045 菓子
「坊ちゃん。どこかに出かけるんですかー?」
馬舎の前を通っていると、柵の向こうからカイルが顔を覗かせた。隣では栗毛の馬が穏やかな顔でブラッシングされている。曇りの日でも分かる艶々とした毛並みの綺麗な馬だ。
「うん」
遊びに行くというより連行されています、と訂正するのは難しい。惰性のまま頷く。出かけることに間違いはない。
「商人用の通用門はどっち?」
カイルの存在に気が付いたエリザベスさんが叫んだ。うーん、と帽子で半分隠れた顔でカイルは唸った。それが「僕たち二人を外に出して良いものかを悩むうーん」であったのは間違いない。ややあって、カイルはカカシのように左手を上げてみせた。
「あっちですよう」
「そっ、ありがと」
「待って」
そのまま進んでいこうとするエリザベスさんを慌てて引き留める。
「カイル、借りたいものがあるます」
僕からの要求を聞いたカイルは「あれま」と驚いて目を開いた。
「何に使うんです、そんなもん?」
「ガーディアン!」
「……な、何となくですけどぉ、やりたいことは伝わってきました」
「まだ?」
急いたエリザベスさんの声にカイルは肩をすくめて馬舎の中へと消え、すぐに目的の物を持って現れた。
「怪我、しちゃだめですからね?」
いつになく真剣な顔つきの彼女に、厳かな面持ちで頷いてみせた。前振りだよね、分かります。
受け取ったものを背中とベルトの間に挟み込んだ。上から黒のチョッキを被せれば、傍目には分からないはずだ。
「背中のそれ、目立ちますよう」
カイルに、呆れた様子で指摘された。
「そう?」
自分の尻尾を追いかける狐みたいに、背中を見ようとぐるりと一回転。もちろん、見えるはずもない。我ながらバカなことをしたものだ。
「これ着たら隠れるかも」
カイルは着ていたフロックコートを脱いで僕に差し出した。彼女にとっては大きい紳士用コートも、僕には丁度良い。裾についていた土埃を払って、襟を引っ張って背筋を伸ばした。
「どうかな?」
「おお! 昨日に引き続き、意外とカッコいいです。坊っちゃん」
意外と。その一言を心に刻みこむ。
その様子に腕捲りしながらカイルが笑った。今まで、コートで隠れていた発育の良い胸が笑うたびに揺れる。英国紳士はマナーの化身。見てない。ごめん、ちょっと見た。嘘、ばっちりそこだけ見てた。咳払いで誤魔化す。
「ありがとう、必ずかえすね」
「はいよ、晩御飯までには帰るんですよー」
馬小屋から聞こえるふんふーんという鼻歌を背後に僕達は通用門へと速足で向かった。
□■□■
「本当にココで、死者の手足売ってるの?」
「そうさ!」
「予想外だ」
そこは墓場でも死体置き場でも、怪しい現場でもなかった。
金糸で縁取られた深紅や孔雀緑の旗、名も知らぬ花が溢れる吊り花籠、飾りリボンよりも装飾過多な金文字の群れ。それらを軒先にぶら下げた巨大灰色迷路、高級百貨店を抜けた四辻の先に、その店は寝そべっていた。
四辻とは死の世界につながる場所。
自殺者、魔女、吸血鬼。不道徳とされる死体は四辻の隅へと埋葬される。そこは死の女神ヘカテが管理する場所だから。
けれど、そこは違った。死体を埋めるというイメージとは対極の存在。
木壁は一面の深緑色、梁に掲げられた看板には傾斜75度くらいの角度で「トロリーおじさんのお菓子屋」の文字が踊っている。
「菓子屋!?」
純度の高いガラス窓の向こうでは、滑らかな木棚やテーブルが暖かな光の下でキャラメル色に輝いていた。
窓枠に飾られた白くて可愛い揺木馬、銃剣を抱えた錫の兵隊、縞模様の洋服を着た道化師の人形。片手に剣を掲げた天使もまた、店を構成する夢の一部だった。
そういった玩具に混じって、カラフルなジェリービーンズの詰まった壺やら、巨大なチョコレートの豪華な包み紙やら、ステッキを模したリボン付きのキャンディやらが所狭しと並んでいる。
つまり、目の前に建っているのは遊園地、クリスマス、休日、夢、シュガー、イタズラを足して、割らない場所だった。死体とか禍々しいものとは、まったく無縁の。
「ほらっ、さっさと行くよ!」
リリリンという愛らしいベルの音は、店内で騒ぐ子供達の歓声でかき消えた。
平均身長が僕の腰ほどしかない小さい紳士淑女がぴょんぴょんとあちこちで飛び跳ねている。
店内に満ちているのは砂糖と強いハッカの香り。何かの香辛料も混じっているようだ。クリスマスの匂い。
入り口を塞ぐ僕を、巨大なうずまき状のロリポップを口に突っ込んだ少年がじっと見上げていた。
「や、あ」
軽く手を振ると、彼は飴から口を離さないまま小さな手を控えめに振ってくれた。
場違い感、半端じゃない。まるで男一人でメリーゴーランドに乗ってしまった時のような。気恥ずかしさがじわじわとこみ上げてくる。
「それボクのー!」
「ちょっとぉ、押さないでよう!」
「うわぁっと?!」
気分はガリバー旅行記。熱狂的かつ盲目的な小さなお客さま達にぶつからないよう、ぐるぐると体を回しつつエリザベスさんの姿を探した。
揺れるバンダナを見つけたのは、店の奥へと消える瞬間だった。無様なワルツを踊り、ひぃひぃ言いながら後を追った。
