047 倉庫
「おい、オッサン。これで俺達をかいじゅーしたと思うなよ」
「休戦の申し込みです」
懐柔と裏工作と和平交渉は同じ。それにしてもアンドリュー君は難しい言葉をよく知っている。
結局、彼も死者の力に屈した。砂糖好きの海賊達で助かった。争いのない平和な世界が一番だ。
だからエリザベスさん、無言のキャメルクラッチは止めよう。仰け反った首がギチギチいってる。
「いいじゃないですか、スーさん。皆で食べれば美味し、やば、首おれる」
リチャードと子供達が川辺に座って死者の腕を食べる光景。
本編を見た人なら比喩表現ではなく「言われた通りの光景」を思い浮かべるだろうけど、目の前に広がっているのは、とても和やかな光景だ。頸椎損傷しそうな一人を除いて。
「あのね、おじちゃんには教えてあげるね。ジャムとね、パンの部分を分けて食べるとね、すごくおいしいんだよ」
「そうなんだぁ。凄いなぁ、ティモシーは物知りだなぁ」
隣に座ったティモシー少年が懐いてくれたのか、こっそり内緒話をしてくれた。
微笑ましい。微笑ましいけど、おじちゃんちょっと今脳に酸素が届いてなくて、上手い切り返しが思いつかないんだ。
「トロリーおじさんのお菓子ね、すっごく美味しいの。街でも一番? うーん、二番かな。どれくらい美味しいかっていうと、これくらい! でも、滅多に食べられないんだよう。ありがと、おじさん」
「どういたしまして。パーシーの将来は美食家かなぁ」
反対に座った、ぽっちゃりパーシーが両手をうーんと伸ばした。本当に美味しそうに食べる子なので、見ていて癒される。けれど、顔の半分がジャムと煤でとんでもないことになっている。金は無いが、ハンカチならある。見えづらいけれど拭いてあげよう。
さっきまでベソをかいていたリリーちゃんも、今は僕の膝の上で大人しくお菓子を食べている。
「美味しい?」
返事の代わりに幸せいっぱいの笑顔がかえってきた。これだよ、これ。ミス・トリで僕が見たかったの。
リリーちゃんの聞き取りずらい暗号を読み解いた結果、泣いていたのは転んだせいもあるけれど、心配したアンドリュー君と子分たちにずらりと取り囲まれたのが怖かったのだそうだ。
アンドリュー君は良い子だった。宝の地図を見つけたら、彼にあげよう。
「ところで、このオッサンはさっきから何でそんなに幸せそうなんだ」
リチャードが生きている子供に囲まれて、平和なやり取りをしているからです。
「オッサンって言うけど、こいつ私達とそんなに歳変わらないじゃん」
首折りを諦めたエリザベスさんが、むくれながらアンドリュー君の隣に座った。死者の腕二つ目だ。小さな体のどこに仕舞われるのか、不思議でたまらない。
「どうみてもオッサンじゃねえか」
いつも、振る舞いの所為で一周りは歳下に見られた僕にも、ようやく歳に見合った貫禄がついたようだ。
「アンドリュー君。何か欲しいものはあるかね。おじさんが買ってあげよう」
「きもい」
冷たい眼差しと共に断られたけど満足だった。ところで、オッサンと言えば何か重要なことを思い出しそうなんだけれど。
「とりゃー」
まぁ、いいか。出っ歯のピアーズに背後から刺されて倒れた。もちろんお互いに振りだけれど、ここはちゃんとやられないと。大人だからね。
膝に乗ったリリーちゃんを落とさないように気をつけて、大げさに刺された胸を押さえて倒れる。
死体の真似をするときのポイントは、全身の筋肉を弛緩させる事と、細部まで徹底的に動きを止める事。呼吸も止める。外だから瞳孔はなかなか開かないけど、良い出来だ。
「えっと」
動かない僕の腕を木剣の先で突いていたピアーズが固まった。
「死んだー!」
刺した本人が最初に泣いた。
「びやー!」
つられてリリーちゃんが泣き、ティモシーとパーシーがパニックを起こした。
子供相手に「死んだふり(本格派)」は封印しよう。
あわてて起き上がって騒ぎをなだめたけれど、一度着火した鳴き声の炎はなかなか沈静化しなかった。反省した。自分の死体姿を少なくとも三桁は見ているのが逆効果になったのか。
「ふふ、リチャードが生きている……生きている……」
「突然笑い出した不気味な大人は置いといて、そろそろリリーを『ユニコーンと盾』に連れてこうぜ」
バンダナを解きながらアンドリュー君が言う。
『ユニコーンと盾』は酒場であり、グラスの割れる地獄だ。どうしてあんな騒がしく危険な場所にか弱いリリーちゃんを連れて行くのだろう。
「リリーはマスターんとこの一番下の娘さんだよ」
マスターって、あの四角形で傷跡の、髭マスター?
