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犯人は僕でした  作者: 駒米たも
本編
90/174

幕間四 洗濯

「それから」

 ナンシーは咳払いをした。その後数秒沈黙し、時は来たと言わんばかりに目を見開いた。

「ミスター・レイヴンに一泡吹かせたいのです」


 そこか。やはりそこなのか。頭と胃を押さえる。気のせいかもしれないが最近、部分的にキリキリ痛む。


「ねぇ、そろそろ認めてあげてもいいんじゃないかな」

「いいえダメです。何ですか、探偵という職業は。事件の度に首をつっこんで、関係者に話を聞いたり、謎を解いたり、証拠を集めたり、犯人と格闘したり、馬車で追いかけたりとやりたい放題ではありませんか。最終的には容疑者を集めてムダに個人情報を暴いてシレっとした顔をして去って行くのでしょう? えぇ、彼の事件は調べました。新聞もあるだけ切り抜きました。私はいま、非常に悔しい思いを抱いています。なので、神の身許に逝くことのできない哀れな魂は、とりあえず私の八つ当たりを受け止める義務があるのです」

「なのでの使い方も、とりあえずの使い方もおかしいよ。素直に彼に興味があるって言えばいいじゃないか」

「違います。彼個人に対して全然まったくこれっぽちも興味はありません」

「もし彼が手書きの署名をくれるって言ったら?」

「もらいます」


 溜めこんでいた鬱憤を晴らすかのように、ナンシーの口は滑らかに動く。怖いのは、その間、表情が一つも動かないところだ。

 彼女は探偵の仕事を勘違いしている。僕が尊敬している探偵、レイヴンはロンドンでも有名な私立探偵だ。つい数週間前。彼女はレイヴンの仕事を間近でみる機会があった。それ以来激しいライバル意識を燃やしている。


 もしかしたら、探偵と言う職業に憧れているだけかもしれない。彼女は見た目の複雑さから色々と意味深な発言を繰り返しているように思えるけれど、ただ普通に、本当に、悲しいほど、自分に正直に生きているだけだ。羨ましいような。身近にその権化というべき例がいるから止めて欲しいような。


 金釘で止められていたはずの窓をあっさり開けたナンシーは下を覗いた。広々とした解放感と、涼し気な風が吹き込んでくる。窓税対策のため小さく姿を変えていた窓は本来の形を取り戻した。さようなら、吹っ飛んだ釘。願わくば、下を歩いている誰にも当たりませんように。


「高さがありますね」

「三階だからね」

 すぐ真下で葉を茂らせるプラタナスの枝の鮮やかな緑を楽しみながら、芝生の広がる中庭を覗き込んだ。

 修道院を改装して作られたこの病院は四階建てで、棒状の四つの棟が□の形に建っている。それぞれに特徴のある患者さんが集められていて、僕達の居る第四棟はいわゆる「訳アリ」病棟と呼ばれていた。


 特に四階は政治家や海外の賓客といった新聞を騒がせる人達がお忍びで入院しているらしいが、実際に会ったことはない。お互いの為にも、その方がいいだろう。

 左に隣接している第一病棟は比較的重度の入院患者さんや、容体が安定していない患者さんが集められている。地下に死体安置室が設置されているのは、笑えないジョークだ。

 真向いに位置する第二病棟は別名窓口病棟。来院する患者さんの診察室があるため、病院の中では一番忙しく、人口密度が高い。入院期間が短い患者さんの為の集合部屋があり、薬品室もここにあるという話だ。

 右手の第三病棟。僕は生活準備棟と呼んでいる。一階には洗濯室や礼拝堂。談話室や厨房なんかもある。動ける患者さんは食堂に集まってお昼を食べてもいいらしい。「絶対無言、絶対安静」な雰囲気の中では比較的和やかな空気をもつ病棟だ。大抵、洗濯物が干してある。

 ちなみに僕の病室は四棟三階。二階には図書室があるから人の出入りがあるけれど、三階はいつも静かで人気が無い。四棟は金持ち専用の病室、とでも言えばいいだろうか。僕の知人が固まっている気もするが、そこは仕方ないかもしれない。


