049 告口
「もう行くのか」
「ああ、待たせてる人がいるんだ」
船乗りさん、いや、デズモンドは、それ以上僕を止めなかった。
「生きて戻って来い」
「死ぬつもりなんてないさ。目の前に立っているのは一体誰だと思ってるんだい?」
笑って答えてやる。
「違いねえ。お前は俺を負かした男だ。簡単にくたばりゃしねえな」
紙一重、偶然の積み重なった結果の敗北を、彼はそう言った。僕の事を買い被り過ぎだ。けれど、真実を言ってやるほどお人よしじゃない。
「君こそ。変な所で死んだりしないようにね」
片腕を組み、拳を突き合わせ、そして互いの手を握る。縄ダコのついたデズモンドの分厚い掌からは、確かに友情を感じた。
「俺達には挨拶もなしか?」
「行っちまえよ。ガキ」
「ウッド、トレヴァー……」
酒場の壁に背中をつけ、腕を組む二人の船乗り。似合わないウィンクなんて無理しなくてもいいのに。やめてくれ、顔を見たら別れづらくなるなるじゃないか。
僕は慌てて彼等に背中を向ける。そしてトランクを持っていない方の手をあげた。
「また来るよ」
誰も答えなかったし、誰も止めなかった。でも、彼等が見送ってくれているのは間違いなかった。歩みを止めない僕の気持ちは一つだけ。だから、そろそろ言わせてもらおう。
なんだ、この状況。
いや、何だって自問したところで分かってる。だって、やってしまった本人だから。
ちゃんと今回も反省はしている。後悔はしていない。ミステリー/サスペンスジャンルをちょーっと、ほんのちょこーっとだけ、変更した。それだけだ。ジャンルをミュージカル映画にすべきか、インド映画にするべきかまだ迷っているところだけれど、結果は言わないほうがいいかもしれない。
働き過ぎの肝臓に気をつかって水で薄まりきった酒を半口ばかりひっかけた後、後ろから殴り掛かってきた船乗りのデズモンドを挑発してダンスバトルをしかけた。そうしたら酔っ払いが次々と加わって来て、最終的にミュージカル映画になって、意気投合した船乗り三人と杯を交わしてたら、熊みたいな金貸し貴族がやって来た。ここまでが前編だったね。
金貸しが酒場を馬鹿にして、常連の酔っ払いを殴った。それにキレたデズモンドが金貸しにつっかかって、逆に金貸しの護衛に殴り返された。連鎖反応的に僕が彼等を煽って、更にはアイルランド人の楽団と黒人の船乗り達と歌の上手いスコットランド人も加わって、何故かまたダンスバトルになった。皆が踊りに加わった所為、いや、おかげでインド映画っぽくなった。ここまでが後編だ。
今や、金貸しの一行は脚が攣って床に倒れている上に、びりびり痛むであろう足を遊び半分でつつかれている。タップなんて準備運動なしで、やるもんじゃない。次に会った時は裁判で縛り首にしてやると罵られたけれど、金貸しさんも貴族籍を持っているらしいから相手になろうじゃないか。こちとら、勝てる喧嘩を売られたら、さも此方が不利のような振る舞いをみせ受け取る利益を限界まで釣り上げてから買っていく主義である。負ける喧嘩と宗教関係(特にシスターの殺意)の訪問販売はご遠慮ください。
英国出身じゃないせいで下に見られていた船員達は一芸に秀でていると酒場のメンバーから一目置かれる存在になった。明るい音楽が中から響いて来るのが、その証拠だ。
そしてリリーちゃんを探しに飛び出していったマスター不在の酒場は、壊滅状態。主犯の僕は、聞こえの良い言い訳を並べて、夕日と海とは逆方向にすたこらさっさと逃げ出している最中。今がエピローグ。そろそろスタッフロール流してくれていいよ。
何だ、綺麗にまとめられたじゃないか。そう思った僕の口は、いまだにHに近い形のまま固まっている。脂汗はノンストップだ。見送ってくれる男同士の友情が後ろめたい。ごめんね、デズモンド、ウッド、トレヴァー。君達多分、マスターから凄く怒られると思うよ。その時、隣にいてやれなくてごめん。
さようなら、皆。僕は一足先に戻らせてもらう。現実の世界へ――……
飲んだ量が少なすぎた所為で、中途半端に記憶も理性も残っている。これはキツイ。
「ユニコーンと盾」から飛び出してきたものの、行く先の決まった旅ではない。いや、ワケありの落とし物を力づくで強奪したんだから警察に行っておくべきだろう。そう思ったところで、一度足を止めた。
この大通り、見覚えがある。確か近くに、バグショー署長のお宅があったはずだ。よし、直接訪問しよう。
だてに原作と映画と各パンフレットと設定資料を読み込んでいるわけじゃないんだよ。
