055 制限
ぱん、と。
乾いた音を聞きながら、やけにあっさりした音なんだなと思う。手の中にあったはずの手紙はいつのまにか無くなっていて、撃たれたと思っている本人は目を丸くしたまま間抜け面を晒していた。はい、僕のことです。
「おっべふぉあ!?」
本当に拳銃の引き金がひかれるとは思っていなかった自分の口から、ワンテンポ遅れて素っ頓狂な声が飛び出した。『お前さんという人は突然なにをなさいますのか』を可能な限り短縮し凝縮し、一度に言おうとするとこうなる。また、つまらぬ言語を創生してしまった。今まで静かだった土台が突然揺れた事にびっくりしたのか。のっそりと体を起こしたイゾルデが、不機嫌そうに地面に降り立つ。
「イヤーアッハッハッハハ、いやいや、君、良いリアクションだ!」
ばしんばしんと遠慮なく叩かれる肩と心の痛みを足したら、慰謝料は請求できたかもしれない。けれど、ここの所飛びやすくなった己のエクトプラズムがショックで宙に出て行ったまま帰ってこないので、それすら言えない。僕、白目むいてない? 大丈夫? 生きてる? 何で生きてるの?
銃口から吹いた炎は誰の頭蓋骨も焼かず、その場にとどまっていた。それも一瞬の事で、二秒後には跡形もなく霧散する。まるで、ライターの炎みたいに。そして引き金を引いた本人は僕よりも苦しそうに爆笑していた。
「八時間五十一分」
一通り笑い終わった後、彼は手紙を胸襟の内ポケットへとしまった。代わりに取り出した懐中時計をパカリと片手で開くと、まだ笑いの抜けきらない顔で盤面に目を落とす。
「私を見つけるとしては、なかなかの好タイムだったな、ぼうや。しかし今の鳴き声は一体なんだね? 不格好極まりない」
僕の問いかけへの返事は、笑顔に満ちていた。対する僕は、明らかに答えられるような精神状態ではなかった。魂と一緒に心臓も口から飛び出てない? 顔だしてない? 大丈夫?
「オーダーメイドで作ったライターだよ。いいだろう。どうしても使ってみたくてね。吸いもしない葉巻を買ってみたんだが、中々うまく着火しない」
いや、聞きたいことはそういうことではないのだ。見せつける様に線香花火のように細かい火花が二度ほど銃口から吹き上がる。金に糸目を付けず生み出されたオーパーツに、直接的な殺傷能力が無いのは疑いようもなかった。
吸いもしない葉巻買った理由、まさか、それだけ?
「ところで君、今の驚きで漏らしてはないだろうな。その椅子は中々気に入っているのだが」
彼は、さきほどから反応しない僕に機嫌を損ねたようだった。けれどこちらとしても口を挟む暇がないのだ。ついでに余裕も無い。売り切れました。おかしいなぁ。会話の主導権を握ろうとして隠し玉を持ち出したのに、いつのまにかマウントポジションをとられて一方的に殴られている。
首を横に振れば、にっこりと、それこそミステリアス・トリニティの中で見たら「誰だお前は」と叫びたくなるような笑顔を浮かべて、バグショー署長の顔はこう言った。
「ではお客人、改めて歓迎しよう。私がアンデル・バーキンダムだ。そしてようこそ、ミステリアス・トリニティの世界へ」
握手を求められ、夢遊病者のごとく手を握る。例えようもない色んな思いを込めて「はぁ」とだけ答えるのが精いっぱいだった。
「先にこれを返しておこうかね」
放り投げられた何かを、確認せずにキャッチする。手の中で銀色と赤に輝くカフスボタンには、昼過ぎにお菓子屋で生き別れたはずのドラゴンが刻まれていた。
「君の行動パターンは分かりやすく分かりにくい。先回りするのにこれほど苦労するとは思わなかったよ」
そのままバグショー署長、いや、アンデル監督? は、どっこいしょいあーという不思議な掛け声と共に書斎机に、椅子ではなく机に座って足をぶらぶらとさせた。
彼は猫背で、足の間に両手を入れた悪ガキの姿勢をとった。そして背筋が寒くなる様な笑みを浮かべて、こっちを観察している。
「いやいや、そこまで怯えないでくれ。君を今すぐどうこうする気は無いのだよ。まずは、どうやって私を見つけたのか、話を聞こうじゃないか。君も少しは英語が喋れるようになったはずだろう? 今回は相当制限を緩めたぞ」
制限、という言葉には心当たりがあった。
ミステリアス・トリニティは英国を舞台にした、いわゆる時代劇だ。だから使われている単語は「十九世紀に使われていた英国語」に寄せてあって、日本の教育で使われている「アメリカ英語」とは少し異なっている。
例えば、ズボンは「トロウザー」だし、この頃の眼鏡は、まだグラスよりも「スペクターズ」と言った方が通じやすい。そういう「聞いた事あるけど使った事はない単語」のオンパレードだ。
最初はそういった細々とした制約のある単語しか使えなかった。使われない単語を喋ろうとすると、まったく思い出せなかったのだ。その中の大半は本気で思い出せなかったけど、中には……一割二割は口に出そうとして断念した単語もある。
今回はと言っているように、確かに不思議な制限は少しずつ何度か緩和されたように思える。今朝の現代アメリカ英語使用解禁で、ようやく気がついた。
昼間に行ったトロリーおじさんのお菓子ショップ、あそこが今日の分岐点だ。キャンディやクッキーなんてアメリカ英語が菓子屋内に氾濫していて、目を疑った。飴はスイーツ、クッキーはビスケットと呼ぶ方が当時の英国ではメジャーだ。お菓子と普段口に出さないような船乗りに確認してみたところ、当人が口に出すことは少ないが、意味が通じないわけではないらしい。
なのでかなり話しやすくはなったけれど、下手に本編を知っているだけに違和感がある。今の僕は、侍の登場する時代劇の台詞に「マジで?」「ヤベエ」と言っているのと同じ状態だ。でも、それが監督のご厚意ならありがたく使わせて頂こう。
そして、今なら。そう、アメリカ英語が解禁された今なら! 僕お得意の、鍛えに鍛えぬいたカリフォルニア州某丘で撮られた的な映画のセリフだって言えるのだ!!
『俺に構わず先に行ってくれ。後から必ず追いついてみせる』
『やだなぁ、本当に幽霊なんか出るはずないだろう?』
『此処がお前の墓場だ。ヒッヒ、助けなんて来ねえよ』
『助けてくれえ、俺はまだ死にたくない!』
止めよう。
悪役、チンピラ、お調子者好きがここに来て裏目に出た。とっさに思い出せるセリフが、全ジャンル、全キャラクター共通して、とにかくあらゆる方面でダメなやつばっかりだ。
今後、軽率な発言をしたら死ぬ気がする。失言するという意味でも、物語のシステムという意味でも。




