第七十七幕 交代
「 」
「違うって言ってるだろ!」
勝手に口が動いて、彼の苗字を呼んだ。それがウィリアムをさらに怒らせてしまったようだ。
何が違うというのだろう。彼はさきほどから何かを叫んでいるようなのだけれど、何と言ってるのか。音声のボリュームが大きすぎて上手く聞き取れない。癇癪を起して号泣する赤子の泣き声がそれに近い。耳が痛い。頭がいたい。少し声量下げてもらえないかな?
玄関の扉は開きっ放しなので、ご近所迷惑もはなはだしい。早く誰か警察呼んでくださーい。ここに居ますよー。指名手配犯が警察署長の家に居ま、ガハッ!
ちょっと肩踏まないで。リズミカルに踏まないで。その辺痛いとこだから。頸椎とか鎖骨、折れちゃうかギャフッ。
「オレはトマスだ。ウィリアム・トマス・ライン。オレこそ、正式なライン跡取り!」
そうなの?
「なのにあのクソ野郎は認めないと言いやがった! お前もかよ。畜生、この、薄汚い、横取り野郎が! 後から来た癖に大きな顔しやがって。オレの場所を返せよ!」
ただの言いがかりだった!
蹴りが止んだ。いよいよ意識が遠い。その上自分の聞く力にも疑問が出てきた。誰が認めないって言った?
「ケホッ?」
「あのクソ野郎、執事服を着たインドの男の事だ! 心当たりがあるんだろう」
「ぎッ」
はい、あります、あります。うちの執事さんだと思います。ほら、また蹴る! オーバーキル、死体蹴りは反則だって誰か言ってやってくれ。
断片的な話を繋ぎ合わせたり、今のウィリアムの恰好から察するに、ネリーさんがウィリアムと一戦交えて、何か怒らせるような事を言ったらしいね。あっはっは、ざまぁみろー! 指さして笑ってやりたいところだけど、今は無理なのでこっそり笑うよ、はっはっは。
ウィリアムが怪我だらけで此処にいるってことは、きっとネリーさんが良い仕事をしたのだろう。殺人を終えてから戻ってきたのなら、もう少し遅くなるはずだ。人を一人解体してきたようには見えない。どうやって見つけたかは知らないけれど、できる部下を持てて幸せです。
笑ったのが気配で通じたのか、最初に折られた手を踏まれた。そっちはもっと反則だ。
「あ、ああああああ!!!」
ご近所の皆さま、深夜の大絶叫。大変ご迷惑をかけております。様子は見に来なくていいよ、犠牲者増えるからね。警察の人は様子を見に来てね。早急かつ速やかに助けて下さい。
「あは、お前が何を勘違いしてるか知らないけど、あいつが生きてるとでも思ってるのか? あのインド野郎の失敗はな、オレの事を生きたまま捕まえようとしたことさ」
「え?」
固まった。
「ああ、そうさ。殺したよ。殺してやった。窓から落ちて、内臓を床にばらまきながら、それでも追いかけてきた。今頃、一人で冷たくなってんじゃないか」
そうか。ネリーさんは、やられてしまったのか。とは言っても、それがどういう意味なのか理解できない。理解したくないので拒んでいる。
髪の毛ごとつかまれて上を向くと、淡い琥珀色と視線がかち合った。見せびらかすようにナイフを掲げているのが大変それっぽい。つまり、彼は僕によく似ている。いや、トマスによく似ているんだ。
容姿も、被害者のタイプも、凶器も、性格がコロコロ変化するところも。この奇妙な一致は偶然じゃない。ウィリアムはリチャードと似たような経緯を辿って確立された「父親の息子」の一人だという可能性が高い。父親の下半身事情に対して、物申したい。
けれど、トマスではない。違いの一つ。ウィリアムは殺人に対して一種の義務感を持って挑んでいる。トマスにとって殺人とはただの娯楽、スポーツだ。楽しんでやるし、失敗したときは諦めてガッカリする。
そしてわざわざ妊婦を狙って胎児を切り取るという点。相当なメッセージ性を感じる。トマスにとって獲物の身体を切り開くのは、叫ぶから面白いだとか、意外と死なないから怖がる様子が楽しめるだとか、遊びに夢中になっていたらいつの間にか開いていたという、結果に過ぎない。中には皮を剥いでいたのもあったし、熱湯につけ続けていたのもあった。心が弱っているので今はそれ以上思い出したくないが、被害者は妊婦だけではなかった。
最後に、彼はトマスだと言いながら同時にウィリアムである事を自称している点。これが一番大きな違いだ。トマスである時は他の誰でも無い。父親そのものになる筈だから。
「いいか。あいつは白人じゃない。属国の奴隷だ。死んでも悲しむ奴なんて誰もいない。お前もあいつと一緒だ、リチャード。死んでも、誰も、悲しまない」
囁くように彼は言った。奴隷? 誰もいない? いいや。それは違うよ、ウィリアム。少なくとも僕はネリーさんの事を奴隷だと思っていない。陽気で、ぶっちゃけ気味な、何考えているか読めないイケてる中年家令だと思っている。
もしかしたらネリーさんを殺したというのはウィリアムの勘違いかもしれない。
そうであって欲しい。だって、あのネリーさんだから。「実は死んだふりをしておりました。正直こうも簡単に騙されるとは思っても見ませんでしたよ。最近の殺人鬼は教育もなっていないのですかなハッハッハ」なんて言いながらどこかから飄々と現れそうな、そんな気がするんだ。笑うなよ。笑えないだろ。
左手を後ろに回す。腰に挟んである縄は、あれだけ蹴られたにも関わらず、ちゃんとそこにあった。
「エルメダがお前のことを殺すと言っていたから我慢してたけどさ、もう我慢の限界だ。あの執事と同じように消してやる。そうしたら、僕がトマスになれるもの。僕がパパの代わりになれる!」
エルメダさんが僕を殺すと言ったのか、本当に? 嘘だと思いたいけれど、嘘だとも言いきれない。
考えても考えても、分からない。なんで、この子はそんなにトマスにこだわる? ファザコンなのかな。エルメダさんとはどういう関係なんだろう。
いくら似せようとしたところで、君はトマスになれない。妄信的な信者には、なれるだろうけどね。
もう何を考えたらいいのかすら、分からなくなってきた。だから一つ、言ってもいいだろうか。
「知るか!」
そんなに欲しけりゃトマスなんぞ、熨斗つけてくれてやるわ!
