑気な声で政権交代されたなど言えたものだと。三吉の青写真通りに行っていさえすれば、万事安泰であったろうに…。しかし、ここからが巻き返し時、三吉のこらえ時。高ぶる感情を押さえつけ、何故に再び政権交代が成されるのか説明いたしました。
三吉「間もなく、お主らは歴史的な分岐点に立たされる。そんな時に潮目なんて物は変わるものだろ?」
深見「ほー、歴史的な分岐点が…。ならば、それに備えて準備せねばなりませんな。」
三吉「それは叶わん。間もなくと言ったであろうが、そんな時は無い。」
紙谷「そんなにすぐ起きるんですか?歴史的と言う位ですから、世の中がひっくり返る様な大事なんでしょうな。」
三吉「ああ、まさに世の中がひっくり返る。むしろ、ひっくり返ってもらわんと困るのだ。この国は一からやり直してもらうのだから。もう一度、あの時と同じ所からな。」
夏子「あの時と同じ所からって…戦争に負けた時の焼け野原からって事でしょ?何!?ミサイルでも飛んでくるの?戦争でも起こる訳?」
三吉「戦争など起こらん。しかし嫁殿、良い読みじゃ。」
三吉はなかなか話の胆を言おうとはいたしません。まるで意地悪クイズでございます。深見たちは、更に核心に迫ろうと、三吉に尋ねるのでございました。
深見「オジジ様のおっしゃる通り、その大事が起こり、政権交代が成されて、再び三ちゃんが総理の座に返り咲く…となると、三ちゃんの次の総理は再び僕なのでしょうか?」
紙谷「フッ君は一回やっただろ。次こそ僕の番ですよね、オジジ様?」
三吉「そこまで先の未来の事は分からんのだ。いくら幽霊とて万能ではない。」
夏子「それなら、あの人が再び総理になるとか、政権交代するとか、歴史的な分岐点が間もなく来るって話だって未来の事じゃあないの?」
三吉「遠い先の未来の事は分からん、と言ったのだ。ごく近い先の未来なら、この幽霊ごとき霊体でも分かると言っておるのだ。」
夏子「詭弁だわ。あてにならないわね。」
可愛い孫の嫁とは言え、この海老三吉に対して無礼千万なその態度、呪い殺してやろうか?それに親子代々で恩恵を受けてきたにも関わらず、フォローの一言も言わない深見と紙谷、血筋ごと根絶やしにしてやろうか?落ち着け、落ち着け、クールに行こうぜ。帝国復活は、すぐそこなのでございますから。
三吉「ふん、何とでも言え。状況が分かっておるのはペスだけか。犬畜生でも感ずいておるのに情けない。」
ペス?すっかり忘れておりました。海老家の番犬、海老家の門番、海老家の最後の砦である狂犬ペスの事を。なぜ深見と紙谷が、噛まれる事もなく、吠えられる事もなく、家の中へ素直に入って来れたのか?そこに理由があるようでございます。ペスは何かを感じ取り、カモを見逃してまでも、犬小屋で大人しくしていなければならなかったのでありましょう。恐い物知らずのペスさえ恐れる物とは何たるや?やがてペスは、憑き物が落ち、本来の己を取り戻した様に、ワンワンワンワンとわめき始めたのでございます。その狂い方たるや、野蛮たるや、まるで学校の校庭に迷い込んだ野犬の如し。
夏子「何、ペスったら。誰か来たのかしら?」
きっと大の犬好き、若しくは犬を長年飼育している人間ならば、犬語など存在しませんが、鳴き声を聞けば、その犬が何を訴えたいのか分かるのでありましょう。ここにいる者は、犬の気持ちを理解したいと思った事などビター無いので、犬が何を訴えているのかなんて分かる訳もないのですが、今のペスが何を訴えているかは、聞いている内にだんだんと分かって参りました。それは、ペスの感情がむき出しで訴えてくるが故に理解を可能にしたのでございました。ヤベえ、どエライ事が起きる、とペスが叫んでおると。
三吉「誰も来やせぬ、何かが来るのだ。では、又会おうぞ。その時こそ帝国復活の時。それまでに、その書類を読み込み、役作りに努めよ。」
何かが来るから、ペスがわめき散らしている?来るって何!?言ってくれりゃ良いのに肝心要をぼんやりさせる三吉の意地悪クイズ調の物言い。価値ある、高価だ、と言われてもピンとこない水彩画を目の前にした心境であったでありましょう。
土方「三人とも頭の上に特大のクエスチョンマークを浮かんでんな。でも、もうすぐそのマークは特大のビックリマークに変わるんだけどな。」
何、その物言い?土方は何かを知ってる様子でございます。三吉と同類じゃあるまいに、ごく近い未来とは言えであります。しかしながら、三吉の意地悪クイズを解くには、クエスチョンマークがビックリマークに変わる、と言うヒントは取っ付き易いやら、有難いやら。まあ、今までの三吉との会話から考えれば、目の前の街並みが突然、焦土と化せば特大ビックリマークも浮かぶでありましょう、ペスもわめき散らすでありましょう。問題は、何が原因でそうなるか。ただ、残念ながらシンキングタイムは時間いっぱいとなった様でございます。何処か遠くで、ドンと言う至極低音が、決して大きくはありませんが確実に万人の耳に届きました。
三吉「時間だな。土方、参るぞ。」
土方を引き連れ、三吉は空間の亀裂へと去って言ったのでございました。それはそれは、さっとした退場でありました。ただ、土方が去り際にちらりとこちらを振り返った時の、意味深なニヤケ面に不安を覚えたのは間違いではございませんでした。
不安が先かその後か、ドンと鳴ったその先から、衝撃が波となり、ゴゴゴと言う地鳴り低音に乗ってこちらへと猛スピードで押し寄せて参りました。三吉の言っていた来訪者は、これでもかと世間を縦揺らし、横揺らし。三人はただただ蹂躙され腰抜かし、ペスを沈黙させ、流石の三太もクローゼットの中で阿鼻叫喚のリアクション。そう、これは、あの三月の大地震、あの日の事でございました。




