006 船長
港近くに位置する「ユニコーンと盾」なる酒場は手当てをしてくれた髭マスターが経営している店だ。
昼過ぎにインドから商船の一団が戻って来たせいか治安が良くない。客のほとんどが船乗りだ。タガの外れた酔っ払いが多いのは、ようやく陸に上がれた喜びとか、仕事から解放された反動とか、溜まりにたまった性欲とか、そういう諸々の理由なんだろう。
店内を眺めていると、先ほど男性を吹っ飛ばした巨乳の女性と目が合う。
彼女は飲んでいたハーフパイントのジョッキを下ろして微笑んだ。首元に纏わりつく後れ毛と口元のほくろがとてもセクシーだ。
海外ドラマ「マンハッタン・ハイヒール」で途中降板したメグ・キスティによく似ていて、横で戦争が起こってなければ即お近づきになりたい美女だった。
「注文は?」
肩口から無愛想な声がかけられる。最初に目に入ったのはダークブラウンの長い癖毛だった。
いつのまにか、僕の隣にはエプロンをつけた細身の少女が立っていた。頬には赤いニキビが散っていて、暑さと湿度のためか真っ赤な鼻がずいぶん目立っている。
ずぶ濡れの客に対しても物怖じせず注文をとりにきた彼女の胸元にはスミレの首飾りが輝いていた。
「見慣れない顔ね。黒麦芽酒は三ペンス。それでいいでしょ。連れは……スーか。他に注文が無いなら行くけど、いいわね」
彼女はギョロリと目を動かした。喋らずとも自動ですすむ注文と料金。そしてフラグ。
「……なによ?」
見られていることに気づいた彼女がわずらわしそうに前髪を手で払った。僕はポケットに入っていた硬貨全てを引っ張り出し、全てテーブルの上に置いた。ほとんどが銅貨だったが中には銀色に輝くものも混じっている。これで支払いは間に合うだろう。
彼女は引ったくるように銅貨をつかんで、そそくさと行ってしまった。去り際に「なにこいつ、気味悪い」という横顔が見えた気もするがひどい誤解だ。
あの子、もしかしたらシスター・ケイトリンとヘンリー・アシュバートンの娘かも。
あのスミレのネックレスはケイトリンが赤ん坊に持たせたもの。彼女のいた教会から「ユニコーンと盾」までは走って十五分ほどの距離しかない。この店に彼女の娘が養子として引き取られた可能性は十分にある。
いますぐシスター・ケイトリンに知らせたいが、戻って刺されたくはない。先程の彼女にも警戒されているし、今日のところは大人しくしておこう。
ポケットから見つけたのは小銭だけではなかった。
フレームの歪んだ眼鏡のレンズを袖でふいて顔の上に乗せる。
これでこそリチャード・ライン。眼鏡が無い姿はどうしても父親のイメージが先行してしまう。
「おい、俺の娘に何か用か」
突如マスターに胸ぐらをつかまれ、気がつけば鼻がかちあいそうな至近距離で見つめ合っていた。犯人が眼鏡を取るのは正体を暴かれた時だけ。この王道を理解してもらうには、現代日本でも少々説明に時間がかかる。
俺の娘と言い切ったマスターの顔を至近距離であることを利用し観察する。さっきの子に似ていない。
「何だ。その『似てなーい』と言いたげな目は。娘は妻似なんだよ!」
このマスターは人の心の機微がよく分かっている。少し疑いの目を向けただけで、こちらの疑問を正確に読み取ってくれた。妻という言葉に反応して机を拭いていた明るいブロンド美人が顔をあげる。
「あなたー、呼んだ?」
「ダーリン、何でもないよー!」
人懐っこい笑顔が素敵な女性だった。周囲がパッと明るくなるような他人を惹きつける華をもっている。でも、娘さんには似ていない。
「話をはぐらかすな。答えろ、なぜ俺の娘を見ていた? 答えによってはテメェの指の骨を全部へし折って爪楊枝にしてやる」
命をとるとは言わない辺り優しい人だ。でも具体例がちょっと怖い。
低い声と共にカウンターに叩きつけられたマスターの拳に一瞬だけ辺りが静まる。しかしすぐに元の音量へと戻った。
誰もがわざとらしいほど、こっちを見ない。触らぬ神にたたりなしといったところか。正しく、良い判断だ。僕もそっち側なら間違いなく同じ反応をするだろう。
「あれ。スミレ、ネックレス。どこかで、見た」
「何だと!? どこだ! どこで見た!?」
「おげっ」
伸びてきた腕にシャツの襟をつかまれ前後に揺さぶられている。
はいていた靴が身長を誤魔化すシークレットブーツだったので上手くバランスがとれない。靴底に鉄板を仕込んだこの靴はパーティなどでは役立つのだろうが、今は僕の首吊りに一役買っている。
「マスター、マスター。落ち着けって」
