053 帰宅
主人が帰ってきたのを察したのか、膝の黒猫がみゃあと鳴いて顔をあげる。
「ライン卿。どうかされたのかね。今日は疲れている。謝罪なら後日改めて行わせてもらいたいのだが」
僕の来訪に、バグショー署長はひどく驚いている様子だった。
膝の上に乗っかった黒猫を一瞥して、それから僕をまっすぐに睨みつけてきた。
けれど驚いていたのは僕も同じだった。いつの間にかバグショー署長は書斎の中へ入っていて、僕の近くに立っていたのだから。
「いつのまに?」
「ああ、ここの扉は角度によって音が鳴ったり鳴らなかったりする。驚かせて申し訳ない」
「すごくおどろき」
バグショー署長はやや不機嫌そうに眉をひそめた。
「私に何か用かね」
「あ、あの。拾い物をしまして、警察に届けよう、思いました。でも警察場所しらないから、あなたの家へ」
「ほう」
足元に置いてあるスーツケースを蹴ると、緩くなった金具が遂に外れた。
赤いペルシャ絨毯に現れた阿片入りのスーツケースをバグショー署長は無感動に見下ろしている。
「これは、これは一大事ですな、ライン卿」
まったく緊張感がない声でバグショー署長が言う。
「どこで見つけられたのですか?」
「倉庫」
「そうですか」
僕が腰を浮かせるのと、バグショー署長の腕が指揮者のように揺れるのは同時だった。
気が付いた時には前髪越しに銃口を当てられていた。
「もう一度だけ聞く。これをどこで手に入れた?」
「倉庫」
嘘はついていない。
「君の袖口の裏には僅かに血が付着している。誰かから奪ったのだろう?」
「もしかして報告があった?」
しまった、コートの下のシャツは見落としていた。もしかしたらゴドウィン達を縛り上げた時についたかもしれない。袖口に目線を落としたけれど、多少の煤がついている以外は綺麗なものだ。
「君は、マーシュホースを潰したいのか」
「結果的にそうなってるね」
「いつからだ。いつから私を疑っていた?」
「バグショー署長がマーシュホース商会の裏の顔であると、疑念をもったのはついさっき」
「くっく、白々しい。私の家まで調べておいて良く言う。しかし愚かにも証拠品を持ち込んだのだから、本当のことだと信じよう」
疲れ果てた顔が壮絶に笑うととても怖い。
「君とはあの夜が初対面だと思っていたのだが。どうやって調べた」
それは違う。バグショー署長とは今まで何度もあっている。それは小説の中で、映画の中で。彼は僕の事を知らないけれど、僕は彼の事をよく知っている。
……否、本当にそうだろうか。
バグショー署長のことはよく知っている。いつでもうっかりバグショー署長。不機嫌で猫好きのバグショー署長。
ちょっとした違和感だった。僕はポケットの中に手を入れて、掴んだものをパラパラと床に落とす。
「キャンディー?」
それがどうしたと言わんばかりの表情に得心がいった。