『美味しいクッキー おひとりさま五枚まで』
『薄荷キャンディ 二ペニー』
駄菓子屋さんらしい、実に可愛らしい値札だ。
「?」
それらを目に焼き付けながら、店の奥へ、奥へと足を踏み入れていった。
「よっ、店長」
「スー。今日は遅かったじゃないか」
お人よしがシャツとベストを着ているような。絵に描いたような団子っ鼻を持つ血色の良いお爺さんが、金色に塗られたカウンターの向こうで微笑んでいた。この人がトロリーおじさんなのだろうか? 言われてみれば、それらしいオーラを感じる。白い口ひげをつけて赤い服を着ればサンタクロースとして一財産築けると保証しよう。
「新入り連れてきたら、遅くなった。いつもの頼む」
ズボンどころか、全身皺くちゃになった僕は先程の飴少年のように、控え目に笑って手を挙げる。その笑顔に疲労困憊と書いておいた。伝われ、僕の心情。
けれどトロリーおじさんは僕を見て、暖かく包み込むような眼差しで一度頷いた。
心が少年の大人。スーさんの保護者。どちらも言い訳としては苦しかったので、僕がここに立っている理由は、トロリーおじさんの想像にお任せすることにした。
「これは珍しいお客さんだね。トロリーおじさんのお店へようこそ。それで死者の腕でいいのかい?」
「二つ」
ファンタジーな空間で耳を疑う犯罪者な会話が飛び出した。
驚いている僕を尻目に、トロリーおじさんは慣れた手つきでガラス蓋を開ける。中から苺ジャムの入ったロールケーキのようなものを二つ、トングでつまみ、僕にも見えるように掲げた。
「ローリーポーリープディングと言ってね。使わなくなったシャツの袖の中に生地を入れて蒸して作るお菓子なんだ。ウチの苺ジャムは綺麗な赤色なんで、みんな面白がって死者の腕や、脚なんて呼ぶんだよ」
僕の反応を面白そうに見ていた店長さんが遂に笑い声をあげた。手際よく包み紙でくるんでスーさんへと渡し、手のひらを打ち付けあった。意味はイタズラ成功。
「ブラックジョーク?」
「本当に死人の腕かとおもったんだろ」
ニタニタ笑うエリザベスさんから察するに、最初から、こちらを驚かせるのが目的だったのだ。こういうイタズラなら歓迎するよ。降参、と声に出す。
「大変な驚き」
「ふふーん。あ、お金出して」
どこかで見た事のあるカツアゲスタイル、セカンドシーズン。当たり前のように「ん」と手を突き出す意味が「金を寄越せ」であると僕は経験上知っている。
「持ってない」
突然だったので今日は小銭を持っていない。そもそも、あのグリーンタワーホールに小銭があるのかすら分からない。
カイルのコートにお金が入っているかもしれないけれど、それは他人の金だ。
「仕方ねぇ、なら私が……」
ごそごそとズボンのポケットをあさっていたエリザベスさんから表情が抜け落ちる。
「やっべ、全部ドレスん中置いて来た」
「おやまぁ」
僕の気持ちを店主さんが代弁してくれた。
あの距離を再び歩いて往復すると考えただけで、さすがの僕もげんなりする。玄関を出てから、家の敷地から出るまで十分近くかかったのだ。
拳を握るエリザベスさんと、笑顔のまま困ったように眉尻を下げる店長さん。少し考えて、僕は袖についていたカフスボタンを噛みちぎった。赤い目の竜が刻まれた銀色のそれを、店長さんに差し出す。
「担保、OK?」
■□■□
「あんた、結構無茶するね」
「エリザベスさんも」
紙袋に山と積まれた死者の腕を両手に抱え、僕達は並んで大きな川沿いを歩いていた。海が近いのか、生臭い潮と泥の匂いを感じる。
「スーでいい。エリザベスって呼ばれると、首もとゾワゾワーって痒くなる」
僕達はカフスボタンと引き換えに、袋いっぱいのお菓子と、何かあった時の為の小銭を貸して貰った。二個で良かったのに。心配さを前面に押し出した、トロリーおじさんの瞳はしばらく忘れられそうもない。
生温い潮風と甘ったるいジャムの匂いとは、良い友人になれそうだ。揃ってもっちゃもっちゃとローリーポーリープディングを食べながら歩く。お行儀など存在するはずもない。
お屋敷の皆へお土産が出来た。カイルは甘いものが好きだと言っていたから喜んでくれるだろう。ネリーさんは心配するだろうし、エルメダさんにはきっと笑顔で怒られる。なら、つかの間の平穏を満喫しなければ損だ。
「一応、礼を言っておいてやるよ」
口の横に食べかすをつけたエリザベスさんが僕の前に飛び出した。傍若無人な彼女が礼を言うとは明日は雨だろうか。
「おい! この私が礼を言ってんだから、地面に頭こすりつけて感謝を示せよ!」
「はいはい、女王さま」
「適当な返事は許さんパンチ」
「ごへあっ」
凄い勢いで詰め寄ってきたエリザベスさんの必殺パンチが、がら空きの胴に入った。くの字に曲がった衝撃で、抱えていた紙袋の中身が落ちないよう必死にバランスを整える。
「次、笑ったら、本気でいく」
「アイアイ、マム!」
はぁ~と拳に息を吹きかけている彼女に、抵抗の意志がないことを示した。
「あ、船」
「ん?」
意識を逸らした先に見つけた船が、二艘並んで走っていった。




