幕間八 正体
「それは知ってます。私は幽霊を退治しに来たのですから。どういうことなのか、此方にも分かるように説明してください」
頬を膨らませてナンシーが反論すると、僕の隣でジェイコブが呟いた。
「可憐な声だ。新緑に囀るコマドリの愛らしさ……」
「そうだね?」
「うるさい今話しかけるな」
美辞麗句に同意が欲しいのだろうかと愛想笑いを浮かべて頷けば、睨まれた。観察の邪魔をするなという事なんだろう。難しい。
ジェイコブとの会話を諦めて、僕も一緒にナンシーを観察してみる。確かに愛らしい。けれど、短い時間行動を共にした僕から、彼女へ捧げる感想はひとつだけ。スゴい、だ。
「分かりました。まず始めに中庭で幽霊を見たという騒ぎが起こり、幽霊が出ると噂になった。そして今日、空を飛ぶ生首が数名によって目撃された。ここまでは宜しいでしょうか」
「はい」
レイヴンからの確認に、ナンシーと僕は同時に声をあげる。僕たちの反応に満足げに頷くと、レイヴンはもったいぶった調子で続けた。
「それでは。私の考えへと移る前に、いくつかの疑問を述べたいと思います。まずひとつ目」
そう言って、指を一本立てた。
「シスター・ナンシー。貴女、どうして生首を追いかけているのですか?」
「は?」
それから、ぱち、ぱち、ぱち、と長い睫毛に縁どられた瞼が、機械的に三度動く間、彼女は一言もしゃべらなかった。
「それは、首を切られた幽霊が生首を探して彷徨っているからです。生首を見つければ、首を探しに来た幽霊も見つけることが出来ますから」
ナンシーの答えを聞いて、レイヴンは肩をすくめた。
「貴女は中庭で目撃された幽霊が首無しだと聞いたのですか? 貴族、修道士、修道女……中庭の幽霊が複数である可能性は考えましたか? 違いますね。シスター・チェルシーとシスター・ジェーンが言った『灰色の幽霊が生首を探しているに違いない』という予想を聞いただけに過ぎない。それは、生首と幽霊は同じ人物のもので、互いに関係があると思いこむのに十分だった」
「そうかもしれません。ですが生首と幽霊。短期間に起こった二つの現象に関係があると思うのは自然です」
「今はそういう事にしておきましょう。それでは次です。ふたつめ」
それ以上追求することもなく、レイヴンは二本目の指を立てた。
「悲鳴と、洗濯物の数の相違です」
「僕の聞いた悲鳴は五回、見つけた洗濯物も五枚。洗濯物と人の頭を見間違えたとしても、数はあってるよ」
「いいえ。シスター・チェルシーの悲鳴の内、一度は貴方を見ての悲鳴ですよ。生首が目撃された回数は、話を聞いていないミセス・ダマスも含めれば合計で四回。悲鳴の原因が本当に生首だとすれば、の話ですが」
僕の反論をレイヴンはあっさりとはね返した。
「プラタナスの枝から見つかった洗濯物は全部で五枚です。お二人の推測通り、目撃者たちが洗濯物を生首と見間違えたとしましょう。ならば、洗濯物は一体何の為にそこにあったのか。ハンカチ一枚、雑巾一枚、頭巾が二枚、女性用の下履きが一枚。この中で、生首では無かった一枚はどれなのか。または……本当に生首のような物体が目撃されたのは、何回だったのか」
周囲からはピクニックのように見えるだろう。しかし僕達の間に漂う緊張感は、けしてピクニックのものではない。
「そして最後の疑問です。リチャード、貴方は、最初に悲鳴を聞いたと言いましたね」
「うん」
先程から質問に一貫性がないように感じる。けれど何故だろう。気がつかない内にじわじわと追い詰められているような、そんな不安がつきまとっていた。
「なぜ悲鳴の数に自分を含めたのですか? 自分の悲鳴を聞いた、だなんて」
咄嗟に言葉が出てこなかった。しまった、本当に叫んだのが「僕」ならば、正しくは「僕は叫んだ」と言うべきだったんだ。
「貴方、窓辺で何をしていたんですか。病室を出て、廊下に出た理由は?」
「それは窓を見ようと……」
「窓。空では無く、窓を見ると言いましたね。一体、窓の何を見ようと思ったのですか」
「それは、えっと、空と窓を言い間違えただけだよ。ほら、良い天気だし」
しどろもどろの僕に対して、レイヴンが呆れたように笑った。それは嘲笑の類いではなくて、本当に仕方ないといった笑いだった。昔、家から抜け出して拾ったどんぐりをあげた時も、同じような表情をしていたから。
「説明できなくても仕方がありません。君達は『何が起きているか』は共有できるが、相手が『何を考えているか』までは共有できていないようですから。そうですね、リチャード」
彼が僕に気付いているのは明白だった。ナンシーとジェイコブは理解できないといった顔でレイヴンを見ている。
あぁ、僕達、かなり似ていると思ったんだけどな。
残念だけど、どこかすっきりとした気分で肩をすくめた。君の振りをするのも、これが潮時だ。最初に気づいてくれたのがアーサー兄さん……レイヴンで良かったのかもしれない。ね、ショウ君。
僕は頭の中の同居人に話しかけた。普段ならすぐに同意してくれる筈の彼は、今日ばかりは同意してくれなかった。こんなこと、今まで一度も無かったのにどうしたのだろう?
