025 監督
アンデル・バーキンダム。
念のために目を擦り、砂時計の落ちる砂を数えるが如く紙面に集中する。
アンデル、バーキンダム?
どんなに凝視したところで文字が変化する事は無い。
息を深く吸い込む。オーケーオーケー。落ち着いた。
取り乱したことを、周囲に悟られていないはずだ。
そっと封筒に手紙を戻す。これを長時間直視したら、興奮のあまり僕が帰らぬ人となるのは明らかだった。
ミス・トリマニアの中でアンデル・バーキンダム監督の名を知らぬものなどいない。
なぜなら彼の代表作こそ「ミステリアス・トリニティ」シリーズなのだからっ!
……異論は認める。
二つ名はB級バッドエンドの帝王、ハリウッドの胸糞エンド量産機、アカデミー賞を売り飛ばし、ミス・トリの製作費にあてた男。
感動作「黄金色の橋の夢」が賞を総なめにしたことによって評価は一転し、現在の地位を手に入れたけれどアンデル監督の根っこは変わらない。
ミステリアス・トリニティ・マニア(名誉会員)と原作崇拝者の称号は彼の頭上に燦然と輝いている。
そして、アンデル監督は世界で唯一、ミステリアス・トリニティの作者、トム・ヘッケルトンと会った男。
どんな伝手を使ったのかはしらないが、一作目「七つのなぞなぞ」を撮影する許可をもぎ取った。
そのエピソードだけで、どれほどのやり手か。伝わってくるようだ。
そんなミス・トリの監督から手紙を受け取ってしまった。
「この手紙は?」
「玄関に置いてあったそうです」
誰が置いたにせよ、この手紙を書いた人は「僕の世界」の人だ。
そうでなければ「アンデル・バーキンダム」という監督の名前、そしてリチャード=ザ・テラーであることを知っているはずがない。
全ての感情を締め出す。ようやく口に出せた声は、自分で驚くほど冷たいものだった。
平穏だった食卓が嘘のように静まり返っている。目に見えない細い針金を一本一本、部屋中に張り巡らせていくように緊張感を高める。
「……穴を、掘ろう」
主人からの突拍子もない提案にネリーさんは狼狽えた。
当然だ。主人が手紙を読むなり穴を掘るだなんて言い始めたら、僕だったら正気を疑う。
ちなみに墓穴堀りなら任せて欲しい。地球の裏側まで掘り進めてみせよう。
けれど、今回必要になるのは物理的な穴だ。おうさまの耳はろばの耳作戦だ。
「穴を掘って、どうなさるおつもりで?」
「埋めます」
「何をですか?」
「僕を」
その中で思う存分、大声で叫ぶつもりです。
リチャードはThe Talerじゃない。
The Tellerだァー!
「キャントストップミーなーーーうっ」
「いいえ、止めます! それだけは止めますともリチャード様!!」
発音も意味も似ている。
似ているが、大きく違う。
まさか、監督が、リチャードの二つ名を、スペルを、間違える、なんて!
そんなの監督じゃない。偽物に決まってる!!
「お前にリチャードの何が分かるってンだぁー!!」
「エルメダッ」
「はいっ」
ゴキリという音と共に主人の奇行を止めたのは、今まで黙っていたエルメダさんだった。
「落ちつきましたか?」
「……はい」
あらぬ方向を向いた気がする首を撫でる。
不思議なことに、さきほど飛びだしたはずのダイニングの椅子に座っていた。
時間が巻き戻ったのかな?
「とにかく」
溜息を吐いたネリーさんが手紙を僕から取り上げ、すっと横に動かした。
右と見せかけて、フェイントで左と見せかけて、もう一度右に。
「……手紙を返してほしければ、一つ、頼みを聞いてもらえないでしょうか」
「うおっけー!!」
「そのように力強く頷かれましても困ります。まだ何も言っておりません。落ち着いて下さい」
こほん、とネリーさんは口に拳を当て咳払いをした。
「リチャード様には明日、マーシュホース商会が主催する晩餐会に出て頂きたいのです」
「ぅおっけーー!!!」
「……そのように鬼気迫る血走った目で力強く頷かれましても困ります。ちゃんと人の話を聞いて下さい」




