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犯人は僕でした  作者: 駒米たも
本編
89/174

幕間三 大変

「出ました、院長! 処刑された修道女の霊が! 窓の! 外に!」


 血相をかけて院長室へ駆け込んで来たシスター・ジェーンを、マザー・エルンコットは普段通りの笑みで迎え入れた。その眼には少しばかり「ノックをして欲しかった」という失望の色が浮かんでいたが、興奮しきったシスター・ジェーンに伝わる様子はない。


「あらあら、まぁまぁ。それは大変ねぇ」


 院長室は、白一色で整えられた病院の他の部屋とは違い、穏やかな色彩で満ちていた。

 来客の為に設えられた応接セットの下には豪華な絨毯が敷かれ、四方に広がる書棚には布で装丁された医学書が所狭しと並んでいる。


 そこは院長室というより書斎と応接間と趣味と実益を兼ね供えた空間と言った方が正しい。部屋の片隅にある厳重に鍵がかけられた薬品棚や、書き物机の上に乗った得体の知れない生き物の骨格標本が無ければ、病院であることすら忘れてしまうだろう。


 マザーはシスター・ジェーンの背後で心許なく立っている僕らに気づいた。その目が「珍しい組み合わせね」と語っている。マザー・エルンコットの視線を受け、背中を向けていた長いプラチナブロンドの女性が振り向いた。


 つばの広いベージュの帽子、シフォンのレーススカーフ、ワインレッドのドレス。等身大のフランス人形を思わせる風貌の彼女は、汗もかかずに涼しい顔でクルミ材の椅子に座っていた。


「紹介するわ。此方、私の孫のシスター・ナンシーよ。シスター・ナンシー、此方は看護師長のシスター・ジェーンです。とても頼りになるのよ」

「初めまして。お会いできて光栄です、シスター・ジェーン」


 シスター・ナンシーは立ち上がると、これ以上ないほどの棒読みで軽く会釈をして見せた。その間、仮面のように固まった表情が動く事はない。


 来客の存在を間近で見て冷静になったのか。それともシスター・ナンシーの現実離れした美貌が、強い気つけ薬になったのか。シスター・ジェーンの瞳からみるみる熱狂の色が抜けていく。


「始めまして。シスター・ジェーンと申します。院長のお孫さんが来ているとは知らされておりませんでしたわ」

「此方から突然押しかけました。無作法をお詫びいたします」


 大げさすぎるほど驚いてみせたシスター・ジェーンが、己の失態を誤魔化そうとしているのは誰の目にも明らかだった。隣のシスター・チェルシーが必死に笑いをかみ殺しているので、シスター・ジェーンに悟られる前に止めなさいと視線で伝えておく。


「それで、何が窓の外にいたと?」

「生首ですよ!」


 マザー・エルンコットの質問に、シスター・ジェーンはヒステリックに応えた。けれどそれは先程の混乱混じりのものではなく、普段の冷静なシスター・ジェーンの怒鳴り声に近かった。


「院長も嘘だと思っているのでしょう? しかし私の他にも二人が目撃しているのです。やはりここには修道女の霊がいるのですよ! よくは見えませんでしたが、間違いなくそうでした!」


「何でよく見えないのに断言しちゃうのかなぁ」

「そこはほら、シスター・ジェーンだからね。今更引き下がれなくなったというか」

 そんな会話をしながら後ろの方でヒソヒソ傍観者を決めこんでいた僕とシスター・チェルシーだったが、突然前へと引きずり出された。

 シスター・ナンシーも僕達の存在には気がついていた様で「どうもこんにちは」と形式的な挨拶を口にし、僕らもそれに倣う。


 シスター・ジェーンと比べると、その場に居た人全員が冷静に見えた。いや、シスター・ナンシーを見て頬を染めたシスター・チェルシーは意外と冷静では無かったかも。あれは舞台女優を見て興奮する、熱狂的なファンの瞳だ。僕知ってる。


「分かりました。この件に関しましては私が引き継ぎます。シスター・ジェーンは仕事があるでしょうから、もう下がって結構ですよ」

「しかし、院長」

「下がって、結構ですよ?」


 なおも食い下がろうとしたシスター・ジェーンを、マザー・エルンコットは笑顔で押し返した。シスター・ジェーンは一度だけ悔しそうな顔で僕達を睨みつけると、失礼します! と鼻息荒く院長室から出て行った。勢いよく閉まる扉を無視して「それで」とマザーが口を開いた。その顔は非常に穏やかだ。


