038 推理
尻もちをついた状態で、僕は今世紀最大の得意顔をしていた。
レイヴンが警察官の一人に扮していると気が付いた時、僕は「探偵を引きずり出す方法」を考え、後々の利点を列挙し、危ない橋を渡ろうと決めた。
主人公には誰かのピンチに恰好良く登場してもらいたい。ズバッと現れて快刀乱麻を断つ。その為ならば容疑の一つや二つ、リチャードの一人や二人惜しくない。いや、やっぱり惜しい。凄く惜しい。
利点とか後々の事とか色々言ったけれど、理由を突き詰めれば僕がそれを見たいからに集約する。アビゲイルの熱狂っぷりに些か引いた僕だったけれど、特定の事柄において同じくらい病んでいるという自覚はある。
主人公が居合わせていること、その被害者で犯行が打ち止めになること。この二点が揃っていると、最後の犯行は妨害にあって失敗しやすい。レイヴンか僕が怪我をする可能性もあったけれど、まぁ、結果生きているんだからオーライだよね!
それにしても若い。レイヴンが若い。言ってはいけない事だけど感動の波に押し流されている今だからこそ、言ってしまおう。
レイヴンだ。まだ分け目がフサフサな頃のレイヴンだ。
老いは当然だ。けれど、演じる人間にとっては何よりの恐怖になる。上手く歳を武器にして役に深みを出すか、それとも若さに固執し続け無謀な演技を続けてしまうか。僕がどちらのタイプに好感を持っているかは、明らかだった。
レイヴン役のマックス・オコーネルは立派だ。髪の毛が薄くなった彼は、トレードマークの長髪をばっさりと切り落とし、額に撫でつけることで探偵の持つ色気を青年的から壮年的な物へと変化させ保ち続けた。
シスター・ナンシーはどんな反応をしているのだろう。こっそりと様子を伺う。
彼女は微動だにしていなかった。レイヴンの登場に動揺した様子もない。まさかのノーリアクションである。しかし左右対称のアクアブルーは先程からじっとレイヴンを見ていた。これで何の反応も無いって事はないはずだ、うん。
次の瞬間、ぴくり、と形の良い唇が突き出された。
「え?」
声を出した時には普段と同じ、無を極めた表情に戻っていた。
いま、ナンシー拗ねなかった?
全員がレイヴンに集中していたので、確認しようがない。僕一人だけ彼女を見ていたのだから当然だ。
バグショー署長がレイヴンに向かって歩み寄った。
「……探偵」
そして眉間を押さえたまま、声を絞り出す。
「いつから居た」
「エルマー氏が亡くなった直後から」
これ以上ないほど白々しく探偵は告げる。
「エルマー氏には麻薬密売に関与している疑いがありまして、独自に探っていたのです。マザーも、ご協力感謝いたします」
「待て、おい、待てよ」
探偵と老女は共犯者めいた笑みをのせ、互いに微笑みあった。その間をバグショー署長が自ら遮る。
「レイヴン! 貴様、そういう事は、警察に任せておけと何度言ったら分か――……」
「そうそう、バグショー署長。制服を着ているだけで、そこの彼以外、誰も私が『警官ではない』と気付かなかったのですよ。やれやれ、警察が優秀だという噂は本当だったのですね」
「ぬ、ぐっ」
遮られた言葉を言い返せず、バグショー署長は顔を真っ赤にして奥歯を噛み締めた。
そこの彼と示されたのは、僕を連行したもう一人の警官だった。集った視線がうるさいとばかりに、下を向いて帽子で顔を隠している。
『あの金髪、傲岸不遜な物言い。もしかして、マイルフェザー強盗殺人やヘルトン卿誘拐事件、ウォーターリリー偽造事件を解決した有名な私立探偵のレイヴン?』
良いタイミングなので、丸々暗記していた説明台詞を引用する。ちゃんと通じたようで、息をのむ声が聞こえる。
レイヴンが此方を向いた。見下ろしてくる彼の瞳には嫌悪感がある。
いや、嫌悪感なんて言葉じゃ生温い。あれは憎悪に近い目だ。ジャクリーン巡査部長徹夜事件直後のジェイコブ先生と同じ目だ。
緊張して唾液を飲み込む。何かしただろうか。二日で男性メインキャラクター二人から見下されている。この状況をご褒美と言ってしまうと性癖に難ありだから、口には出さないでおこう。船長と署長も含めてご褒美でした。
「君、今すぐどこかのお笑い劇団に転身することを薦めます」
「はぁ」
何で生きてるんだお前はと言わんばかりの視線で憧れの探偵から転職をすすめられた場合、一体どう返事をするのが正解なのだろう。道化師見習いに挑戦してみるべきか。
「探偵さん、助けて頂いたことには感謝いたします。しかしそれ以上の主への侮辱は看過できません」
エルメダさんが僕とレイヴンの前に立ち塞がった。後ろ姿の彼女の表情を見る事はできない。けれどエルメダさんが現れた瞬間、レイヴンから一切の表情が消えた。
え。これ、何の伏線ですか?
