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犯人は僕でした  作者: 駒米たも
本編
56/174

048-2 或る警察の災難

「ついてない」

 頭を抱えながらダニエルは呟いた。

 彼は警察官である。

 二日前の夜警は最悪だった。雨で、寒かった。昔の彼女よりも無駄話が長い新人を隣に、一晩中暴走馬車を追いかけ回した。

 朝になればさる大物商会が阿片の密輸入をしているなどと言う爆弾を聞かされ、泥酔した証人なる厄介者を押し付けられた。その酔っ払いは全員が出払った隙をついて、姿を消した。


 踏んだり蹴ったりである。

 お咎めを覚悟していたダニエル達だったが、命令を出した本人が「そうか」と言うだけで、署長室から特に何事もなく解放された。全員が肩透かしを食らい、呆けた顔で互いを見つめあった。

 厄介事が一人でに歩いて出て行った。

 ダニエルにとっては喜ばしいことだった。貴族か、よその国の大使かは知らないが、関係者が上手く警察に手回しをしたのだろうと忘れることにした。

 彼が消え、尾行者の姿も消えた。ジャクリーン巡査部長は何やら気にしている様子を見せていたが、彼女に危害が無ければ、ダニエルはそれだけで満足だ。


 昨日の夜も最悪だった。非番だと言うのにダニエルは仕事をしていた。護衛の仕事で、悪趣味で大きな屋敷の前に張り込んでいた。

 隣にいるのは、このところ頻繁にしゃしゃり出てくる、猫っかぶりで生意気な、探偵を名乗る男だった。ジャクリーンの名前を出された脅迫に近い依頼。ダニエルは断れなかった。

 警察の服を二人分持ってこいと命令した探偵は始終超然とした様子で、張り込んでいる最中、一言も口をきかなかった。

 欠伸が堪えきれなくなった頃、悲鳴が聞こえた。探偵は目を輝かせていた。ダニエルにはそう見えた。警察官の服に着替えた彼等が現場に駆け付けた時には、マーシュホース商会長の、事切れた遺体が転がっていた。

 さらに悪い事に、警察署のトップ、アルバート・バグショーの姿が容疑者の中にあった。現場に駆け付けた他の警察官達は驚き、被害者の知名度と合わさって、まるで蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。

 非番のダニエルがここに居る事を訝しむ仲間もいたが、護衛の仕事だと言えばあっさりと納得した。警察官の薄給は周知の事実であり、護衛として警察官が非番の日に雇われるのはそう珍しい事では無い。

 そう。ダニエルが受けた依頼は探偵の護衛。間違っても助手などではない。

 なのに、ダニエルは奇妙なシスターと一緒に、探偵と人使いが荒い老婆の使いを一晩中やらされた。骨董品を動かし、二人でソファに座らされ、絨毯に染み込んだコーヒーカップの染みまで調べた。

 帰りたいとダニエルは強く願い、その不真面目さの報いか、朝には死体がもう一体出た。

 容疑者はすぐに捕まった。子供のような態度を取る、実際まだ大人になりたての青年の顔を見て、ダニエルはどこかでその貴族の事を見たことがあると感じていた。

 そう思ったのは相手も同じだったのだろう。彼はしきりにダニエルを見ては、変な顔をしていた。

 殺人犯は逃げた。あの青年は無実で、一晩中愛らしい笑顔で元気づけてくれたメイドの少女が犯人なのだと、探偵は非情にも全員に告げた。


 なので今日のダニエルはとにかく静けさを欲していた。素直に疲れていると言えない我慢強さが、彼の中にはまだ残っていた。

 昼前に下宿先に戻ると、夕方過ぎまで泥のように眠った。そこまでは良かった。久しぶりに家族、嫁いだ姉と幼い弟の顔を見て癒されようと決めてからだ、おかしくなったのは。

 ぶらぶらと蚤の市を冷やかしている最中、ダニエルの目の前に人だかりがぽっかりと割れている不思議な空間があらわれた。興味本位で覗き込めば、見覚えのある美しい女性が、じっと屋台の前に立っている。

