第八十八幕 人売
「ななな、何ですか! あの化け物はぁ!」
「偶然居た黒人の奴隷です。残念ながら、他の奴等は捕まりました」
「クソッ」
息を荒げるデルマンに、さきほど宙を舞っていた護衛が追いつき告げる。計画通りにいかなかった苛立ちから、デルマンは道脇の鉢を力任せに蹴飛ばした。
「マスターが出る今日なら女を手に入れられると思ったのに。揃いもそろって、無能な奴等め!」
手頃な無機物に怒りをぶつけて少しは気が晴れたのか、デルマンは東貧民街へと歩を向けた。
「まぁいい。立て直します」
「此の事を『聖母様』にお伝えしますか?」
『聖母』という単語にデルマンは目に見えて動揺を見せた。
「お伝えする訳ないでしょう? 何て言うのヨ。ばか正直に失敗を報告してたら、成功する前にコッチが消されちゃうじゃないデスカ」
軽蔑の眼差しを向けられ、護衛の男は目礼する。
「差し出がましいことを申しました。ところでデルマン様」
歩調を緩めて背後へ視線を送る。
「アレはどうしましょうか」
「あぁん? アレって一体ドレ……って、おまえぇぇぇ!」
デルマンにひとさし指を向けられ、すぐ後ろを歩いていた眼鏡の男はハーイと気楽な声をあげた。
護衛の一人に後ろ手に捕まれているものの、陽気な表情は崩れない。
「ななな何でいるのよ!?」
「何故って云われても、連れてきた人に聞いてください」
「どうして連れて来たのよ!」
口調を崩し、顔を赤くしてつめよるデルマンに、大柄な護衛の一人がボソリと応えた。
「人質……作戦……」
「連れてくるのは女って言ったでしょ! このバカ、役立たず!」
「しかしデルマン様。あの酒場の娘、恐ろしい女でやんし、でしたし」
責められる大柄な片方をかばうように、小柄な方が宥めにかかる。
「そんなもん、家族を人質にするなり指を切り落としておくなりしとけば大人しくなる!」
「なっ」
興奮したデルマンは、絶句した護衛たちと男の表情を自分にとって肯定的にとらえた。
つまりデルマンの残酷性に恐れをなし言葉を失ったと思ったのだ。故に護衛が蒼褪め、人質として捕まった男が輝かんばかりに生気を溢れさせていることにはまったく気づかなかった。
「まぁ、いいでしょう。この男にはワタシも恨みがあります。死んだ方がマシな目に思わせてやりますヨ」
デルマンの瞳に忘れかけていた嗜虐的な光が宿る。
「見ていなさい。命乞いしたってもう遅いんですからね。殺して下さいと懇願するまで、生かしておいてあげます。そして! デルマン様の偉大さを骨の髄まで味わった後、死になさい」
両手を挙げ、高らかに宣言するデルマンは背後で交わされる三人の護衛の会話に気付かない。
「服と言動と躍りの下手さから小物だと見くびってましたけど、あの人、すごいロリコンの性格悪?」
「何だか分からねえけど、シーッ! シーッ!」
「静かにしろー、いや、してくださいーっ」
「自分が被害を受ける第一対象であることを完全に失念している顔ですね」
「残念、おぼえてた」
「なおさら悪いわ!」
「とても痛いミス・トリ4DXと思えば、がまん出来るね」
「結果的に痛い目にあうのがリチャードだって分かって言ってますか貴方はっ」
「だいじょうぶ。痛いとき。おもてにいたのはトマスでした。がんばれ」
「根本的な解決になってません! いいですか。貴方の役目は……」
「ほ、ふぉーでぃー……何だ、そりゃ?」
待った、と小柄な護衛が場を鎮めた。
「探偵、あまり興奮すんな。ゴドウィン、俺達の計画が漏れる前にショウの口を塞げ」
「「「異議なし」」」
「本人まで同意するのかよそれなら慎めバカ野郎!」
デルマンの商売の一つに「人売り」がある。
奴隷が人力を主とする労働力ならば、人売りは消耗品としての人間を取り扱う商売だ。
ロンドンは欧州の中でも人口が密集した過密都市であり、数多の植民地を束ねる宗主国の心臓部でもある。それゆえに欧州を含めた巨大都市部の中でも、特に活発に人身売買市場が動いていた。様々な腐敗の温床であるが、それすらも目に見えているのは氷山の一角であると言われている。
人身売買は商品の納入が簡単なため、新規参入がしやすいとされている。何故なら、その辺にあぶれている子供を捕まえるだけで済むからだ。
ある程度まで育てて売るのも良いが、長い年月と遺体の処理に経費がかかる。そのためデルマンは子供を誘拐してはすぐさま売りとばす、短期売買を主としていた。
そうでなくとも、デルマンは他の新参者より有利な立場に立っている。質草として連れて来られる子供の数は年々増えている。そして子供を質に入れた親の大半は二度と顔を見る事もない。再度見たとしても、それは次の子供を連れて来た時だ。
その点、成人男性の売値は同じ歳の女性と比べると低い。下手をすれば十歳以下の子供よりも低くなる場合もある。
力が強く、反抗心もあるからだ。知恵があるものなど最悪だ。そのため、成人の売買は麻薬に漬けてから売るのが原則だった。成功したところで早死にをするが、所詮デルマンは奴隷商人では無く、人売り。買う側も肉のような賞味期限のある消耗品と理解し買っていく。
平素であれば、デルマンは男の指を二、三切り落とし、足もつかず戻ることも難しい海外の殺人好事家に売っていただろう。
だが、この眼鏡をかけた男はデルマンの自尊心を酷く傷つけた。それは何よりも重い罪だった。
売るまでもない。金をかけるまでもない。
無残な死体を「ユニコーンと盾」の前に置くのだ。自分に逆らった見せしめとして。残忍な復讐方法を思いついた彼はほくそ笑んだ。
「殴り殺した後で『ユニコーンと盾』に返してあげますよ。ああ、私は自分の発想と才能が恐ろしい」
ウフフフと笑うデルマンの背後で男は必死に何かを言おうとしたが、最近雇った運び屋の破落戸。この辺りでは名の売れているハーバーとゴドウィンの二人組に口を押えつけられ、男はくぐもった声をあげた。
彼らの切羽詰まった様子に、デルマンは気を良くした。弱者が一方的に虐げられるときにあげる喚き声や焦った声、絶望に満ちた眼差しは大好物だ。
「さぁ、着きましたよ。此処が、アナタの地獄です」
ニヤリと笑みを浮かべながら、デルマンは石造りの建物の前で振り返った。大通りからは外れ、細い道は舗装すらされていない。幾つもの空き家が並んでいるが、そのどれもに人の気配はなかった。
建物への入り口は地下にあるのか、長い灰色の階段が絞首台へと向かう階段のように伸びている。
「悪の嚢へようこそ」