「リチャードさんも窓の外に首を見たのですか?」

「本当はよく分かりません。何かを窓の外で見たのは本当です。その、人の頭っぽい何かを」


 僕の答えに大きく頷き、マザーは次にシスター・チェルシーを見た。


「シスター・チェルシーも、同じ意見ですか?」


「はい。リチャードさんが窓の外を見て悲鳴をあげたので、私も窓の外を見ました。そうしたら、下から生首が飛び出して来たんです。モップみたいな灰色の長い髪で、干からびたオレンジみたいな顔でした。廊下の向こうではリチャードさんが倒れてしまって、そっちに気を取られている内に生首は消えてしまいました。でもでも、シスター・ジェーンのお説教を受けている内に再び生首が現れたんです!」

「それで、皆で私の部屋に飛び込んで来たのね」

 身ぶり手振りを交えて説明するシスター・チェルシーも、その隣で頷いている僕も、現実味のないことを言っている自覚はある。けれどそんな事を気にした様子もなく、マザーは言った。


「ちょうど良いタイミングだったわ」


 何がちょうど良いのだろう。ぞわりと背中が泡立った。不吉だ。不吉な感じのする、一言だ。 


「そうは思いませんか? ナンシー」

「そうですね。思います」

 淡々とした表情のまま、マザーの言葉にシスター・ナンシーが同意した。

「ところで、リチャードさん。今から暇ですよね?」


 嫌な予感だけは、よく当たる。その後シスター・ナンシーが告げた言葉は実に恐ろしいものだった。



 -----------



「幽霊調査って僕達がやらないとダメかなー!? 他に適任がいると思うんだけどなー!?」


 院長室でシスター・チェルシーとマザー・エルンコットと別れてから、僕らは速足で廊下を歩いていた。しかもド真ん中を颯爽と。すれ違うシスター達が何事かと振り返る。逃げたくとも、しっかりと握りしめられている手首がまったく動かない。逃げられる気が、しない。


「僕らは、病院の部外者だよ!?」

「部外者だろうと、当事者だろうと、こういうのは早い者勝ち、首をつっこんだ者勝ちです。首だけに。万が一、相手が本物の幽霊や生首だったらどうするんですか。他の人に回し蹴りができるとでも?」

「回し蹴り!? いま、回し蹴りって言った!?」

「まずは現場に向かいましょう。調査の基本は現場です。俄然盛り上がってきましたね」

「答えになってないし、盛り上がっているのは君一人だけだよ!? 盛り上がる要素はどこ!? それだけでも知りたい! 今後の参考の為に!」


 シスター・ナンシーはまったく歩調を緩めないまま、遅れて歩く僕をしっかりと見つめる。その真剣なまなざしに、一瞬息をのんで見とれた。


「今日はお休みの日なので、どうぞ、ただのナンシーと呼んでください」

「そこ!? 反応するのは、そこだけなの!? あのね、ナンシー! 僕、一応、此処の患者なんだよ!?」


 叫び過ぎで喉が痛くなってきた。


「脱走常連になるほど回復されているのは既に分かっております、おめでとうございますリチャード君。ほらほら、だっこされるのが嫌なら、キリキリと歩いてください」

「ヒィ! すみません、キリキリ歩きます!」


 ドレス姿の令嬢、しかも見た目だけなら深窓、薄幸、病弱といった印象のシスターに抱きかかえられる自分の姿を想像して鳥肌が立った。シスター……ナンシーとはエルマー家晩餐会の日に出会った。それからも、何度か病院で鉢合わせしている。その度に思うのは、彼女は見た目通りの性格じゃないってこと。一度火がつくと梃子でも動かない頑固さをもっているってこと。

 もうおうちに帰りたい。空いてる片手で顔を覆ったところで、気になる事があった。


「ところでシス……ナンシー。今日はどうして病院に来たの? どこか怪我でもしたの。それとも誰かのお見舞いに?」

「そういう訳ではありません。ただ、おばあさまから面白い噂を聞きまして」

「噂?」


 問題の窓に到着するなり、彼女は優雅に振り返った。さっき僕が前で倒れていたのと同じ窓辺だとは思えない。ナンシーのドレスの裾がふわりと浮かび、プラチナブロンドが窓辺から差し込む太陽の光を吸い込んでいる。それは幻想的な美しさだった。


「病院に出るという幽霊の噂です。私の拳が霊に通用するのかを試す、絶好の機会だと思いませんか?」

「良いタイミングってこの事か! 思いません! 病院です! ここは病院です! 怪我や病気を治す場所であって、怪我をさせる場所ではありません!!」


 喋らなければ絵画のように儚く、喋らなければ神秘的な神々しさすら感じさせたのに。

 それがシスターではなく、ナンシー・クロードという女性。僕はもう色々と諦めて彼女に付き合うことにした。人生、諦めが肝心だ。


 ああ、良い天気だ。日が出ている内なら幽霊を追いかけても怖くはない。そうそう、英国では幽霊を追いかける人をゴーストハンターと言うのに、アメリカではゴーストバスターって言うのは何故なんだろうね――……。

 



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