061-3 音声解説
場面は君と、子供たちが別れた所から始めよう。
君は倉庫街で阿片蝋を見つけ、人質にとられた子供を助けるべく突入した。その後の事は、君が一番よく分かっているね。故に省略させてもらうよ。
君と別れた後、エリザベスとアンドリュー、そしてリリーの三人は来た道を駆け戻った。偶然、菓子屋から出てきたアンドリューの兄と出くわしたのは実に幸運であった。
兄の名はダニエル。ダニエル・ルースター。幽霊と言う名の方が知られているが、今は正義感に溢れ、恋に破れてもいない普通の警察官に過ぎない男だ。
彼らは倉庫街へと戻り、縛られたハーバーとゴドウィンを目にしたが、肝心のライン卿はどこにも見当たらない。当然だ。何故なら彼は単身、アヘンを持って事件の裏で暗躍する黒幕の元へと向かっていたのだから。
ダニエルは仲間の警官を呼び、まずは幼いリリーを父親の元へ送り届けることにした。一行は「ユニコーンと盾」へと向かい、過保護な酒場のマスターから手厚い歓迎を受けるはめとなった。そこで出された料理の数々を腹に収めながら、ダニエルは臨月の姉に届けたいと申し出る。もちろん、酒場のマスターは喜んで受け入れるだろう。
宴会が終わる頃には夜も更け、エリザベスは君の家に戻る事にした。姉の家へ夕食を届けるルースター兄弟も、道中を共にしてくれる。
イリーナ・ラムズトンの家は暗く、静まり返っていた。不審に思ったものの、姉は気分が悪く寝ているのだろうとダニエルが玄関のドアを叩く。扉は自然と開いた。
中に広がっていたのは一面の闇、そして僅かに香る血の匂い。一階の応接間に進んだ彼等を待っていたのはイリーナの変わり果てた姿だった。
最初に姉の名を叫んだのはアンドリューだった。少年は横たわる姉の元へと駆け寄ろうとして走り出し、隠れていた侵入者の凶刃に倒れた。糸の切れた人形のように軽い音を立て、アンドリューの身体は床へと沈む。
次に動いたのはダニエルだった。彼は現実を受け入れてはいなかったが、この目の前の侵入者が敵であり、捕えねばならないという正義感に駆られて身体を動かした。彼にとっての敗因は警察官の習性に身体を任せてしまったことだろう。つまり、相手を生きたまま取り押さえようとした。闇に慣れない目で目測を誤り、逆に腹部を刺され、意識を失った。これで二人目。安心したまえ、トドメは刺さないように言いつけてある。今後の計画を考えるのならば、ダニエルに死んでもらっては困る。今は、まだ。
残ったのはエリザベスだが、ウィリアム相手に彼女一人でどうしようもあるまい。何故なら彼女は多少ひねくれてはいるものの、一人の少女だ。恐怖に怯え、固まったまま悲鳴も上げずに立ちつくしているだろう。遺体はどうあれ、彼女の首は切断せねばなるまいよ。柱時計の中にでも押し込んでおこうか。七匹の子ヤギのように。ふむ、グリム童話に見立てた殺人というのも悪く無い。
これで犠牲者はひぃ、ふぅ、みぃ……やれ、明日の新聞が騒ぎそうな顔ぶれだ。
そうそう、新聞と言えば忘れていた。今夜はもう一件騒ぎがあるだろう。
何でもどこかの教会に強盗が押し入ったそうだ。哀れにも強盗に出くわしてしまったシスターが一人、斧で打ち据えられ亡くなったと聞く。彼女の持ち物から何かが盗まれたそうだが、何だと思うかね? 竜紋が刻まれたナイフだよ。あぁ、そういえば君の持ち物によく似たものがあったね。どこで落としたのかな。警察にも届けず、大事に自分で保管しているからこういうことになるのだ。可哀想に。
さて。ここまで来れば分かるだろう? 私は、君の尻ぬぐいをしているんだよ、ライン卿。君の臆病のせいで死に損なった、エリザベスも、シスター・ケイトリンも今日で終わりだ。計画通り、ダニエルの家族には今日で消えて貰う。これでリンドブルームもダニエルも無事に殺人者となるだろう。何、被害者の事なら心配せずとも良い。そこら中にいるからね。誰かしら見繕って、容疑を擦り付けるさ。ショー・マスト・ゴー・オン。何が起ころうとも、劇は進行しなければ。私の時間計画は完璧だ。
そう落ち込む事はないとも。
