幕間十 和解
(リチャードー、扉を、あーけーてー)
中からトントン、とノックが聞こえる。
ダメ! 僕は強く念じた。
(肉だるまつーくろー)
「何なの、その聞くからに怖い単語は!? 絶っ対、作らないからね!!」
(うんうん、普通そう感じるよね? 良かった)
「何で言った本人が安心してるの!?」
そう叫んだところで、三方向から向けられる視線に気が付いた。
「あ、いや。その、料理を、作ろうかなーと思い出して……」
「……交代ができるなら、そいつは外に出さなくていいです。リチャード、久しぶりに会えて嬉しいのですが……あの悪霊、どうしたら居なくなるんです? いつも貴方なら、私は助手の件に関して諸手をあげて喜べるのですが」
頭の中で高笑いする彼からそっと意識を外し、僕は目を閉じる。うん、やっぱり僕達似てないし、いますぐ紅茶が飲みたい。追伸。アーサー兄さん、騒ぎに乗じてさりげなく追加で爆弾落とすの、やめてください。
「待て」
すると今まで静観していたジェイコブが声を出して遮った。
「話を聞く限り、その幽霊ってのはそこの酔っ払い野郎の事だ。しかし、此奴はリスを怖がっていない。それはどう説明する? レイヴン、お前の言い方だとこの件に関わった人間は二人。聞く限りでは誰かが逃げだしたという証言もない。幽霊というのは、その名の通り、消えたのか?」
彼は胡散臭げな顔をレイヴンに向けていた。
「それこそ、今日。此処に貴方を連れて来た理由ですよ。ドクター・ジェイコブ。一人の人間の中に複数の人間の魂が存在する。……そう言って、貴方は信じますか?」
「いいや、信じない。私は医者で、オカルトは専門外だ」
きっぱりとジェイコブは断言した。
「それでは分かりやすく言い換えます。貴方、自分の弟についてどう思っていましたか?」
「その話は、止めろ。今は関係ないはずだ」
弟、と聞いてジェイコブがみるみる青くなった。
「想像上の友達とばかり会話していた弟を心配した貴方は、唯一の友人であった人形を取り上げた」
「……そうすれば、止めると思った。いつまでも、見えないものに頼っていたのでは、示しがつかない」
「身分的にね。まぁ、私もそう思ってましたよ。でも結果はどうでした? 支えが無くなり、見えない友人に頼る回数が増えた。リチャードは家の中へとこもり、悪魔と叫んだ貴方は壁越しに会う事すら止めてしまった。そうでしょう、ジャック」
「その名で呼ぶな」
力無くジェイコブは項垂れた。
「なら分かってくれるはずです、此処にいる彼は、あれと同じ病気だ」
「だからあいつの人形を持ってこいと言ったのか」
ジェイコブは頭を抱え、ゆっくりと僕を見た。
その眼は怯えきっていて、恐ろしい幽霊を見た時のように震えていた。彼にとって本当の「幽霊」は僕だったのかもしれない。
「リチャードと言ったな? 名前が無いと、何も覚えていないと、あの時。そうか、お前も、あいつと……リチャードと同じ……」
どうもこんにちは。僕が、そのリチャードです。
「本当なのか、アーサー。あれは悪魔の仕業ではないのか」
「精神の分裂。れっきとした心の病です。治すのならば、口が固く、実際の症例を知る貴方が適任だ」
そうか、と言ってジェイコブは苦々しい顔をしてみせた。懺悔と恐怖。そして後悔の入り混じった表情。かつての古傷を抉られながらも、ジェイコブは自分から逃げなかった。
「……私は、かつて自分の命惜しさに、家の名前から逃げた男だ。その上、当時幼かった弟を悪魔と呼び、助けを拒んだ。もう永遠に会うこともないだろうが、きっとあいつは私を憎んでいる」
別に憎んでないよ!?