僕はリリーちゃんを見た。
愛らしい天使を彷彿とさせる眼差しが、不思議そうに僕を見上げている。
なるほど、お母さんに似ているんだね。
「おじさん、どうしてもっていうなら、次もあそんでやるよ」
「ただし敵役な」
拳をぶつけ合ってちびっこ海賊を見送る。
僕が立ち上がると、リリーちゃんは両手を伸ばして来た。僕もまた、自然に抱き上げる。この短時間でかなりのコンビネーションが生まれたと言っても過言ではない。
「リリー。そいつに、くっつきすぎじゃないか?」
お兄ちゃん役を取られて拗ねているのだろうか。尊い。
「オッサンも、あんまりリリーを甘やかすな」
「すみません。今日は特に自制が利かなくて」
僕の答えにアンドリュー君の目に激しい警戒の色が浮かんだ。
「おまえ、もしかして……へんたいなのか?」
僕、リチャード、トマス。外見は同じでも、中身によって回答が異なるので返事に困る。
「ところでアンドリュー君。アンデル・バーキンダムという人、知ってる?」
強引に捻じ曲げられた話題に対しても、純粋なアンドリュー君は考えてくれる。
「知らない。そいつ、だれだ」
「探してるおじさん。君と名前が似てるから聞いた」
「それだけで分かる訳ないだろ、なぐるぞ!」
それだけ、と彼は言うけれど中々馬鹿にしたものではない。
自分と名前が似ている、または同じだというだけで、驚くほど記憶に残ることもある。
「ところでアンドリュー君の苗字は?」
「ルースター」
「るっ」
ルースターは、ミス・トリの中に一人いる。一番会いたくない人だ。
偶然会ったアンドリュー君が「彼」の血縁者だなんて、ありえるのだろうか。
「オッサン、顔色が悪いぞ」
「きのせいじゃないかな。ところでアンドリューくん。親戚にダニエルって名前の……」
「あれティモシーとパーシーじゃない?」
突然、隣を歩いていたエリザベスさんが立ち止まった。
視線の先には崩れかけた倉庫があった。元は造船場だったのだろう。廃棄されて長いのか、屋根が穴だらけだ。見える柱は風化して、塩と錆がこびりついている。その入口に、見覚えのある大小四つの影があった。小さい二つは先ほど別れたティモシーとパーシー。そして大きな二つは。
「ハーバーとゴドウィン!?」
ハーバーとゴドウィンというのは、港町に住んでいる暴漢の名前だ。
ミス・トリの中ではブツの運び屋や、悪徳業者の護衛なんかで登場してくる悪役なのだが、これがまた憎みきれない子悪党なのだ。
僕を越える踏み台キャラだし、貴重なコメディ担当でもある。原作皆勤賞なのに生存しているのが、その証拠だ。
ちなみにあくまでも探偵とシスターにとっての踏み台であって、一般人や、子供達にとって彼等の腕力はかなりの脅威になる。
そんな二人がちびっこを捕まえている。
事件の香りだ。
「かくれろ!」
僕達四人は空樽の影に隠れた。身長順に並んだ串団子状態で顔を出す。
「二人に何があった?」
「わかんねぇ。でも声は聞こえるな」
「見られちまったら仕方ねえ。おい、チビども。こっち来い!」
ハーバーの手には見るからに高級なトランクが抱えられていた。むっすりとした顔のゴドウィンは二人の子供を倉庫の中へ押し入れながら、周囲をやたらと気にしている。
あのトランク、怪しすぎる。欲しい。
「けんのんなふんいきだったな」
アンドリュー君が強ばった顔で呟いた。そうだね、剣呑な雰囲気だねと同意する。
今のところ、ティモシー達に怪我はないようだけど、あの様子じゃ何が起こるか分からない。
彼らは一体、何を見たんだろう。
僕はベルトに挟んでいた長鞭を取り出し、数度しならせた。
「あんた、何する気?」
「なぐりこみ」
エリザベスさんの問いかけに迷うことなく頷いた。
「仕方ねえ。おっさんがあいつらの気をひいているうちに、スーと隙をついてパーシーとティモシーを助け出す」
「リリーちゃんはここに隠れていて。スーさんとアンドリュー君がもどってきたら一緒に逃げるんだ」
三人で頷いた。あえう、とリリーちゃんも凛々しく同意してくれる。
「それじゃあ、いくぞ」
「いつもの場所に集合な」
「了解……ところでいつもの場所って?」
僕がその答えを聞くことはなかった。振り返った先には誰もいなかったのだから。
適当に話を合わせる癖、止めようかな。
Mr.→おじさん呼び




