062 驕児
不自然な間があった。
「おどろきました?」
「……いや」
ほう?
「おどろいてましたよね?」
「話が飛んだから驚、呆れただけだ」
ほっほう?
そう来ますか。そう来てしまいますか。こちらとしては切り札という名の決め台詞を出している以上、引き下がれないのに。
「いま驚いたって言いましたー!」
「言ってないしー、聞き間違いだしー!」
不毛なやり取りが続いている。何について話していたのか、何の為にここに来たのか。肝心な事を全て忘れ去った、いつ終わるとも知れぬ会話が続いている。
何故続くのか。いつまで続くのか。僕らはどこへ行こうというのか。
「言った!」
「言ってない!」
僕らは呪われていた。この部屋に入りし者、精神が著しく退化するものなり。このやり取りがどれほど続けられたのかは、僕らの名誉の為に伏せさせて頂く。
「つ、つまり、君の、言葉、は」
「は、はい」
先に停戦を申し込んで来たのは監督だった。此方も肩で息をしながら停戦に同意する。思いがけぬ熱戦っぷりに、予期せぬ体力の減少に見舞われている。
「君に対する、先ほどの私の推理が違っていたと言いたいのだろう。私が今まで見聞きした情報による考察が悉く外れているのだと。私が持つ映画への信念を崩せないと知った君は、情報と考察を疑うように仕向けた。いやはや、参ったな。たった一つの歯車が欠けただけで時計が壊れるように、完璧な計画も疑念の水滴一つで破綻する。リチャード、君の目的はそういう事か。だがそのたくらみは失敗するだろう。なぜなら、君が成人していると私は信じないからな! ハハハ、私の反応を知る為に目を逸らさず、一言一句耳をそばだてて聞いているのが、嘘をついている証拠だ!」
机に向かって拳を叩きつける相手に、僕は口を挟まなかった。いや、はさめなかった。無音のまま静かに手を挙げる。
「……」
「はい」
「はい、リチャードくん」
「何言ってるのか分からないので、今のもう一度おねがいします」
「相手にするのいやになってきたんだがこの二十八歳児!」
「はっはっは」
今の可愛い罵り言葉は、間違いなく誰かへ継承されただろう。主にエリザベスさんとか、エリザベスさんとか、エリザベスさんとかに。
「で、君の年齢は本当にそうなのか。嘘なのか。この際、真実を言ってくれ」
「たいへん心苦しいのですが真実です。トイレットペーパーほどの薄さしかない僕の社会人としての自尊心の為にも、認めて下さい」
じっと見つめ合う。
「本当に君が二十八なら」
「はい」
「メインキャラクターが、ほぼ協力者になってしまうんだが」
「だって、そういうハンデくれたんでしょ?」
「仕組み、今から変えていいかな?」
「ぜったいに、ノー」
僕も自分用の墓穴掘るのが得意だけれど、監督も同じくらい得意みたい。僕達、良い友達になれるかも。もし今度協力関係を結ぶことになったら、オフィスは7と1/2階にしましょう。勝手に唸りはじめた監督に向かって、意味深な笑みを向けておく。
「君のことは子供だと思っていた。残念だ」
「僕もさ。本当に、残念だよ」
名台詞が台無しになった。監督公認のパロディなら、ぎりぎり許される範疇だと思う。
監督は額に手を当て何やら呟いてた。もはや僕なんか眼中にない。
「騙るのは簡単だ。年齢がそうだと証明する手段はどこにも無い。古い知識もインターネットがあれば仕入れる事ができる。ティーンの子供で、共働きの両親がいる家ならば長時間のパソコンでの調べ物はできるだろう。今の言葉は果てしなく嘘に聞こえる。いや、それが問題なのだ。私は結論を早くに出し過ぎていないか? 見たままを信じすぎてはいないだろうか。否定できる材料が多いのは私の視点があまりにも主観的になっているからではないのか。客観的に見た場合、もしかすると彼は成人をしていると判断されているのかもしれない。私の思想が今までの彼に影響を与えていたとしたら、それは私の望む世界を体現しているに過ぎず……」
何やら小難しいことを言い始めたので、邪魔しないようにそっと部屋を出る。分かる分かる。そういう考察楽しいから時間を忘れて没頭しちゃうし、その間は周りの声なんかまったく入ってこないんですよね。アンデル監督は特にその気があるって、インタビューで衣装さんや、カメラさんや、特殊効果班や出演者の皆さんに言われているのを聞きました。「ミドル・ソーホー・エリア」のDVD特典でね! 買ってて良かった、限定版。
「お待たせー」
扉の前で待機していた僕の女中頭に片手を挙げると、彼女は相変わらず何を考えているのか分からない微笑みを浮かべていた。
「いえ、それほど待っておりません。夕食には遅刻ですが……おや、酔っておられますね」
「お酒を、此処に来る前に飲んだせいだと思う。それより早く行きましょう。署長、魔法が解けたらすぐに追いかけてくると思うんだ」
速足で歩き出した僕の隣にエルメダさんが並ぶ。そして珍しく固い声を出した。
「リチャード様。一つだけ、確認したいことが」
一刻も早く屋敷から逃げ出すため廊下を走りながら応える。
僕は走る。彼女は……精々競歩ぐらいの余裕で並走している。ちょっと待ってよ脚のコンパス、おかしくない!?
一体何を聞かれるのだろうか。今日はこれ以上、頭を使った答えを出せそうもないんだけど。
バグショー署長を監督と呼んでいた件についてかな。どうしよう、何て誤魔化したらいい?
そうだ。監督は警察長官でもあるから、そう言って誤魔化そう。
「なあに?」
彼女は初めて見る、困惑したような目で僕を見つめていた。
「新しいリチャード様の御年は、二十八なのですか?」
「おうともさ」
一つ言わせてほしい。
僕の年齢、何で皆そこまで疑うの? もっと他に気にすべき点、あったよね?




