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犯人は僕でした  作者: 駒米たも
本編
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第七十六幕 重症

 ドアを開けたエルメダさんの肩を掴むと、思いきり横に突き飛ばした。

 子供の頃から障子を横にスパーンとスライドさせてきた経験が生きたのか、死角からの思ってもみない攻撃が良かったのか、背後から右肩を突き飛ばされた彼女の手は簡単にドアノブを離し、バランスを崩す。


「ごめんね」


 振り返った顔が驚きに変化していくのを見て、悪い予感は外れてはいなかったのだなと場違いに安堵する。


 そこから一瞬だけ、記憶が無い。気がつけば頭蓋骨が勢いよく床板で跳ねていた。かけていた眼鏡はどこかへと飛んでいってしまったようだ。ごめんね、眼鏡二号。君が割れていない事を切に願う。


 普段なら打ちつけた後頭部を痛いと思うのだろうけれど、敷き詰められた絨毯のおかげか、それとも、もっと別の理由があるのか。大して何も感じなかった。


 ただ床を背につけながら何が起こったのかと混乱するばかりで、脳から上手い意見が出てこない。見上げる天井が高い。前髪の隙間から、上演前の映画館に似た景色を切り取る。


 何故倒れたのか。どうして抱き起こされたのか。どうしてまた横になっているのか。

 五感が普段の働きを忘れていた。瞬きを繰り返し、不明瞭な輪郭の世界を咀嚼する。金属音と声がひっきりなしに聞こえてくる。首を動かすと、近くに空になった注射器が落ちていた。


 身体を起こそうと床に手をついたが、呆気なく崩れて落ちる。上手く動けないのだと認識する前に世界が半周した。


 油断してはいけなかったんだ。

 遠足は家に帰るまでが遠足だし、脱出系はスタッフロールが終わるまでが脱出だし、ホラーは「何もない」と安心した瞬間が危ない。ついでにサスペンス系は暗闇の中で何かに気がついたら危ない。


 ドアを開けた瞬間、扉の向こうに潜んでいた誰かに体当たりされた。何か打たれたのなら、襲撃されたと言い換えた方がいいかもしれない。爆弾仕掛けられるよりはマシで良かった。いや、よくない。

 気がつけば、僕は這っていた。前進にしては不恰好だけど、進むという目的は果たせている。一応。

 外から差し込む淡い光と、壁際で揺れる燭台の光が混じって現実感を遠ざけていく。伝って落ちる血で視界が霞むが、元々視力はどん底に近い。


 視線を巡らせると部屋の隅で倒れている黒い塊が見えた。金属音は止んでいた。

 届くはずがないと分かっていながら無意識に手を伸ばす。指先に届いたのは別の何か。指の腹で確認していく。恐らく革、丈夫な糸の縫い目、革靴。

 指先が勝手に痙攣した。死にかけの蜘蛛みたいな動きのそれを、誰かの靴が踏み潰す。


「ぐっ、ああああああ!!!」


 腐った実が潰れる音と称するか、ゴミ収集車が木材を潰した時の音とでも称すべきか。はたまた、それら全部が混じったと言うべきか。一つはっきりしているのは……今、大変よろしくない状況だということだ。


「アハハハハ! アンタ、何でこんなところにいるのさ? まあいいや。折角だし、ちょうどいい、ちょうどいいなァ!」


 シスター・ケイトリンの時は何とか間に合ったけど、今回はダメだった。はっきりと言えるのは……痛い。悲鳴をあげるほど。手を踏みつける笑い声の主に心当たりはあったけれど、今はそれどころではない。


「死んでけよ」

「あっ、がっ!」

 腹に二発、ウィリアムからの蹴りが綺麗に入った。ワンテンポどころか、ツーテンポ以上遅れて蹴られた箇所を押さえる。込み上げた胃酸が喉を焼いて盛大に咳き込んだ。


 疑うまでも無く、直接的な殺意だ。誰でしょうか、さっきまで余裕ぶっていた人は。反省してください。平和ボケした人は、何事も「あるかもしれない」なんて思いながらも、「自分には起こらない」と考えがちなんです。はい、反省しました。猛省してます。


 酒を飲んでいて良かった……なんて思う事は無いのだけれど、今日は飲んでいて良かったと思う。突然の酷い言いがかりに傷害事件ときたもんだ。まったく、飲まなきゃやってられないよ。アルコールのおかげで、普段より少しだけ痛覚が麻痺しているのは幸いだと言える。麻痺しているのは痛覚だけではないのだけれど。


 身体が上手く動かない。右手は特に、動かそうと思っただけで痺れる。諦めて、何とか左手で蹴りを受け止めた。小さく身体を丸めるわずかばかりの防御態勢は、身を守るというよりただ転がりやすくなっただけのような気もする。


 随分とコロコロ、何度も転がったものだ。壁際までやってきた時にそう思った。出口(ゴール)からは遠くなったけれど、エルメダさんとの距離は近くなった。それが良い事なのか悪い事なのかは分からない。彼女は動かない。倒れたまま、気味が悪いほど、動かない。


「ごほっ」

「お前が悪い、お前のせいで今夜は台無しだよ」


 さっきまで悲鳴をあげ続けるほど元気だったけれど、次第にぼんやりとしている時間が増えて来ている。壁に血が飛ぶのを見ながら「飛沫血痕なんていう単語を人生で使う羽目になるとは」と妙に感動していた。

 鼻血が溢れて、口からも息が吸えない。結果、呼吸困難。一度、傷は浅いぞって言ってみたかったんだけどな。傷は深いぞ、寝るんじゃない。

 起きておかなきゃと理解しているけれど、眠い。昼ご飯を食べた後の午後十四時に匹敵するくらい、ねむい。けど、たぶん……寝たら死ぬ。


「ほら、分かったか? オレの方がずっと上手くできるし、オレの方がずっと綺麗なんだ。出しゃばるから、こうなるんだよ。何でパパはお前なんかを選んだんだ! この出来損ない! 答えろよ!」


 知らないよ。そう答えたくとも、頭を踏みつけられていては答えられない。でも、反抗したらその時点でやっぱり死ぬと思う。こんな過激なクレーム対応にどう対応しろっていうんだ。


 あっちこっちをボールのようにコロコロ転がりながら観察した結果、今の僕より仕掛けて来たウィリアムの方が重症だという事が分かった。顔面血塗れで叫ぶんだから、そりゃ僕だってビビるよ。いや、怒っているなんて生温いね。壮絶にキレている。ヒステリック。


 ウィリアム。ようやく彼本来の姿を見る事が出来た。執事服と半ズボン。手にはナイフを持っているけれど、僕に対して使おうとはしない。たしかに綺麗な子だ。けれど、どこか別の場所で会った事はないだろうか。彼の顔立ちは誰かに似ている。


 僕とは違い、ウィリアムは左腕が肩から外れていた。折れているのかもしれない。とにかく気味の悪い位置でぶらぶらと揺れていた。上からは雨みたいに血が降って来る。ふわっとした茶色の巻き毛には、乾いた血がこびりついていて黒く濡れて見える。こういった状況でなければ、いますぐ病院に行くように進言したい。


「アハッ、いい眺め」


 此方だってなかなかだ。苦し紛れに下から見上げたウィリアムの顔は、どこかで見た色合いで。それでいて、どこかでよく見た顔に似ていた。 

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