表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
犯人は僕でした  作者: 駒米たも
本編
39/174

033 食後

「それでは、隣の談話室でおくつろぎ下さい」


 死神の話はそれ以上続かなかった。話題は失速する形で終わり、その頃には皆のデザート皿も空になっていた。室内には食後の余韻を楽しみたい長閑な空気が流れていた。この場で死神の話を引きずっている人間がいるとすれば、それはたった一人、僕だけだ。


「あちらに参りましょう」


 アビゲイルの言葉で我に返った僕は、出来るだけ自然な笑顔を浮かべた。するりと彼女の右腕が巻き付いたが、可愛らしい女性と腕を組むなんていう一大イベントも今は上の空だ。何度も繰り返されたその行動に慣れてしまった所為かもしれない。

 速度を緩めない鼓動がときめきだったら、どんなに良かっただろうか。 


 隣の部屋へ続く扉がメイドさんによって開けられ、僕達は待機部屋へ戻ってきていた。


 バグショー署長、僕とアビゲイル、シスター・ナンシーとマザー・エルンコット。そして最後にエルマー夫妻が談話室へと入ると木が軋む重々しい音を立てて扉が閉まった。


 まるで「逃がさない」と言わんばかりに。

 後ろを振り返りながらそんな不吉な事を考えた。


「どうでしたかな。うちの料理は」


 暖炉前には男性三人が座っていた。エルマー氏、バグショー署長、そして僕。華が無い構図だけれど、僕にとっては両手にビッグスターなので文句があるはずもない。


「大変結構ですな」

 バグショー署長が答えた。本当に美味しかったのか、はたまたお世辞だったのか、彼の無表情では分からない。

 女性はアビゲイルとキャロライン夫人、マザーとシスターの二組に分かれてお喋りをしている。


「ライン卿のお口には合いましたかな?」


 エルマー氏が笑顔で問いかけてきたので、つられて笑顔になる。


「はい、美味しかったです。肉にかかっていたソース、良かったです」


 僕の答えにエルマー氏は機嫌よく笑った。


「ハハハ、ライン卿にそのようなお墨付きをもらえると嬉しいですな。うちのシェフは特に肉料理が絶品で!」

「それは、素敵だ。毎日食べられる人は幸運ですね」

 

「食後のコーヒーをお持ちしました」


 会話の切れ目を狙ったように、大きな銀盆を抱えた幼い方のメイドさんが入って来た。小さな体に七人分のコーヒー運びはさすがに辛いらしく、つっぱった両手がプルプルと震えている。そろりという擬音がつきそうな忍び足で彼女は部屋をぐるりと回り、大き目のスタンドテーブルの上に銀盆を下ろした。


 パチリ、という音が響く。バグショー署長が葉巻を取り出し、先端を切り落としたところであった。僕の視線に気が付いたのか、顔を上げた署長と視線が交差する。


「一本、如何ですか?」


 すすめられると予測はしていたので「いえ、結構」と丁重(当社比)に断る。流れでエルマー氏もすすめられたが、彼も「いえいえ」と恐縮した感じで遠慮していた。バグショー署長は葉巻を口から離し紫煙を吐き出した。


「どうぞ」


 メイドさんが差し出したコーヒーを受け取った。その瞬間、変な既視感を感じて目を細める。彼女は琥珀色の瞳を瞬かせ、泣きそうに潤ませた。


「あの、私、何かしてしまったでしょうか……」

「あっ、いえ。違います」


 慌てて否定したけれど、時すでに遅く。怯えたメイドさんはそそくさとお盆の所に戻ってしまった。


「何か彼女が粗相を?」

「いいえ。とんでもない。コーヒー、頂きます」


 心配そうなエルマー氏に向かって首を横に振り、渡されたコーヒーに口を付ける。

 エルマー氏とバグショー署長は壺に入った砂糖をぽちゃぽちゃ入れている。えっ、入れて良かったの?

 今更砂糖を入れるのも恥ずかしいので、なるべく舌の上に乗せずコーヒーを飲み込んでいく。水かお湯で割れば、ちょうど好みのアメリカンコーヒーができそうなのに勿体ないなぁと思いながら。


 羨ましいと美味しそうにコーヒーを飲むエルマー氏を横目で見ると、その口の端が僅かに持ちあがっていた。その笑いに不吉なものを覚える。いや、ただ笑っただけか?


 壁際には中国から輸入したであろう骨董品が並んでいる。

 長年部屋の片隅に積まれたガラクタという表現が一番近く、屏風も皿も、絵画までもが地面に直置きされていた。

 緑塔・ホールで正解とも言うべき並び方を見ていたから、差がはっきりと理解できた。

 美を求めるミス・トリ制作スタッフの仕事としては、あまりに酷いんじゃないかな。美術監督(シェフ)を呼んで来い、と言いたくもなる。

 しかも極め付けは、あの巨大な屏風。横書きのカタカナが混じり。パンダカワイイって誰が書いた! かわいいよね!


「あれらに興味がありますか?」

「え、えぇ。まぁ」

「そうですか。私には、分からん世界ですよ」


 エルマー氏は腹を揺らしながら背もたれに体重を預けた。恰幅の良い身体が音をたてて沈み込む。

 彼の言動から感じるのは、年相応の落ち着きだ。

 これが野心的なマーシュホース商会のトップなのだろうか?