ねぇねぇ、ねぇねぇ。知り合いですか?
さりげなく聞きたいオーラを発してみるも撃沈。カイルを探して目線で問いかける。
『この二人、どういう知り合い?』
『分かりません、ネリー様なら知ってるかもしれませんねぇ』
パチパチ、ぱちぱち。お互いに言いたい事は瞬きで通じたし、伝わった。
「こいつが犯人だろう」
場の空気が読めないバグショー署長が怒鳴り声をあげ、レイヴンはほっとした表情を見せたがどこか悲し気だった。
「ライン卿ではありません。今回の犯人は被害者です」
「はぁ?」
僕を顎でしゃくって示したバグショー署長が、盛大に顔をしかめた。
「エルマー氏は晩餐に乗じてライン卿を殺害する計画を練っていました。しかし実行する前に、妻であるエルマー夫人に毒殺された」
「何を言っているんだ!? 二人とも死んでいるんだぞ!」
「やれやれ、署長殿は相変わらず、成長より老化の方が激しい」
涼しい表情でレイヴンは肩を竦めている。
「私の話はまだ終わっていません。この屋敷で行われた三件の殺人、その全てに関わった犯人は……まだ生きている」
にこやかな仮面の向こうに、レイヴンの冷えた瞳が覗く。
シリアスな台詞だから邪魔しないけど、三件目の殺人って僕のことでしょうかね。
「晩餐会での席順を決めたのはエルマー夫人、そうですね」
はいと答えたのはメイドのミランダ。
僕は昨夜の席順を必死に思い出していた。
普通、晩餐会の席は男性と女性が交互に並んで座る。
けれど、昨日の晩は違った。
僕の右隣、長方形の短い一辺に座っていたのはエルマー氏。彼が主人だから、お誕生日席は相応しい。
僕の左にはアビゲイル、続いてシスター・ナンシー。彼女たちは僕と一緒に長辺に座っていた。
ナンシーの隣、エルマー氏と対極の位置になる逆お誕生日席にはエルマー夫人が。僕と向かい合い、エルマー氏の逆隣りに座っていたのはマザー・エルンコット。彼女の隣はバグショー署長がいた。
「しかし、その席次は奇妙な点がいくつもありました。例えば片側に同性が連続する。不仲同士を隣席にするなどです。夜会慣れしているエルマー夫人にしては、あまりにも初歩的なミスです」
女性の方が多いから、どこかで女性が二人が並ぶ配置にはなるだろう。けれど、言われてみれば三人も並ぶのは確かに不自然だ。
僕とエルマー氏の間にアビゲイルが座れば、男女交互になるし、ナンシーとアビゲイルが離れる。主人の両脇には女性が座るのが通例だとネリーさんも言っていたし。
食前酒の配膳をしていたミランダは、シスターとアビゲイルの険悪さに気がついていたはずだ。晩餐会を絶対に成功させると意気込んでいた彼女がそういった点を見過ごすだろうか。きっとエルマー夫人に相談したに違いない。
「しかし、エルマー夫人が席を変えることはなかった。目的はエルマー氏の隣にライン卿を座らせ、行動を観察するため」
そうなんだ。殺害する動機は僕が帳簿を盗んだことだろうけど、何だかドキドキする。
「食卓の水差しから、ニコチンの反応が出ました。ライン卿が酒嫌いな事は有名です。食事中の口直しは酒ではなく水で行うと予想したのでしょうが、彼は水を飲まなかった」
待って。なんで僕が酒が飲めない事が有名になってるの。誰が広めたの。今のところ誰が知っているの。命に関係する重要な部分なので、あとで詳細が知りたい。
「なのでジェラルド・エルマーは簡単な凶器を使う事にした。しかし、ライン卿を殺す前に別の人間によって殺害された。ジェラルド・エルマーが使うはずだったニコチン針は犯人に回収され、そのままライン卿のコートへと入れられました」
あの消毒薬みたいな味の水にそんな物騒なものが。少し飲んでしまったけれど、体は何とも無い。リチャード凄いな。薬が効かない体質だとは知っていたけど、毒も少量なら効かないのか。だったらアルコールが効くのは何故だ。
「針をポケットに入れたのはエルマー夫人だったのか?」
「いいえ、違います。入れた人物こそ、今回の事件の実行犯。ジェラルド・エルマーに毒針を刺し、キャロライン・エルマーの腹を裂いて殺した犯人なのです」
気配り屋のエルマー氏に、べろんべろんに酔っていたエルマー夫人。まさか、あの二人が殺人を企むような人だったなんて……そういえば黒幕だったな。忘れていた。マーシュホース商会が持つ二面性はジェラルドとキャロライン、二人のもの。黒幕は二人。そう考えれば屋敷の中のちぐはぐさも納得もできる。
「それは一体誰なんだ!」
怒鳴るバグショー署長。固唾を呑む晩餐会の客人を、奇妙な静けさで探偵は見渡した。
これは現実放送なので、ここでCMにはならない。やったね!




