056 仕組
「おかげさまで、少しはマシになりました」
「そうだろう、そうだろう。最初に君の言葉を耳にした時は、マジおったまげたぞ。be動詞を消し去ったかと思った。いや、いかんな。私も毒されているようだ」
わざとらしく咳払いをしながら、彼は拳を作って口元を隠した。
口ぶりからして、アンデル監督はこの世界の仕組みに干渉できるように聞こえた。
アンデル・バーキンダム。
サスペンスホラーの申し子。驚異の部屋に住まう偏屈脚本家。
そして文章として存在したミステリアス・トリニティの世界を、目に見える世界へと引きずり出した監督。
これは僕が見ている都合の良い夢だろうか?
それとも……。
いや、どちらでも良い。いま、認めなければいけないのは『僕では監督に勝てない』ということ。それだけだ。
アンデル監督は名実共に世界最高にして最強のミステリアス・トリニティファン。
ミス・トリの知識と愛で彼に勝てる人なんて、僕の知る限りこの世に存在しない。
トム・ヘッケルトンがミステリアス・トリニティの世界を生み出した神なら、アンデル監督は「それを目に見える形にした」神である。
アンデル監督に意見できる人なんて、それこそ、亡くなったトム先生しかいない。
実質、僕の知っているミステリアス・トリニティの半分はアンデル監督の影響だ。
ここが「僕のみている夢の世界」だとしても、アンデル監督は「僕」にとって非常に尊敬すべき人物に当たる。だから「僕の想像が作り出した監督」に僕は絶対に勝つことはできない。酔っぱらった僕に、素面の僕が勝てないように。
監督は何を考えているんだろう。
探偵と敵対? それとも悲劇のミストリワールドを更に悲劇にしたい?
どちらにしても、殺人犯組合を脱退予定の僕とは衝突するだろう。
穏便に言葉を交わせる内に色々と情報を探るべきだ。
「変えたのは言葉だけですか?」
僕の質問に、いやいやとインタビューで見せる大げさな身振りで監督は首を振った。
「私達ができるのは、隙間部分を都合よく解釈しなおし、多少物語を変化させることだけだ。君にプレゼントしたのは『マーシュホース関連の事件にまきこまれやすい』『死体を見ない』そして『同じ年代の協力者ができやすい』という三つの贈り物だけだ。しかも君が本気で嫌がればキャンセルできる」
「?」
そのとき、確かにアンデル監督は私達と言った。
「アリバイ」という単語で自分の存在に気づかせてくれたように、何かのヒントをわざと言ったのか。そうでないのか。はたまたブラフなのか。僕にはわからない。
アンデル監督級に厄介な人がいるとは思いたくない反面、他にもミステリアス・トリニティの愛好家がこの世界にいらっしゃるならお話したい気持ちでいっぱいだ。
死体を見せないというお気遣いは、エルマー夫妻の事だろうか。そう言われてみればご遺体を見る事は一度も無かった。そこまで気を使って頂かなくとも大丈夫だったのに。
でも、死にかけていたエルマー氏の苦し気な形相は今でもはっきり思い出せる。
画面越しなら平気だったグロテスクなシーン、エルマー夫人の無残な遺体を直接見ても平気だっただろうか。
いや、無理だ。臨場感があればあるほど、此処が映画の世界だとは思えなくなってしまう。だから優しい心遣いには素直に感謝すべきだ。
それに万が一、本物の死体を見てはしゃいでしまった場合……僕は自分がちょっと嫌いになるだろうから。
フェアリー・ゴッドマザーの三つの贈り物。
同じ年代の協力者って……誰だろう。この三日でかなり幅広い年代と交友関係を築いてきたからなぁ。ミステリアス・トリニティ登場人物の中に主人公以外にも警戒しなくて良い人がいるのはありがたい。それに。
「え、リチャードにお友達ができるんです? まさかの巻を越えた交流可能ですか? でへへ、ありがとうございま、うふっ、うふふふふふ」
あと、三日間における異様な犯罪遭遇率も腑に落ちた。思うに、彼等が望みさえすれば、どう回避しようとしても犯罪に巻き込まれるってことだ。そして、僕が望まない限りマーシュホース関連の事件には巻き込まれる。もちろん方針は一択、積極的に突っ込んで行く、である。
「物語の変化というのは、僕にもできますか?」
「できるとも。君は意図せず乱用している。だからやり方は教えない方が良いと、勝手にこちらで判断させてもらった」
スパンと言い切った監督の目に、疲労の色が一瞬だけ過ぎっていった。どうやら秘伝の技は、そう簡単に教えてくれそうもない。そんなに乱用したかな。心当たりがない。
「もうひとつ、よろしいですか」
「何でも聞いてくれ」
「あなたは本当に、アンデル・バーキンダム本人?」
疑うね、と彼は悪戯っ子のような顔を崩さずに言った。
「だが、それでいい。ここでは疑う事こそが最大の自衛となる。そうだよ。本人だと、私は思っている。なぜなら、私はアルバート・バグショーであると同時にアンデル・バーキンダムとしての記憶も、意思も、持っているからだ。ならば私はアンデルであり、同時にアルバートでもある。双方に対して本人であると言っても嘘では無い」