 あまりにも平凡すぎる。俳優の豪華さを差っ引いてもオーラやカリスマ性が感じられ無い。

 この「平凡」な顔が全て表の顔としての演技だとすれば、彼はとんでもない曲者だ。

 マーシュホース商会ほどの実力があるなら、すでにバグショー署長が裏帳簿を手に入れたことは耳に入っているはず。それに僕が加担したことも調べがついているはずだ。

 なのに、どうして何も仕掛けてこないんだろう?


 うーん。昨晩から頭を使い過ぎて、知恵熱が出そうだ。 

 それはそれとして楽しませて頂くのですけれどね!!

 

 向こうのソファにいるアビゲイルと視線が交わったので、ちょっと気分転換にと立ち上がる。足元がふらついたけれど、きっと緊張のせいだ。


 僕が近づくとアビゲイルは笑顔で歓迎してくれた。キャロライン夫人も満面の笑みで迎えてくれたが、僕が来た事に喜んでいる訳ではなく、沢山のお酒を飲んだ時によく見られる無邪気な陽気さだった。


「ライン卿、うちのアビゲイル。良い子でしょう? 処女ですし、礼儀作法は一流ですもの! どうです。もらって下さいませんか?」

「おばさまったら! ごめんなさい、ちょっと飲み過ぎていて」


 顔を赤く染めたアビゲイルが咎めるが、キャロライン夫人は「あははは」と楽し気に笑っていて聞いていない。


 キャロライン夫人の恥態からそっと目をそらす。相手は主人ホストの奥さん。とんでもない失言でも、酔った結果なら相手にしないほうがいい。酒の席では無礼講だ。

 それでもアビゲイルは赤い顔のまま心底申し訳ないという顔でうつむいていた。十五と言えば繊細なお年頃。叔母の発言が相当ショックだったのだろう。


「あちらの様子も伺ってきます」


 若い女の子に酔っ払いの相手を押し付けるのは僕としても不本意だけれど、キャロライン夫人が誰かれ構わず爆弾を落としている最中なら、来客の相手よりも血縁のアビゲイル相手の方がキャロライン夫人の傷が浅くてすむ。アビゲイルも流石に貴族なだけあってその辺りは僕よりわきまえていた。


 マザー達の元へ逃げようとした時、先程の頭痛がまたしてもやってきた。しかもまさかのビッグウェーブ。キュッと食べたばかりの胃が縮こまり、ムカムカとした胸やけまでやってくる。どうしたんだろう。何か悪い物でも食べたかな?


「どうかしました?」

「すこし、目眩が」

「まあ、大変! 酷い顔色」

 ハッとした様子でアビゲイルが口元を両手で覆った。


「すぐによくなります」とは言ったものの、眩暈と頭痛はどんどん酷くなるばかりだ。そういえば、昨日は深酒をしていたのだった。緊張の連続で疲れが出たのだろうか?


「ぐうっ!?」


 部屋中に響いた大きなうめき声は僕のものではなかった。

 突如立ち上がったエルマー氏が喉を押さえ、身体をくの字に曲げて苦悶の声をあげている。


「エルマー氏!」


 立ち上がったバグショー署長がエルマー氏に駆け寄ろうとしたが、巨体の喉から絞りあげられた獣の咆哮に思わず足を止めた。


 なにが、起こった?


 エルマー氏は苦しんでいた。目は飛び出さんばかりに見開かれ、充血している。口の端からは泡が流れ落ち、太い丸太のような喉には何本もの赤い筋が刻まれる。巨大な蛭のような舌がピクピクと宙で震えていた。


 ただならぬ叫び声を聞いたメイド二人が部屋の中に飛び込んできたが、主の様子にただ顔を恐怖に歪ませ、立ち尽くした。

 横薙ぎに振られた腕に当たり、コーヒーカップが音を立てて絨毯の上に落ちる。

 続いて暴れ牛のようにもがいていたエルマー氏が絨毯の上へと倒れ伏し、ひと際大きな声でぐうぐうと鳴いていた。エルマー氏の痙攣する足が、椅子とテーブルの隙間から見える。


 バグショー署長と、シスター・ナンシーが視界の中で動いていた。恐らく、マザーも足の事さえなければ駆け寄っていただろう。世界が、まるでスローモーションのようにゆっくりと動いていた。


 あああああと野太い悲鳴を上げたのは、先程までこの世の誰よりも陽気な顔をしたキャロライン夫人だった。僕の隣に立つアビゲイルは、顔の周りをシルバーのアクセサリーで囲んでいる彼女は、シャンデリアの光を反射してキラキラと光り、真っ直ぐに目の前の光景を見つめていた。

 その姿は異常で、僕の知っている彼女アビゲイルでは無いように思えた。


「きっと呪いよ」


 アビゲイルの口はそう動いたように思えたけれど、僕にはもう彼女を見ている余裕がなかった。頭が痛い。


 覚えているのは、そこまでだ。


 いや、ちょっとだけ覚えている事がある。僕がカーペットの床に倒れた時、まだエルマー氏は苦悶の声をあげていて、生きていた。そして僕が倒れた時、真っ先に悲鳴をあげてくれたのは、アビゲイルでも、女の子のメイドさんでもない。あのキビキビと動いていたメイドさんだった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