057 宣言
監督には言わなかったけれどバグショー署長がアンデル監督だと思った理由は別にある。彼、マザー・エルンコットの隣に座って、彼女を気遣ったからだ。
絨毯の毛足に沈んでいた阿片袋を手の中で遊ばせる。
これ一袋で何人殺れるのかな。
医学の知識がないから予想すらできない。ジェイコブ先生なら分かるだろうか。そんな物騒なことを考えながら、口を開けたトランクの中へ無造作に投げ込んでいく。
「なぁ、ショー君」
暇なのか、監督が声をかけてきた。
「その呼びかただと、僕もバグショーさんちの一派に聞こえますね」
床から顔を上げた。散らばった袋の数は意外と多く、全部拾い集めるのは大変な作業だ。誰ですか。後先考えず、見た目重視でトランクなんか蹴ったのは。
腰を叩きながら上体を起こすと、トランクには適当に投げ込まれた阿片が山を作っていた。……これ、蓋閉まるのかな?
見なかったことにして、監督の方に向き直ると、思ったよりも真剣な表情の監督と目があった。
「君はこの世界で何をしてみたい?」
「うーん」
ミステリアス・トリニティの世界を堪能したい。それから、被害者が生存する世界という、もしもの世界を見てみたい。
しかし、それは原作にはないものだ。口に出す前に、もう一度、よく考える。
原作主義の人の前で、自分の希望を言うという意味を。
監督が与えられた役割を演じ続けていることからも、彼が原作の通り殺人の起こる世界を望んでいるのは間違いない、とおもう。もうちょっと踏み込むなら、事件の背後にある人間関係を観察したがっているようだ。
きっと、監督……バグショー署長は原作通りの被害者を望んでいる。被害者が助かっても、そこから物語は未知の領域に突入する。
犠牲者が犯人になることもあるし、その逆も起こりうる。
しかもシャーロットみたいな新しい殺人鬼が次々に現れてしまえば、僕の唯一の武器である先読みすらも出来ない。
リチャードは一作目の最後で死ぬことが決まっている犯人。今は一作目が始まるよりも随分前の時間軸で、シスター・ケイトリンが殺されるあたり。
だから、監督も『本編でリチャードが死ぬクリスマス・イヴの日』までは僕の事を見逃してくれるはずだ。
楽観的な考え方だけど、原作主義者という一点に賭けている。
けれど、それが過ぎれば? 監督は中身が僕でも迷わずリチャードを消しにかかってくるだろう。そういう人だ。
彼はそれまで、僕と登場人物が仲良くなれば良いと思っているし、本編の謎に深く関わる事を望んでいる。きっと色んな手助けもしてくれるだろう。
でもそれはハッピーエンドを望んでのことではなく、より悲劇的なバッドエンドを探す為だと分かっている。わからいでか、僕が何年監督のファンをやっていると思ってるのだね。
「監督は、この世界でなにをしてみたい?」
「私は、全てを知りたい。そしてより完全なミステリアス・トリニティを作り上げる。そして作品を終わらせたいのだ。それだけさ。ショウ、君も好きなことをしていいんだ。主人公を気取ってみたり、謎を解いたり。ここなら人だって殺せる。その気があるなら喜んで力を貸すが」
「ノーセンキュー」
原作通りにならないか、という誘いには首を横に振って応える。
「僕は、殺人鬼じゃないリチャードとして、ミステリアス・トリニティを楽しみたい」
監督がゆっくりと言う。
「……そうか、君の望みはそれか」
僕は無邪気さを装う。
「はい。僕はミステリアス・トリニティの世界が好きです。登場人物たちも大好きです。だから、皆が仲良しの世界をみてみたい」
「君はミステリアス・トリニティの悲劇を好まないのかね?」
「大好きです。でも、それは本編にまかせます。もしここが僕の見ている夢なら、僕の夢でくらい、ハッピーなミステリアス・トリニティでいてほしい」
返事を受け取ったアンデル監督の顔は、穏やかだった。
「それは、結構。予想はついていたがね。では今後、リチャードを探偵サイドの駒としてカウントするとしよう」
僕からの正式な敵対宣言を監督は了承した。
どうかそのままリチャードを侮ってくれよ、監督。今まで種は蒔いてきたんだから。
リチャードのポテンシャルは高い。
相手に気取られないよう情報を集めるだけの頭がある。銃をもった探偵とナイフ四本で良い勝負を繰り広げた体術スキルもある。被害者を口先三寸で騙しきり、油断させる三枚舌と演技力がある。
相手を侮らせるために無能の振りをする昼行燈系犯人に瞬発力は無い。
けれども時間経過するごとに厄介さがあがる特徴があるのだ。
既に武器は持っている。生かせてないだけで。
僕が演じるのはリチャード・ライン。間抜けな顔で懐に潜り込んでは裏をかく男。
だけど、現在の中身は僕。
そう。今の状況を率直に言ってしまえば、見た目で舐められ、中身はただのバカなのだ。
一番ダメなパターンだね!