左手に持った牛追い鞭のグリップを、傍にいたウィリアムのコメカミに叩きつけた。細身の体は絨毯を滑りながら倒れる。二度振ると、左手の棍は鞭へと形を変えた。
「テメェ、何で動けるんだよ……」
知らないよ、こっちが知りたいくらいだ。何したんだよ、君。
手の甲で鼻血を拭ったウィリアムが、ナイフを横に構える。此方も立ち上がる。鞭で人を叩いても滅多なことでは死なない。構えたのは、どちらかといえば防御のためだ。
跳躍して距離をつめてきた彼に向かって、鞭の切っ先を上から降り下ろす。山形の軌道を描いたそれはウィリアムの右腕に当たった。けれど彼はナイフを取り落さない。相手の視線が「勝った」と告げている。
シューティングという技法は本来、的に当てる事を目的としている。けれども、しばしば副産物を生み出す。例えば今回のように、鞭が遠心力に従って的に巻き付く事もよくあること。上級者になれば、狙った物を手元に引き寄せる事だって出来る。僕はまだ出来ないけれど、力づくで似たような結果は引き起こせる。
手首に巻き付いた縄は、ナイフごとウィリアムの右腕を覆った。離さない。絶対に許さない。
焦って距離を取ろうとしたウィリアムを、無理矢理此方へと引き寄せた。一見すると地引網漁。ただし命がけ。
体格にはこちらに分がある。貧弱対華奢の対決だ。どっちがマシかというと……どっちもどっち。利き手が使えず、左手も血で滑って上手く鞭をコントロールできない以上、早めに相手を無力化しないと負けるのは此方だ。
暴れるウィリアムの背後に回り込みグリップ部分を首に当てる。当てるという柔らかい表現を使ったが、背後から首を押さえつけて絞めている。グリップの両脇を両手では握れないので、右肘で挟んで相手の首に押しあてるという強引な手法。良い子は真似しちゃダメだよ、早く落ちろおおおおおお!!!
そんな時、左の肘に違和感があった。
そう、ちょうどウィリアムの胸辺り。なんか、その、あの、ムニッとしたんですけど?
「えっ?」
手にした感触を確かめる為に視線を動かすと、ゆっくりと腹に銀色の刃が刺さっていくのが見えた。ぶらりとぶら下がったままのウィリアムの左手から。
世界がスローで動く。口から血を吐くのは、どういう時だったか。映画では結構頻繁に軽々しく出血するのだけれど。
足に力が入らず、膝から崩れる。ウィリアムの肩にひっかかった左手で体重を支えるものの、振り払われた。
「女の、子?」
答えは無い。床に、暗い中へと沈んでいく。
数度蹴って本当に動かなくなった事を確認し、ウィリアムは満足げに笑った。
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エルメダ・アッシャーは身体を起こした。ぐらつく視界を固定させようと、側頭部に手を当てる。
「おはよう」
その言葉を聞いても、霞がかった頭は一向に元には戻らない。
「ウィリアム、お前、一体、私に、何をした?」
「邪魔されないようにちょっとした薬を打った。一本ムダにしたけど」
「ムダ? 邪魔って何のことだ……」
途切れがちな彼女の言葉は、最後まで続かなかった。血に塗れたウィリアムの背後に誰かが倒れている。
それが誰なのかは、確認するまでもなかった。
墓標代わりに突き立てられたナイフが星明りを浴びて鈍く光っている。伸びた焦げ茶の髪が無造作に床に広がっていた。
先ほどまで頭に当てていた手を彼女は見た。べったりと黒ずんだ液体がついている。それが自分のものなのか、目の前の少年のものなのか。それとも第三者のものなのか、彼女には判断がつかない。
「あいつね、ようやく死んだよ。おめでとう」
明日の天気は晴れですよ、という気軽さでウィリアムは言った。
「ごめんね、君が殺すはずだったのに」
そうにこやかに告げる顔を、彼女は直視できない。
「でも不思議だな、エルメダ」
ウィリアム自身も血に塗れていた。痛みを感じさせない、そんな綺麗な笑顔を浮かべて彼は問う。
「どうしてそんなに怖がっているの?」
虚ろに宙を見つめる彼女の視線を追いかけたウィリアムは瞬きを数度する。
彼の背後に死体は無い。
血溜まりだけが、かつてそこに何かがあったことを証明していた。
前触れも無く、開いていた扉が閉まる。
蝋燭の炎が消え、閉ざされた世界が完成した。
「……キヒヒッ」
暗闇の中で、誰かが小さく哂った。




