幕間七 人形
ジェイコブの視線をつき刺したまま、ナンシーが前へと進み出た。美人な彼女にとって、自分に向けられる熱い視線なんて、呼吸と一緒で日常的なことなのかもしれない。
「探偵。私とリチャード君は生首狩りの途中なんです。邪魔をしないで下さい」
「ナンシー……」
僕をかばうように立ったワインレッドのドレスの背中が頼もしい。そして此方の胃の腑を圧迫してくる威圧感。この圧力を乗り越え、彼女に声をかける猛者が果たして何人いるのだろうか?
敵にまわしてはいけない。絶対に。心の中で誓う。
ここに来て、僕は思ったよりナンシーに親近感を覚えているのかもしれないと思った。昔のエルメダ姉さんにどことなく似ているせいかもしれない。
「シスター・ナンシー。今日もご機嫌麗しくないようですね。失礼ですが、いま、何とおっしゃいました? 気の所為でなければ生首、と。そう聞こえたのですが?」
ナンシーのおかげだろうか。次に僕が見た時には、普段通りのレイヴンに戻っていた。挨拶はいつもより少し早口だったけれど、皮肉を言えるのなら安心だ。ところで、僕達。少し生首生首と言い過ぎではないだろうか。
「まぎれもなく、生首と。そう言いました。院長から依頼を受けて、私達はこの病院に出る生首の謎を解いている途中なのです。いつまでも探偵が自分一人だと思っていたら、大間違いですよ」
「ほう?」
ナンシーからの宣戦布告に、レイヴンは面白そうに眉を上げた。そして……どういう訳か、僕を見た。
「私達ということは、リチャードも貴女と一緒に生首狩りをしているのですか?」
「えぇ、その通りです。大切な目撃者でもあります」
「目撃者。一体何を見たというんですか。空飛ぶ生首でも見たとでも言うのですか?」
「そうです」
「ハッ、それで必死に生首を探していると。バカバカしい」
「……何ですって?」
ナンシーつっかからないで! レイヴンも煽らないで!
「二人とも! 落ち着いて!」
もう見ていられなかった。二人の間で火花が散っている。こういう時、場を和ませる為に「やめて、私の為に争わないで」というセリフが作られたらしいけれど、これ実際に言ったら怒りの矛先を向けられて酷い目にあうんじゃないかな!? どういう時に使うのか、もう一度今度詳しく教えてもらおう!
そうだ、まだ口を開いていない人がいるじゃないか。話の対象を彼に持っていくべきだ。
「ところで、ジェイコブ先生はどうして此処にいるんですか!?」
「う、うん?」
呼びかけられて、レイヴンの隣でボンヤリしていたジェイコブがようやく声を出した。しかし明らかに様子がおかしい。
「あの、先生?」
「起きている」
明らかに起きてないです。間違いなく上の空です。
「ジェイコブ?」
さすがに、レイヴンも隣でぼーっとし続ける男の異常を察した。ジェイコブはそんなレイヴンを押し退け、手にしていたクマの人形を迷うことなくナンシーに差し出した。
「これを……どうぞ」
「あっ、それ僕のクマ!?」
見覚えのあるクマに思わず声を出してしまった。我に返った時には遅く、見つめてくる三者三様の視線が痛い。う、うん! この歳になってクマはないな! かなり恥ずかしい!