呆れたエリザベスさんの声をきっかけにマスターが襟から手を放し、これみよがしに地面に唾を吐き捨てた。飲食店の店長としてアウトだと思うのは僕だけだろうか。
反応からして、先程の子はやはりマスターの実子ではないのだろう。ふと、子供の件については僕からシスター・ケイトリンに伝えるよりマスターから伝えてもらったほうが良いのではないかと閃いた。
「シスター・ケイトリンの」
「シスター・ケイトリンって教会のか?」
「たぶん」
僕の声とカンカンと鳴る鉄の音が重なる。周囲は僕が何といったのか聞こえなかったようだが、マスターは鋭い目を大きく見開いて驚いている。
マスターがシスター・ケイトリンのことを知っていて良かった。詳しい説明を求められたら困っただろう。
鳴り続ける陽気な金音は点鐘らしい。船乗りらしいなと振り返れば、後ろには身形の整った巨体の老紳士が立っていた。
「君は誰だね」
友好的ではない視線。一文字に引き結ばれた口元。深く刻まれた皺と厳しい眼差しは塩で塗り固められたように動かない。夜も遅いというのに綺麗に剃られた髭。身に纏っている襟付コートとチノパンに似たズボン。引き締まった身体を魅力的に見せていた。歩行杖には海鳥と思わしき銀の装飾が刻み付けられていて、それを持つ皺だらけの大きな手には武骨な指輪。
「エリザベス」
老紳士が口を開いた。そして、その声に反応したのはスーさんだった。
「おじいちゃん!」
僕の目の前にクリストフ・スチュワートが立っている。夢だとしても豪華過ぎだろと自分に突っ込んだ。
クリストフ・スチュワートとは英国のベテラン俳優だ。ミステリアス・トリニティではお金持ちの貿易商会会長「リンドブルーム船長」を演じている。
彼は真摯であり紳士であり、主人公たちを何度も助けたキャラだ。
そのため歴代犯人の中でもかなり人気が高い。
特に今夜、世界中で行われているはずのシリーズ八作目「斜陽の楽園」は彼が主役の物語だ。
そう、犯人。よくある主人公たちの仲間から犯人出てしまったパターンの人。
ロンドンに帰港した日の夜、リンドブルーム船長は酒場「ユニコーンと盾」で仲間と飲み明かしていた。しかしその晩、孫娘、エリザベス・フォレネストが誘拐されてしまう。夜を徹しての捜索も空しく、翌朝彼女は自宅近くの時計塔で遺体で発見。幼い彼女の頭部と身体は切り離されていた。
それから一年後、リンドブルーム船長は孫娘を誘拐した四人の犯人を特定し、復讐を果たしたあと自殺を遂げる。けれど実はエリザベスを誘拐した犯人と殺した犯人は別人であり、真犯人だけが生きのびたというオチである。
以上、一分で分かる八作目、千二百頁のあらすじでした。
スーさんはリンドブルーム船長を「おじいちゃん」と呼んだ。
そして帰ってきた船乗りで騒ぐ店内。
雨の夜。
「あれ?」
事件が起こるの今日じゃない?
いきなり奇声で叫んだ僕を、周囲はぎょっとして見つめた。しかしこれが叫ばずにはいられようか。第八作目の始まりが第一作目の始まりと同日であった。
考察班もびっくりだ。
「かんがえてみれば作中では一年くらいしか経ってないし、そっかーそういうこともありえるのかーすごいー」
「いったい何の呪詛だ?」
「さぁ?」
すでに一件、殺人を止めている(正確には何もしていない)僕は調子にのっていた。どうせ止めるなら一件も二件も同じことだ。
目的はエリザベスさん殺害を阻止。そして誘拐した犯人たちとリンドブルーム船長の和解。
問題があるとすればエリザベスさんを殺害した真犯人の顔が分からないということ。
そして僕が八作目「斜陽の楽園」の映画をまだ観ていないということにある。
原作は知っている。しかし、誰がそのキャラクターを演じているのか分からない。
映画観るまで楽しみにとっておこうと、あえて出演者情報を集めなかったしわ寄せが。
だって、そんな。映画の中に入るなんて一時間前の僕は考えもしていなかったわけでして。その結果、リンドブルーム船長以外の一体誰に声をかけたらいいのか分からないでいる。
船長に誘拐事件の説明をして協力してもらうか?
いや、僕には相手を納得させるほどの英語力がない。むしろ怪しまれて警察を呼ばれてしまえば、朝まで身動きが取れなくなってしまう。
「あっ」
そんな時、ある作戦が浮かんだ。
リスクは高い。もしかすると僕の命、具体的に言うと内臓部分、ピンポイントで肝臓が大変な危険にさらされる作戦だ。
下手をすればリチャードが死ぬけれど、伸びしろのある犯人が一人消えるなら、むしろこの世界のためになるのではないだろうか?