 ダニエルから声をかけようと思ったわけではない。あちらが目ざとくダニエルを見つけ、声をかけてきたのだ。

「御機嫌よう」

「御機嫌よう、シスター・ナンシー」

 シスター・ナンシーと名乗るこの女性とダニエルは、親しい間柄ではない。つい朝方までダニエルと一緒に探偵と老婆のお使いをしていた、言わば助手仲間だった。

 紺と白の頭巾から覗くのは白い肌と整合性のぴったりと取れた顔のパーツ。

 けれどダニエルは知っている。彼女が女神の様な美しさに反して、奇妙な思考回路を持つお嬢さんだという事を。

「ここで出会うとは、奇遇ですね」

「はい、奇遇です」

 彼等の会話は止まった。

「何を、していらしたのですか?」

「あちらの置物が」

 彼女の細い指が、骨董品の並ぶテントを示した。

「カバなのかゾウなのか。悩んでおりました」

「ゾウじゃないですかね」

 ダニエルは即答し、シスターは驚いたように目を開いた。

「ゾウですか」

「だって鼻が長いじゃありませんか」

「しかし、つけ鼻をしたカバの可能性もあります」

「じゃあもう、カバでいいんじゃないですか」

 投げやりなダニエルの答えに、シスターは満足したようだった。

 滅多に彼女は口を開かないが、開いたら開いたでこれなのだ。一晩中彼女と一緒に捜査したダニエルの忍耐力はいかほどか。

「買い物ですか」

 シスター・ナンシーが尋ねてきた。ダニエルは一瞬、彼女にプライベートを答えてよいものかどうかを考える。

「久しぶりに、家族に顔を見せようかと」

 それは素晴らしいと無表情を崩さずシスターは言った。

「お土産物を買いに来られたのですね」

 お土産か。このシスターにしてはまともな事を言うとダニエルは驚いた。姉のイリーナは臨月だ。何か食料でも、差し入れようか。

「さしあたっては、こちらのカバの置物など如何でしょう」

 まるで店員のように、慣れた手つきで彼女は示す。

「いえ、結構」

「冗談です」

 真顔での冗談はやめてほしい。

 のっそりとした動きのテントの主が、冷やかしは止めろと言わんばかりの視線を向けてくる。ダニエルは適当にごまかそうと口を開いた。

「あ、れは、何の置物ですかね」

「バクだよ」

「まさかの!」

 ぶっきらぼうな店主の回答にダニエルは頭を振り、興奮したシスターの腕を引っ張ってその場を後にした。


「死者の腕は、売り切れでした」

 淡々と、前を見据えたままのシスター・ナンシーが事実を口にした。

 愛らしい、剣を携えた天使が揺れると、チリリンと鈴の音が響く。ダニエルとシスター・ナンシーは「トロリーおじさんのお菓子屋ショップ」と描かれた看板の下から揃って出てきた。

「そんなに落ち込むな。スイーツは買えたんだろ?」

「落ち込んでいません。売り切れであったと、事実を言っているだけです」

 抑揚をつけずに彼女は繰り返した。その手にはリボン付きのハッカキャンディがしっかりと握られていた。

「それは、あんたの?」

 シスターは答えない。口を真一文字に横に結んでいる。ダニエルは困った様子で後頭部を掻いた。

「俺んところもなあ、弟が好きなんだぜ。死者の腕」

 ぱちり、と透き通った大きな瞳が瞬きをしながらダニエルを見上げた。

「弟さん、ですか」

「ああ、うちは姉と歳の離れた弟が一人ずついてね。小さい頃からここの菓子が好物だったんだ」

 昔を懐かしんで、ダニエルは目を細める。

「貴方は良いお兄さんなのですね。ところで」

 妙なところでシスターは言葉を切った。

「あの全力で号泣しながら駆けてくる海賊達は貴方のお知り合いでしょうか?」

 カバの置物をさした時とまったく同じ動きでシスターは通りの向こうを指した。


 鬼の形相、必死の形相、ポカンとしながら抱えられている顔。ダニエルにとって顔馴染みとなった悪ガキ軍団が、ありとあらゆるものを跳ね飛ばしながら一直線に向かって来ている。

「兄ちゃんーー!」

 ダニエルに休みは無い。とてつもなく嫌な予感に駆られながら、彼は天を仰いだ。



「で、リンダ・ストックって誰だよ」

「……おれの、妹だ。舞台に出てる」

「は!? 俺、知らねえぞ!」

「そりゃあそうだ。誰にも言ってねえんだから」


 そこそこ有名な小悪党、ハーパーとゴドウィンが背中合わせに縛られて転がっている。

「誰がやった?」

 倉庫の中に入ったダニエルは仁王立ちになると、腰に手を当て子供たちに問いかけた。物静かなシスターは小悪党たちを覗き込み、無表情でつつきはじめている。蟻を観察する子供のそれだった。

