024 食事
風呂は、勝手に沸くものではない。熱い湯を何度も運んで入るもの。
さすがに悪いと思って手伝おうとしたが、すげなく断られ、強制的に浴室にぶっこまれた。
俗に猫足バスタブと呼ばれる風呂に肩までつかりながら、見た目美青年、中身ふつうの人の入浴シーンなんて誰得なんだと遠い目になる。
なお還暦を越えた男性の入浴シーンは大抵、死ぬ前触れである。異論は認める。
身体を洗ってから浸かりたかったと泥だらけの湯をみて思う。手足は擦り傷だらけなんだけど、化膿しないだろうか。それだけが心配だ。
風呂が終わると、お食事の用意が出来ましたとエルメダさんが呼びに来た。
金持ちとは恐ろしい。勝手に風呂が沸き、勝手に飯が用意される。まるで実家に戻った時のようなセレブ生活。リチャードにとっては実家だけど、中身庶民の僕には少々肩身が狭い生活だ。
ネズミや風呂に気を取られていた僕は、机の上にリチャードの手紙が出しっぱなしになっていたことをスッカリ忘れていた。よもや、執事属性二人に読まれているとは思いもしていなかった。
食堂に案内され、初めて食べる自宅ごはんは、どこまでも縦に伸びたテーブルの上にずらりと並んでいる。おうちごはんにも関わらず、ヘアセットと晩餐用タキシードを着せられた僕は唖然と大量に並べられた皿を見つめる。
これは……何かを彷彿とさせる状況だ。
美女。男装しているけれどエルメダさん。いる。
燭台の炎。白いテーブルクロスの上にのっている。歌ってはいない。
そして野獣。まさかだが、いた。
ネリーさんの傍らに初見の人が控えていた。
油汚れでクリーム色に染まっている白いシャツ。ボクシングの重量級タイトルマッチに出られそうな見事な体格。艶やかな黒い肌に筋肉で盛り上がる二の腕。肉厚の唇。スキンヘッドには肉が抉れた幾筋もの灰色の古傷が浮かんでいる。
巨大な黒人の男性は、黒瑪瑙のように黒々とした瞳をぎょろりと動した。
表情は固く、まったく動かない。
今で言う筋肉系寡黙イケメン。こういう、ボクサーとかボディーガードとか、SWATに在籍しそうな筋肉に、僕は弱い。
「ゴ主人、ドモ」
「ドモドモ」
彼はノートルダムのせむし男もびっくりするくらい、腰をかがめた。
のっそりとした動きだったが、それでも威圧感がある。熊やゾウが目の前で座ったような感じ。独特な発音の英語に引きずられ、僕もカタコト星人と化す。
「こちら、料理人のデクワンでございます。申し訳ございません、彼は、英語を解することはできますが、まだ上手く話せないのです。ご容赦ください」
ネリーさんが紹介すると、デクワンさんは再び腰をかがめた。お辞儀なのだとようやく気がついた。
「コニチワ?」
「コンバンハ?」
「コンバンハ!」
僕とデクワンさんは互いに見つめ合った。
「オカエリナサイ!」
「オカエリマシタ!」
英語力が同じくらいの人、みつけたぞぉー!
喜びのあまり、満面の笑みを浮かべてしまった。ネリーさんとエルメダさんがどんな顔をしているかは分からない。二人とも揃って、両手で顔を押さえている。「あちゃー」みたいな雰囲気だけ、感じ取った。
デクワンさんは少しだけ、ほんの少ーしだけフッと表情を柔らかくした。
「冷メル」
「タベル」
デクワンさんとの会話は楽でいいなぁ。動詞とか単語だけって素晴らしいよ!
香ばしく焼けた皮の音が楽しい麦パン、豚の血とディルやオレガノが詰め込まれたハーブ入りの腸詰め。油と肉汁滴るベーコンにはよく煮込まれたトマトソース豆が絡まっている。焼いたトマトの傍にはバターとクリームで柔らかい雪みたいなマッシュポテトが添えられ、皿に溢れた色んなソースを逃すまいと吸い上げていた。目玉焼きはこれでもかというくらい火を通した両面焼き。
「美味しい!」
「ヨカッタ」
デクワンさんはニッと白い歯をむき出した。
感謝を告げると、彼は鼻の穴を大きく膨らませた。空になった皿を手に持ち「マタね」と片言の英語と共に去っていった。
「ところで、リチャード様にお手紙が届いておりますが」
「へはも?」
「……食べ終わってから、読みましょうね」
リチャードに届いた手紙を見ないなんて、そんな勿体ない事できない!
食事はかなりの量が用意されていたが、全てリチャードの胃の中におさまった。まさかの健啖家。大食い属性なんて、聞いてない。
食後の紅茶を飲んでいると、ネリーさんが恭しく銀盆に乗った封筒を差し出した。
本来他人に宛てられた手紙を読んではいけません。でも今は緊急事態なのです。プライバシーなど無い。ごめん、リチャード。
画用紙のような手触りの封筒。消毒薬のような、アルコールのような匂いがする。赤の封蝋で閉じられているけれど、そこに刻まれた紋章に見覚えはない。かすかにAの文字が見て取れる。真っ白な封筒には指紋ひとつ、汚れひとつ付着していなかった。
宛先はEarl.Richald Line.
流れるような筆記体。難なく読める。
出た結論は「普通」。
ひっくり返したけれど、書かれた文字はそれだけ。住所も、送り主の名前も無い。
誰かが直接届けに来たんだ。
Aという文字だけじゃ差出人が誰だか絞り込めない。Aから始まる名前の人はたくさんいる。例えばアビゲイル・アシュバートンやアルバート・バグショー。
封を開いても、爆発はしなかった。
中に入っていたのは真っ白い便せんで、そこにはこう書かれていた。
"Dear, Our Taler.
Catch me if you can. Andel Barkindum"
"親愛なる私達のテラーへ
鬼ごっこでもどうだい。アンデル・バーキンダムより"