僕は静かに挙手をしてみせる。ジェイコブはチラリと僕を見たけれど、相変わらず「僕がその弟本人」だとは思っていない。最初はレイヴンもそうだったけど、何故だろう。レイヴンみたいに理解した瞬間膝から崩れ落ちてもらっても困るな。
場の空気的に自らそうだと名乗り出るのは気まずいので、何とか気がついてもらいたい。
「しかし、あいつと同じ病に悩んでいるのなら、それが贖罪に繋がるなら。私はそれに手をつくすと誓おう。それが‥…あいつに……リチャードに対する償いに繋がる」
僕の扱い、完全に故人になってる……。
「あぁ、ジャック。真剣な顔で告白している最中にもうしわけないのですが」
「だから、その名前を呼ぶなというに!」
「ぬいぐるみを渡してもまだ気がつかないから言います。貴方の横に座ってる、それ、リチャードです。私達の年の離れた弟の」
「こんにちは、ジャック兄さん」
僕が軽く手を振ると、ジェイコブはそのまま静かに、後ろへ倒れた。
「死にました?」
倒れたジェイコブの肩を支えながら、ナンシーが疑問符を浮かべる。
「いや、ただ気絶しただけでしょう」
無理もない、と小声で付け加え、レイヴンが頭を振った。すると流れるような動きで、ナンシーがジェイコブの背中にそっと掌を当てる。
「そやっ!」
「ハグォアッ!?」
いまナンシーがジェイコブの背中に掌打を打った気がするけど見間違いだろうか。何はともあれ、数秒の失神から目を覚ましたジェイコブは自らの肩を抱くナンシーを見上げた。
「……天使か」
「いえ、峰打ちです」
「会話の一方通行って辛いよね」
どちらかと言えば、レイヴンより僕の方がナンシー相手には慣れている。突然のナンシーの行動にレイヴンは固まっていた。昔から、予定外の行動に弱いんだ。そこは二人とも治ってないんだね。
(実はライン家の人達、精神的に崩れやすいよね)
いつのまにか、ショウ君が隣にいて訳知り顔で頷いていた。もう、何をやっても驚かない。いや、彼が一日じっとしていたら、驚く。
「峰打ちだろうが真打だろうが、どうでも良いのです。兄弟喧嘩なら後でやって下さい。私が今すぐ知りたいのは一つだけ。つまり、探偵の助手とはどういう事ですか! リチャード君!」
一番バレたく無かった人に、一番バレてはいけない部分がバレてしまった。僕は覚悟を決めて頭を下げる。
「ごめん、ナンシー! 騙していたつもりはないんだ。僕は、その……聞いての通り。世間では悪魔憑き、と呼ばれるものなんだ。頭の中に僕以外の人が住んでいる、そういう病気らしいんだけど本当にそうなのか確信はない。それで、その、知らない内に、普段の僕とまるで違う人になったりして、色んな人に迷惑をかけているんだ。だから中庭の幽霊も、ぜんぶ僕がやった事で……」
「いえ、そっちの話もどうでもよいのです。いまは一度置いておきましょう」
「これ本題なんだけど、置いちゃって良いの!?」
見えない荷物を置く仕草をみせ、ナンシーはじっと僕を見つめた。
「複雑な謎解きや解決策の提示はそちらの頭が回る探偵に任せればよろしい。それで私が聞きたいのは、貴方は探偵の助手なのかという事です、イエス、オア、ノー?」
「い、イエス! 多分イエスです!!」
「そうでしたか。しかし君、一人の中に数人いるのでしたね。では、探偵の助手はリチャード君の中にいる他の方がやって下さい。そうすれば、貴方は私の助手のままで済みますし」
えっ、と声を上げたのはレイヴンだった。
ん? と首を傾げたのはショウ君だった。
「それって、つまり?」
「リチャード君は私の助手を続投する、という意味です」
(勝訴ー!)
「それは困ります。シスター・ナンシー。あの、晩餐会で会った方なら進呈いたします」
「なるほど。そういう事でしたか。一人の中に複数とはそういう意味なのですね。私もようやく理解ができました。あっちはいりません、此方を見る視線が、何を考えているかまったく分からず恐ろしいのです」
(え、モテ期到来!?)
「そこを何とか」
「いりません」
(リチャード、良かったねー! 友達できたよ!)
騒がしい三人の会話を聞きながら、僕はぼんやりとしていた。おそらく、ジェイコブも僕と同じような表情をしているだろう。今日は信じられない事が多すぎて、何も頭の中に入って来ない。恐らく、これはとても良い事なのだ。喜ぶべき、ことなのだ。
平和な光景を目の前にして、僕はひたすら戸惑っていた。