君が彼らから離れずにいたら。一人で行動せず、あの場にとどまっていたら。英雄願望なぞ抱かずそのままの小心者でいたら。彼らは死なずに済んだかもしれない。だから今日彼らが死ぬのは、確かに君のせいだ。だがね、物語は規定の路線に沿うモノだよ。君が今日まで助けたと思った人は、誰も助かって無かったという、ただそれだけの話だったのさ。多少、物語を知った人間一人が動いたとしても、本筋は動かせない。こうやってキッカケさえ与えれば、みな簡単に死ぬのだ。
そろそろ私が手紙を出した本当の理由を話そう。君を、足止めする為さ。今までのように現場に居合わせたら困ってしまうからね。君が立ちあえば、せっかくの現場が滅茶苦茶になってしまう。
だから考えたのさ。平和な夜の作り方を。君が絶対に此処へやってくる方法を。そして気がついたんだ。私自身を餌にしようってね。そうすれば、今夜だけでも君を引き留める事ができる。目の前にいるなら、対処はどうとでもなる。
今更邪魔しようと思っても無駄だよ。もう全てが手遅れなんだ。被害者は死に、犯人は此処から出ることはない。君が行う殺人は私が引き継ごう。自分の終わりが来るまで、ゆっくりとしていきたまえ。
さて、今夜は随分と食事が遅いな。エドマンドを呼んで聞いてみよう。とは言っても、君はとても食欲のある顔色には見えないが。
食前にワインはどうだね。アルコールに弱いとは言っても、一杯くらいはいけるだろう? おや、どうしたんだい。突然笑い出したりして。あまりの事に、笑うことしか出来ないのかな。君なら、涙を見せるぐらいの優しさはあると期待していたのだがね。薄情なことだ。いや、その年でリチャードを好むだけのことはあると納得すべきか。将来有望な若者だ。
ひとしきり笑い終えた青年は立ち上がる。次の台詞はきっとこうだ。
「監督、ぼくと賭けをしませんか?」
たっぷりと余韻を楽しんでから、私は答えた。
「ああ、いいとも」
あまりに懐かしく当然の台詞だ。
彼は私と談笑していた時と変わらない。何も知らない人間にとっては、何の変哲もない台詞。
だが私達からしてみれば、それはスイッチの入った音だ。そこにいる彼は間違いなく親愛なる最初の仲間、リチャード・ラインだった。
そうだとも。そのセリフを君はいつだって笑いながら言うのだ。原作に書かれていなかったが、当時の私は「きっとそうなのだ」と余白から彼の一部を拾い上げていった。
余裕を浮かべ、心底楽しそうに謎賭けをする。鼻歌交じりで血染めの人生を謳歌する。
絶望した人の顔を眺め、日常の平穏を満喫するように異常を満喫した。その異常さを全く他人に悟らせることなく日常を過ごした。最初は自分でさえ、その異常に気がつかない。
二つの人格が同居しているからこそ出せる差異。融合したからこそ出てくる矛盾。相手を侮らせ、懐に潜った所で牙を剥く。それがリチャード・ラインという男。彼女が想像し、私が姿を与えた最初の殺人鬼。
目の前の少年が演じる実に見事な模倣に、改めて落胆する。彼が此方側に来れば、さぞかし素晴らしい悲劇が出来るだろう。残念だ。残念で仕方がない。そして彼を殺す事がこの上なく楽しみだ。
「君の演技力には素晴らしいものがあるよ、ショウ。彼と、瓜二つじゃないか」
私は彼を素直に賞賛した。
「ええ、得意なんです。ずいぶんと長い間研究したもので」
謙遜した様子もなく、彼は言う。
「他でも無い、この私を驚かせようだなんて無謀ではないのか」
「自分でもそう思っています。でも、貴方は驚いてくれるはずだ」
彼は静かに微笑んでいたが、隠れた目元が真意を隠していた。不気味だとは思わない。もしかすると、と私の胸は高鳴った。
ここに来るまでに大きな罠でもしかけたのか?
実行犯が計画犯に過ぎない私を殺すか?
どちらにせよ、それは私を楽しませはするだろうが、驚かせはしない。それではつまらない。台本通りを望んでいるというのに、どういう訳か。ハプニングを、アドリブを期待している私の姿がそこには在った。
「二十八歳なんです」
その数字が意味するところを知るまで、私には少しの時間が必要だった。
「僕の年齢」
長い長い沈黙の後、遂に宇宙から思考が戻ってきた。
「えっ」
面倒くさそうに欠伸をしながら、黒猫が部屋を横断する。
「えっ」
猫はそのまま、開いた扉から出て行った。