 下を眺めて満足したのか、ナンシーは唇に人差し指を当てた。少しだけ可愛いとか思ったのは内緒だ。


「ボールを投げたら届く距離ですね。もしかしたら皆さんボールと見間違えたのですか?」

「いやいやいやいや!!」

 流石にそれは無理がある。普通の人は三階までボールを投げ飛ばさない。訂正。投げ飛ばせない。


「では実験です。ボールはどこですか?」

「ボール無いから! 繰り返すけど、ここは病院だから! 待って! 置いて行かないで! マザー・エルンコット、僕一人では彼女を止められません! 明らかに止める人、人選ミスってます。だから助けて!」




「そういう訳ですので、お隣の孤児院からボールを借りて参りました」

「ごめんねー! 後でちゃんと返すからねー! っていうか、直ぐに返すからねー! 皆、ごめんねーっ!!」

 僕が飛び出したナンシーを追いかけ、中庭に着いた時。彼女はちょうど隣の孤児院から帰ってきたところだった。明日から、病院の幽霊話が一つ増えるかもしれない。題名は、高速で移動するドレスの幽霊。

 それと気の所為でなければ、外と中庭を繋ぐ外廊下に恐怖に満ちた眼差しの子供達がずらりと並んでいる。今はボールを投げるよりも、彼らの遊具を奪ってしまったことに対して謝るほうが先決だ。


 その手にあるボールはちょうどナンシーの小ぶりな頭ほどの大きさで、動物の皮が貼られた歪な形は、確かに僕が見た生首と同じようにも見えた。

「この辺り、ですね。とうっ」

 件の窓を探し、下からボールを放り投げるナンシーは可愛かった。上を見上げた時、帽子が落ちないように手で押さえる様子も可愛かった。

 しかし手遊びをするように放り投げたボールは、可愛らしい掛け声に反して爆発でもしたかのように吹っ飛んでいく。その点は可愛らしくなかった。飛んでいく高さがおかしい。何故だ。大して力を入れているようには見えなかったんだけど。


 ボールは三階の窓に届くかと思われた。けれど、その手前。二階の窓辺近くに枝を茂らせていたプラタナスの葉の中にモスッと音を立てて突き刺さる。驚いた小鳥が世紀末のような悲鳴をあげて一斉に枝から飛び立っていった。


 しばらく待っていると、ボールが音を立てて足元に落ちてきた。転がったそれを拾い上げ、ナンシーが確信を得た顔で呟く。


「あの枝に潜み、生首を投げれば三階の窓に届きそうですね」

「ナンシー。分かっているとは思うけど、一応言っておくね。それ、人間には不可能な芸当だからね」

 この高い木に登り、細い枝の先に命がけで潜んで悪戯を仕掛ける人なんて絶対にいないし、やろうとも思わないだろう。それだけは断言できる。

「では実験です」

「お願いですから止めて下さい」

 訂正。一人、いた。


 そんな言い争いとも言えない、必死の説得を繰り返していると、空からヒラヒラと白いものが降ってきた。僕の頭に乗っかった、その柔らかい物体をナンシーが広げる。

「洗濯物?」

 それはシスター達が被っている、白い頭巾だった。ずり下がった眼鏡をかけ直しながら、僕も確認した。

「ちょっと土や煤で汚れているけど、此処の人がかぶっている頭巾だね」

「何で降ってきたんでしょう」

「さぁ、風に飛ばされて、枝にでもひっかかっていたんじゃないかな」

「風で飛ばされたにしては、随分と高い位置ですが」

「そうだね」

 二人で見上げてみると、プラタナスの枝には他にもひっかかっていた。

「ナンシー、あのさ」

「全て叩き落としてみせます。イエス、アイキャン」


 皮のボールを両手で構えながらとんでもない事を言い放つ彼女は頼もしく見えた。でもね、僕が思ったのは三階に戻って上から回収しようって事だったんだ。此処から見える全てを下からボールで撃ち落とそうなんて、誰が考える?