バグショー署長は何といっても現時点での映画七作、殆どに出ているからね。主役、準主役のご自宅の位置など余裕で特定済みです。インターネットの特定班が。
「こんにちは」
バグショー署長のご自宅まで徒歩十分。エリザベスさん達は無事かなぁなんて他人事のように考えながら呼び鈴を押すと、電球みたいな頭をした白い顔の執事さんが出迎えてくれた。
「あ、あの、リチャード・ラインと申します」
雰囲気に気圧された。何だ、この、名字がAで始まるゴーストファミリーを彷彿とさせる空気は。
執事さんは無言のまま、頭をゆっくり縦に振った。初対面の人に姓はアダムスですかと聞くのは失礼なのだろう。けれど、もうそれしか考えられない。一員だ。絶対。
僕は静かにトランクを持ち上げた。防御力は旅行鞄並、精神的防御力は壊れた鍵並の、頼もしい盾。その名もトランクバリア。証拠品とも言う。
「アルバート・バグショー署長は、いますか?」
執事さんは首を横に振ると、静かに半身をずらした。すらりと歳の割には長い腕が伸びる。
「中で待ってても?」
瞬間、カッと執事さんの目が大きく見開かれ、顔の近くまで距離を詰められた。悲鳴をあげなかったのは奇跡だ。びっくりし過ぎて声が出なかっただけなのだけれど。
執事さんは素早くこくんと、愛らしく頷いた。よし、分かったぞ。この人は心臓に悪い人だ。
□◼□◼
通された書斎に、陶器がこすれる音が近づく。ギィィと蝶番の軋む音が尾をひいた。
現れた執事さんの手には銀のお盆。生首の代わりにピンクの花柄紅茶セットと、透明なガラスの器に盛られたビスケットが行儀よく乗っている。
何で可愛い系チョイスなんだ。い、いや。人の見かけで判断するなんて最低だったな、僕。
「ドモ、アリガトウ」
見ているこちらが不安になるほど震えながら、執事さんが紅茶のソーサーを僕の前に置いた。何かの拍子にうっかり事切れそうなハラハラ感と共に役目を終えた彼は、銀盆をお腹の前に掲げさっさと退室してしまった。
去る時には扉の蝶番の音がしなかった。実に滑らかにドアが閉まる。なんで。
一人きりになって、バグショー署長の書斎をぐるりと見渡した。執事さんは悪くない。勝手に怖がる僕が悪い。けれど今だけは、壁にかけてある剥製の視線を、全部どこか明後日の方角に向けて欲しかった。
四方から見られている気がして落ち着かない。ほら、今だって向こうのピアノの上に置いてある黒猫の置物の目がうごがばば。
「にゃー」
無人の書斎。背中に暖炉。目の前には書き物デスク。一面を覆う書棚。狩りで獲った鳥や獣の剥製。室内をうろつきまわって、結局窓辺のカウチチェアに腰を落ちつけた。この部屋で一番明るい場所だ。
いや、びっくりしたなぁ。まさか一匹、生きてる猫が紛れていただなんて。警戒しているのか、声はするけど姿は見せてくれない。
バグショー家の猫好きは有名だ。だから、家の中に猫がいてもおかしいことは無いのだけれど、ちらりと見えた瞳が金と青で、しかも黒猫となると、あれ、ジェイコブ先生宅のイゾルデじゃないのかと確かめたくなる。好奇心は猫を殺す。人も殺すから、興味はほどほどにしておこう。
『黒猫』と言うと、アメリカ人作家のエドガー・アラン・ポーの事を思い出す。彼は作品を発表した際に、英国人だと間違われたらしい。
分かる気がする。ポーはゴシックホラー系の作風だ。
トム先生が影響を受けたアメリカ人作家として名前を挙げていて、そのとき初めて僕もポーがアメリカの作家と知ったんだ。
ミステリアス・トリニティを書いた作者。トム・ヘッケルトン。
一切姿を見せなかった覆面作家。
膝に抱えていたトランクを床に置き胸ポケットから手紙を取り出す。The Talerと書いてあった手紙だ。
ポーの作品に『告げ口心臓』という短編がある。原題は"The Tell-Tale Heart"
TellとTaleをつなげた熟語の意味は告げ口。または密告人。
もう一度、丁寧に手紙に目を通した。僕の置かれた状況と、今までやってきた事。正しいスペルと間違ったスペルを頭の中で重ねる。
“密告くんへ”
スペルミスは、わざとじゃない。これは殺人鬼宛てではなく、中にいる僕個人へ出した警告。
原作主義者アンデル・バーキンダム監督がマーシュホースの帳簿を外に出したことを怒って出した手紙。
反省すれども後悔はせず。
高畑死すとも映画は死せず。
それが僕の座右の銘。キャッチミーと言っているんだから、本気で怒ってはいないと信じよう。
そうでなきゃ……リチャードが原作通りに射殺され燃やされてしまう。