僕は彼の部屋へ続くドアを開けた。そして、すぐに閉めた。あの状態の彼に話しかけてはいけないと、学んでいる。うん、何も見なかったよ!
あんまり「僕」のふりをするのが上手いから、交代した時、今日は「僕」がショウ君の振りをしてやろうと思ったんだ。
ん? でもショウ君は僕に似ていて、僕はショウ君に似ていて。
僕がショウ君の真似しても、いつもの僕になるだけ?
あれ? 僕も他の人から見たらああいう感じ?
「それでは、聖メアリー病院の幽霊の正体について。私なりの推理を披露しましょうか」
そう言って、レイヴンは手を叩いた。その音に、周囲の景色が現実のものへと切り替わる。
「仮に犯人の事を『幽霊』と呼びましょう。それは中庭に現れたと言いましたね。恐らく幽霊の目的は大量に干された洗濯物でした。晴天が続いたことで、病院中の洗い物が中庭へ集まっていた。そして人手が足りず取り込まれなかった洗濯物が、夜中も干されたままになっていることを幽霊は知っていた。幽霊は夜中、人目を忍んで抜け出した。足音を消す為、裸足で。一方、最近ダマス夫人は疲れ目に悩まされていた。年齢のことも多少は関係あるでしょう。厨房と洗い場の距離は近い。洗濯物へ足早に向かう何者かの影を見て、ダマス夫人は時間と、服装から、それが幽霊だと思いこんだ」
「では、幽霊の噂は、中庭を歩いていた誰かを見間違えた結果?」
おそらくそうだと思いますよ、とレイヴンは笑う。
「彼女が幽霊と思いこんだ理由として考えられるのは幽霊の服装です。貴族、修道士、修道女。中庭に出るとされる幽霊達に共通して挙げられるのは、どれもチュニックのような裾が広がる、丈の長い服を身に纏っている人物だということ。そして幽霊であるからには全身が白や灰色といった色であると推測されます。幽霊は、裾の広がった白い洋服を身に纏っていた。イメージが修道女で固定されてしまった理由は、皆さんが見た生首がどれも長い白髪に見える洗濯物ばかりであった為でしょう。修道女の頭巾もありましたからね。そして、シスター・ジェーン。彼女の発言力の強さが、この幽霊に別の姿を与えた。彼女が最初に、修道女の霊であると言い切った人物です。本人に、もちろんそのような気はありませんでした。混乱していましたから。しかしそれを聞いていた他の人は知らず『彼女が言うならそうなのだろう』と幽霊の正体を修道女の霊へと限定させていったのです」
「さて、幽霊ですが。盗んだ洗濯物をどうしようとしたのでしょう。そして、どこへ隠したのでしょう。自分の周りに隠せば、すぐに見つかってしまう。そう考えた幽霊は、廊下の窓枠の存在を思い出しました。換気の為に少し開くだけの、格子窓です。人の出入りが少ない四棟の窓を開ける人なんて殆どいません。向いの二棟も忙しく、反対側の四棟の窓を見る人なんて殆どいないでしょう。見えたとすれば、相当視力の良い人物だ。中庭を散歩する人も、プラタナスの枝に阻まれて、三階の窓枠を見る事は出来ない。幽霊は外の窓枠に、盗んで来た洗濯物を置き、隠しました。落ちないように、隙間に布の一部を挟んだ。外の窓枠は掃除されず煤がつもっていたので、枠に触れた部分は灰色へと染まった。シスター・ナンシー。見つかった洗濯物の中で煤のついていたものはありましたか?」
「ええ。雑巾と、頭巾が煤で汚れていました。リチャード君が見た灰色と白髪の生首というのは、この二つの内のどちらか、ということですか」
「そうです。その二つ、あるいは、どちらでも無いのかもしれません。とにかく今日。幽霊は当初からの予定を決行すべく、隠してあった洗濯物を取りに窓辺へと行きました。しかし、ここで幽霊にとって予想外の事が起きた。幽霊にとって苦手なものが突然現れたのです。洗い場のエマというご婦人はこう言っていたそうですね。干していた洗濯物が移動していると。洗濯物を散らかした犯人と、生首を動かした正体は同じ動物ですよ」
「動物? もしかして……リスですか」
「そうです。意外とリスは物覚えが良い動物なんです。特に、自分の利益になる事ならばね。私も、ここに来て知ったことですが」
「彼らは洗い場の洗濯紐を伝って、厨房の中を覗けることを覚えていた。餌を持ってきてくれる人物が、普段からその道筋を歩くからです。そうやってリス達が厨房を覗いていた時、偶然上に見知った人物を見つけた。そちらから餌を貰った方が楽だと考えたリス達は洗濯紐からプラタナスへ、そして三階の窓辺へと飛び移った。実際には何匹いたか知りませんが。その内の何匹かは慌てて走ったせいで、洗濯物にひっかかってしまった。皆さんは窓に飛び移り、壁を昇ったリスを、生首と見間違えたのです。幽霊は窓辺のリスを見て悲鳴をあげて逃げ出した。そして、手に持っていた頭巾と雑巾。両方を外へ放り投げた」
ナンシーが僕を見た。そうして不思議そうな顔で首を傾げた。僕としては……もう乾いた笑いしか出てこない。