 ボールを孤児院の子供達に返した後、僕達は芝生の上に座り込んで戦果を眺めていた。

「ハンカチが一枚、雑巾が一枚、頭巾が二枚、これは、何だろう? 変な形だ」

「貴方が広げながら凝視しているそれは女性用のパンツです」

「うわあ! 僕、見てない! 見てない!」 

「押し付けながら言われても困ります。見ずに肌触りだけ楽しむということですか」

「楽しんでない!」


 結局、プラタナスの枝からは大量の洗濯物が降ってきた。なんであんな高いところにある枝に洗濯物がまとまって引っかかっていたのか、謎は深まるばかりだ。

「みなさん、風に飛ばされた洗濯物を幽霊と見間違えたのでは?」

 言われてみればそんな気もするし、少し違っていた気もする。

「とにかく、洗濯場に持っていってあげようよ」

「パンツはどうしますか? 持ちますか?」

「パンツはナンシーが持って行ってあげて! 持ち主の為にも、僕の為にも! 見てないってば!」



「エマさーん!」

 第三病棟前の洗い場は、まさに戦場だった。みんな、僕達を気にするより洗濯物を干す事に命をかけている。そんな中、中庭に繋がる洗濯室に見知った顔を見つける。相手も気づいたようで、赤ら顔のまま笑顔をみせてくれた。

「あら、リチャードじゃないか。相変わらず鶏ガラみたいに細いねぇ。ちゃんと食べてる? あとで厨房のダマスさんのとこに寄ってやんな。最近、あんたの姿を見ない、って気にしてたよ」

 後ろに一つで結んだ赤毛に、豪快な二の腕。汗ばんだ額と笑い皺からは、溢れ出るような健康さが見え隠れしている。見るからに肝っ玉母ちゃんといった風貌のエマさんは、ここいらの洗濯物屋の中でも腕利きの一人だ。もう五十に近い歳なのにそうは見えない。漁師の旦那さんがいるのだけど、彼も豪快で気持ちの良い人だ。


「後ろのスッゴイ美人は、コレかい? 朴念仁に見えて、とっかえひっかえ。アンタもちゃんと男だったんだねぇ。おばちゃんから言えるのは、恋人はちゃんと誰か一人に絞るんだよって事だけさぁ」


 エマさんは手を泡だらけにしたまま、ニカッと歯をむき出して笑った。ナンシーと僕が恋人に見えたって事だろうか? 勝手に顔が熱くなる。


「からかわないでよ。友達なんだ」

「まぁ、そういう事にしておいてあげるよ。で、何の用だい?」

「女将、木の枝に洗濯物がひっかかっていました」


 ナンシーが洗濯物をエマさんに渡した。動じているのが僕一人だけで、何となく悔しい。女将じゃないんだけどねぇと言いながら、エマさんは僕達の持ってきた洗濯物を見て大げさに首を振った。


「リチャード。あんたもしかして下着愛好家……」

「誤解だってば!」

「冗談だよ。見つけてくれてありがとうね。ここ最近、洗濯物が無くなることが多くて助かったよ」

「多いのですか」

 ナンシーの眼が光ったような気がした。そうさぁとエマさんは手を動かしながら頷いた。

「干してた洗濯物が、いつの間にか他所に移動してるってね。どれも小さな洗濯物ばかりだから、風で飛ばされたのかと最初は思ったけど、それにしても数が多い。悪戯だとしたら、こっちは良い迷惑だよ。さぁさぁ、あんた達も仕事の邪魔はこれでお終いだ。晴れている内が勝負だからね、ぐずぐずしてたら二人とも全身洗っちまうよ!」



窓税:窓の大きさ、数にかけられたおもしろ税金。世界的に存在するが、英国のものは有名。1851年ロンドン万博にともない廃止。当時ガラスは高級品であった為に上流、中流階級といった富裕層から徴収する目的で設立されたが、実際には労働者階級からも窓税は搾取された。貧民街では窓が木板で打ち付けられ、節税のため地下の使用人部屋に窓が作られる事もなかった。労働者の日光不足によるビタミン欠乏、衛生環境の悪化、悪臭、犯罪の隠蔽/増加といった問題の間接的な要因になったのではないか、とも言われている。

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