「眼鏡のような」

 何故か疑問形でエリザベスが答えた。

「オッサンのような」

 追従するように、アンドリューも疑問形で答えた。


「そいつの、名前は」

 ダニエルは一言一言、単語で区切って子供達を半眼でねめつける。エリザベスはさあ、と肩をすくめた。


「とあるお貴族様の関係者だから言えない」

「アンドリュー」

「あのオッサン。自分の名前、かくしたいんだろ? ならそうするよ。パーシーとティモシーをたすけてもらったし」

 エリザベスをフォローするようにアンドリューが言った。

「お前たちなぁ」

「おじちゃんの名前はリチャードっていうんだよ」

 呆れたようなダニエルの横でちびのティモシーが呟いた。

 エリザベスは顔を青くしたが、既に遅い。リチャードという名前に、ダニエルは聞き覚えがあった。

 よくある名前だと自らに言い聞かせ、ダニエルはティモシーに目線を合わせた。

「どんなやつだった?」

 自分の元気が霧散していくのを自覚しながら、ダニエルは尋ねた。

「うん、髪は茶色でね、ボサボサでね、お菓子くれてね、こーんな大きな眼鏡をかけているんだよ」

「てめぇら、さっきのガキどもか!」

 体の大きい男がガラガラ声で言う。ゴドウィンがどこか嬉しそうに上体を起こしていた。

「ふんっ」

 そして、間髪入れず眉間にシスターの掌底付きを食らって沈んだ。


「あの方はどちらかと言えば殴られる側の人間だと思っていましたけれど、殴ることもあるのですねぇ」

 シスターの発言として、それはどうなのだろう。パンパンと手を払い、一仕事終えたシスターがダニエルの元へと近づいてくる。

「あんた、こんなことしでかす奴に心当たりでもあるのか」

 シスターは勿体ぶって片手を腰に手を当てた。

「リチャード・ライン卿ですよ。眼鏡で、茶髪で、この辺で大きなお屋敷に住んでいて、いい歳しながらも子供達と全力で海賊ごっこしそうで、なおかつトラブルを雪だるま式に大きくできる方なんて、そうそう思いつきません」

 後半部はシスターにも当てはまるのではと言いかけて、ダニエルは飲み込んだ。

 だとしたら、ライン卿は午前に殺人容疑と殺害未遂を同時に引き起こし、午後になったら子供を巻き込んだ暴力事件を起こしているという事になる。そんな馬鹿なことが起こり得るのだろうか?

「じゃ、俺帰るわ」

 ここに至って、ダニエルはようやくライン卿が誰なのかを思い出した。

 二日前のあの酔っ払い。身形さえしっかりとしてれば「それなりにらしく」見えるじゃないか。詐欺だ。そんな思いを抱いて、ダニエルは顔を覆う。

「ダメです、仕事してください」

「今日は生憎と休みでな」

「ところで、オッサンはどこ行ったんだ?」

 辺りを見渡すアンドリューの呟きはもっともであったが、誰も答えられるものはいなかった。





□◼□◼


「バーク氏はいますかー!」

「あぁん?」

 名前を呼ばれた老人が、テーブルから顔を上げた。

『ユニコーンと盾』は船乗りの間ではよく知られた酒場だ。

 黒人の船乗りが隅でひっそりと酒を舐め、アイルランドからきた吟遊詩人たちが葬式のような顔で音楽を奏でている。泥酔したスコットランド船乗りがゴウゴウという鼾をかき、金貸しが取り立てに来たのか荒々しい声で叫び続けている。

 駆けこんできたのは男は旅行鞄(トランク)を大事そうに両手に抱えてながら、器用にそれらの波を掻い潜りバークの元へとやってきた。

「バーク氏。ワタシ、質問アルマスヨ」

 男はバークの正面に許可なく座ると片言で切り出した。

「うんあ?」

 ごま塩の無精髭と腫れぼったい顎をこすり、バークと呼ばれた隻眼の老人が瞼を持ち上げた。

「その馬鹿丁寧な口調、この前のガキだなぁ。オメェ」 

 夢の中にまだ片足をつっこんだままのバーク老はもつれた舌を解く為に、机の上に乗った酒瓶を取りあげた。一口あおり、酒臭い息を吐く。

「これの名前を聞きたくて」

 男はポケットからカラフルな包み紙を取り出した。飴、チョコレート、キャラメル。

 甘い匂いのそれを一つつまんだバーク老は残った片目を細めて、上から下から観察した。

「いいかい、坊っちゃん。これはな、スイーツってんだ」

「これは?」

「ビスケットと、マシュマロだなぁ」


 酔っ払いバークから憐れみの視線を向けられても、男は気にしなかった。トランクを抱えながら何やら考え込んでいる。

「このガキ、よくもまあ顔を出せたもんだ」

 バーク老と男が声のする方を向くと、青く変色を始めた痣と怒りを顔に張り付けた船乗りが四人立っていた。

「この間、足止めの人」

「覚えているなら話は早い」

 ボキボキとならされる指の音に、男は真っ青になった。

「お菓子いる?」

「バカにしてんのか、テメェ!」

 騒ぎを聞きつけたのか。四角い体躯の酒場のマスターがカウンターから身を乗り出し、トランクを抱えた男を見つけると声を更に荒げる。

 

「テメェらまだ騒いでんのか。そろそろ出禁にすんぞ。ってお前はァ!」

「こんにちは、マスター。向こう、倉庫、リリー、危険。それじゃあね」

 男はマスターを見ると身振り手振りを踏まえつつ、そう言うと、来た時よりも早い足取りで酒場の出口へ向かおうとした。

「待ちやがれ! 逃げようったってそうは――……」

 顔にあざをつけた船員が男の肩を掴もうと手を伸ばすのと、男がトランクを片手に抱え直し、手近なテーブルから酒の入ったグラスを取り上げるのはほぼ同時であった。



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