回りくどい言い方は理解するのに時間がかかる。ええと、つまり、本人で良い、らしい。たぶん。自信がない。否定文の否定文はやめておねがい。
「それで、君。えぇと、本来の名は?」
「ショウです」
監督はショウ、と口の中で何度か呟いた。リチャードと呼ばれ慣れていたので、どことなく日本語の響きが残る自分の名前に違和感がある。
「ショウ、君はどうやって私の正体を突き止めたのかね」
「最初は監督とバグショー署長のイニシャルが同じだったので、そうかなって」
「そうか、そうか。うん、さようなら」
「ほほほ、他にもありますよ」
「アッハッハ! ちょ、待ってくれ。苦しい。ぼうやは慌てると、本当にボロが出るねえ。脅かしがいがあるってものだ」
当人、笑い上戸すぎないか。監督の性格が明るいおじさんである事を思えば特に何とも思わないが、顔がバグショー署長だけに違和感がある。
隻眼の船乗り、バーク爺さんが、監督本人としての姿だ。海賊として悪乗りカメオ出演したアンデル・バーキンダム。略してバーク氏。
取り調べの時にアリバイという言葉を使ったのは僕にヒントを与える為。
バグショー署長なのに猫に対して興味がなさそうなのは中の人が違うから。
とっさにキャンディという言葉を使ってしまったのはここ連日僕にふりまわされて疲れてしまい咄嗟にアメリカ英語がでたから。
バグショー署長=アンデル監督であると思う瞬間は色々あったけど、僕の中では結構最初の方に答えを出していた。
「監督が一番好きなキャラクターは署長だから。アンデル監督がミス・トリ世界にいるならバグショー署長に入っていると思ったんです」
「公式では私の一番好きなキャラクターはシスター・ナンシーと答えているよ。それに『私本人』が演じたバーク爺にも愛着はあると思うのだが?」
アンデル監督は出来の悪い生徒にヒントを出す、先生のような眼差しで机の上から僕を見下ろした。
「あなたはひねくれ者で悪者と感情を揺さぶられる悲劇が大好き。だから、監督の好きなキャラクターは大抵黒幕ですよね。でも、ミステリアス・トリニティだけは誤魔化すためにシスターって答えた」
「シスター・ナンシーが好きなのは本当だとも」
監督が目をそらしたの良いことに続けた。
僕が犯人好きであるように、アンデル監督が好きなキャラクターは最悪の裏切り者。黒幕か、ぶっちゃけラスボス。
「ミステリアス・トリニティは未完の小説。シリーズを通じてレイヴンの敵は、真犯人は誰にも分からないとそう思われていた。誰かが映画を撮影するまでは。ねえ、アンデル監督。あなたはミステリアス・トリニティシリーズの真犯人を、探偵の真の敵を『作者本人』から聞いていたんじゃないですか?」
だからミステリアス・トリニティの黒幕を当てれば監督に辿りつく。
エルマー氏は亡くなった。
一話から生き残っている登場人物は「探偵レイヴン」「シスター・ナンシー」「ハーバー」「ゴドウィン」それから「バグショー署長」の五人だけ。
「あれだけアルバート・バグショーという人物を魅力的に撮っておいて、一番好きじゃないとは言わせませんよ」
「……」
そう、監督の趣味は、カメラワークはあまりにも分かりやすかった。
主役以外に一人だけ、あまりにも純朴に撮られている男がいる。誰もが灰色の中で一人だけ透明。それがバグショー署長だった。
「僕も犯人が好きですから。同好の士が撮った作品だと大抵分かるんです、犯人の魅せ方が」
アンデル監督は目を閉じて、僕の話を聞いていた。話し終ってからも、しばらく考え込んでいる様子だった。
「まさか推理するのではなく私の撮り方で正体を見破られるとは。或る意味、脱帽ものなのだが……これは、どうすべきかなぁ?」
困ったようすでアンデル監督はゆっくりと頭を掻いた。
彼はどこか、遠くを見ていた。途方に暮れているようにも見える。
僕が真っ当に推理勝負すると思った? 残念、僕は探偵ではなくただの映画ファン。監督とミス・トリ愛で戦っても勝てないのは分かっている。なら一鑑賞者として戦うしかないのです。
「ショウ。いや、今後はやはり、リチャードと呼ぶべきだろう。健闘を讃えて、これから夕食でもどう」
「ありがとうございます、頂きます」
「うん、人の話は最後まで聞こう」
やったーーー!!
監督とのディナー権をゲットしたぞーーー!!
すごく大切な何かを丸ごと忘れているような気がしたが、監督兼署長と一対一でご飯が食べられる機会なんて滅多にないので脊椎反射で頷く。
「……君の、迷いなく虎穴に入っていく前傾姿勢は勇気があるのか無謀なのか。そのへんの判断がつかんな。そうだ、床に転がっている阿片は回収してくれ。うちの可愛い猫達が間違ってかじったら大変なことになる」
「はい! ただいま!」
慌てて拾い集める僕は監督の浮かべるチェシャ猫のような不穏な笑いに気づかなかった。