なら、どうしようか。
立ち場ははっきりした。おおよそだけどタイムリミットも推測できた。
いくらアメリカ英語が解禁されたと言っても、僕にとっては所詮付け焼刃。ネイティブ並みに喋るだなんて、どう考えても無理。今までの映画漬け生活で聞き取りには自信があるが、逆に言えば、聞き取りしか自信が無い。
だから、そうすることにした。
犯人を追い詰めるのは探偵の役目だ。
僕はそれまで手札を集めて、主人公組を助けよう。
プロが創るバッドエンド原作対素人が創るハッピーエンド二次創作。
どちらが上とか、どちらが下ということもない。
とにかく今日は情報収集して帰ろうかな。
さぁNG覚悟でうっかり口を滑らせてくれよ、監督。
貴方は演者ではなくて芸術家で演出家だから、作品について聞かれたらサービス精神旺盛に喋ってくれるよね。今日だけ語り手の看板をそっちに預けます!!
「ショウ、これは最後の助言になるだろうが、君はトムに会ってみるべきだよ」
「トムって、トム・ヘッケルトン? 作者の??」
驚きのあまり口をぽかんと開けたまま、十秒はたっぷり固まった。
監督を越え、会えるなら会ってみたい人不動のナンバーワンの名前がここで出てくるなんて。
監督にとって、それは一番聞いてほしい質問であったようだ。したり顔で笑っている。バグショー署長の顔であるだけにいっそう不気味に見えた。
「君は、この世界をどう考えている?」
監督は僕の質問に答えず、こう聞いてきた。
「自分の夢かと」
それ以外の考えを口にだすのが怖かった。
「半分合っているね、半分だけ」
監督はそう言って指先を振って見せた。
「少しだけ真面目な話をしよう。ここはね、私達の執着があつまった場所さ。この世界で死んでも、現実には何の影響も無い。ただの夢だからね。そしてこの世界で死んでも、この世界には一つのキャラクターの終わりかたとして記録されるだけだ。縁があれば、再び訪れることもできる。滅多に無い事だが」
なぜだか、その答えはストンと胸の中にはまった。執着、そう。確かに僕達がこの映画に向けている感情は愛や好悪というより執着に近い形をしている。まるでしがみついている様な。
「確かに、現実の世界にトムの身体はもうない。けれど、この世界ではまだ生きている。なにせトムはこの作品の完成に、文字通り命をかけていたんだ。ここにはトムの魂の一部が残っている。興味があれば、探してみたまえ。君の持つ謎の答えを、持っているかもしれない」
そこまで言うと、監督は視線を絨毯の上に落とした。
「私も、トムも、この作品を作り上げる事に入れ込んだよ。まさに命をかけたと言っても良い」
「監督はトム先生と相談して、一作目を作ったんですよね」
監督は意地の悪い笑みを浮かべたまま、答えなかった。