「な、何でもないよ。どうぞ続けて」
バクバク動く心臓が痛い。
「クマはいりません」
「しかし」
「いりません」
「そ、そうか。いや、そうですか」
ジェイコブはしょんぼりと、ほんの少しだけしょんぼりと項垂れた。そしてクマを小脇に抱えなおした。
あれ、やっぱり僕のクマだ。首元の蝶ネクタイに見覚えがあるし、足の裏にイニシャルが縫い付けてある。
「……申し訳ありませんが、いま必要になりました」
気が変わったのか、突然ナンシーが掌を差し出した。どちらかといえば雑な動作でクマを受け取った彼女は、そのまま一八〇度回転して僕の腕の中にそれを押し付けた。
「どうぞ」
「えっと?」
「? これは、貴方のクマなんでしょう。見つかって良かったですね」
「あ、あぁ。そう、そうだね」
信じられない気持ちで、手の中のクマを見た。
「言ったでしょう? 私も、毛の生えた生き物が好きだと。例え何歳であろうとも、好きなものは好きなんだと、そう思う事に罪はありません」
まさか、もう一度会えるなんて思わなかった。僕はそっと、渡されたクマを抱いた。
「本当にありがとう、ナンシー」
一方でレイヴンが何やら考え込んでいた。いまレイヴンに考える時間を与えるのはまずい。この人なら一瞬で生首の真相どころか、僕の正体すら突き止めてしまう。何か、彼の気をそらす話題はないだろうか。
「ところでジェイコブ医師。彼に見覚えは?」
僕の思考を遮るように、レイヴンがジェイコブの肘を突いた。
「あ、あぁ。そう言われてみれば、見覚えのあるような……?」
そう言いながら、ジェイコブの視線はナンシーを追っている。ナンシーは左右に揺れてジェイコブの視線が自分を追っている事に気付くと、素早く僕の背後に回り込んだ。するとジェイコブの視線が僕とかち合う。彼は驚きに目を見開いた。
「お前は! あの時の酔っ払い!」
「うん、先生が周りをまったく見てなかった事だけはよく分かった!」
僕のクマすら意識していなかった事もよく分かった!
「何故こんなところに!?」
「さっきからいたよ!?」
僕がジェイコブに気をとられている間に、いつの間にかレイヴンがナンシーの傍に歩み寄っていた。理由は違えど僕とジェイコブが同時にあっ、と声を出す。しまった、彼の気をそらせようとしたのに。こっちがひっかかった!
「ところでシスター・ナンシー。その生首狩りについて、興味が沸いてきました。よければ、詳細を聞かせてもらえませんか?」
「話を聞く気になったのですか?」
レイヴンは素敵な笑顔を浮かべながら、生首狩りに興味を示している。しかしナンシー相手なら、女性相手に絶大な威力をほこる微笑みも意味をなさない。事実、彼女は突然態度を急変させたレイヴンに対して疑念を抱いている。さあ、どうする!?
「はい。お願いですから、シスター・ナンシー。教えて頂けませんか?」
微笑みではなく、レイヴンからの「お願い」の一言が魔法のようにナンシーの心を動かした。
「仕方ありません。教えてあげましょう」
「ね、ねぇ。ナンシー……」
「何でしょう?」
純粋な眼差しを此方に向けるナンシーをこれ以上誤魔化せない。
「ううん。何でもない」
僕はクマを抱えたまま、すごすごと引き下がった。
ナンシーは今までのことを、レイヴンに話した。
僕が窓辺で誰かの悲鳴を聞いた事、シスター・チェルシーが発見した僕の死体ごっこ。シスター・ジェーンの見事な悲鳴やナンシーと一緒にマザーから生首事件の調査を命じられた事について、順番に話していった。僕たちの調査や思ったことはすべて、レイヴンに伝わったと思う。
一通りの話をレイヴンが聞き終える頃、周囲には枝から降りて来たリスの姿がちらほらとあった。
中には未だに餌を出さない僕に対して、不満げに髪の毛をひっぱって催促してくる子もいた。ごめんよ、髪の中にもビスケットは無いんだ。
ジェイコブは……諦めずに何度もナンシーに話しかけては弾かれている。必死に気の利いた事を言おうとしては自爆していた。だから奥さんに逃げられるんだよ、とは言えない。僕だってそれくらいの気は使う。
「調べたのは、それで全部ですか?」
「はい」
「そうですか」
沈黙したレイヴンに向かって、ナンシーが不満げに口を尖らせる。
「何ですか。その『真相が心底どうでもいいことに気が付いてしまったけれど、此方から聞いてしまった手前このまま黙っている訳にもいかずに素直に言っていいか迷って胃を痛めている』ような顔は」
「ナンシー、凄い。それ多分合ってる」
言われてみればレイヴンは確かにそんな顔をしていた。確認しようとレイヴンの顔をもう一度見れば、美形が台無しの酷い顔をしていた。ナンシーが言うところの「胃を痛めている」顔を三倍は酷くした表情だ。
「で、何が分かったのですか?」
そう言うナンシーは「不機嫌を装ってはいるが、本当は何を突き止めたのか知りたいとワクワクした」顔でレイヴンへ詰め寄っている。彼女を片手で留め、レイヴンはどうでもいいような口ぶりで答えた。
「分かりました、率直に申し上げましょう。今回の生首騒ぎ。犯人は幽霊です」




