022-2 手紙
こんにちは。この書き出しはおかしいね。
もしかしたらこんばんは、かもしれない。君はぼくかもしれないし、偶然この部屋を見つけた誰かかもしれない。
ぼくの名前はリチャード・トマス・ライン。もし君がこの部屋で朝をむかえていて自分が何者か分からずにとても混乱しているなら、君はぼくである可能性が非常に高い。
そこの鏡を見て、嫌な感じがするならおめでとう。君は間違いなく、ぼくと一緒にこれから重荷を背負わなくちゃいけない人だ。
1855年6月。ここは大英帝国。
栄光の冠を抱いたヴィクトリア女王が統治している島。
クリミアで大きな戦争がおこっていて、記録によるとぼくが生まれてから二十一年経っている。
エルメダとは、もう会っただろうか。執事服を着た綺麗な女性のことだよ。
彼女は君の味方だから安心して欲しい。
ネリーという家令も信用していい。「ハムレット」と呼ぶと「止めてください」って顔をするから、余裕があったら試してみて。
ぼくは僕だった頃に一番近いようだから、いまのうちに覚えている限りの情報を書いておく。
ぼくは昔から頭が悪い。文字通りの意味さ。自分が誰かすら分からなくなるんだからね。
気がついたら朝日が夕陽になっていたり。数日が経過していたり。まるで別人のようにふるまうことすらあるらしい。
ぼくの父は、おそらく、酷い人間だった。その辺にある本の背表紙をランダムに読んでみて。まともじゃないって分かるだろう。
みんな口を揃えて「あなたにそっくりだ」「素晴らしい方だった」と言うだろうけど、信じちゃいけない。似てたのは顔だけ。
解剖学の本をさがせば、父の遺したたくさんのメモが見つかるはずだ。父は不老不死の研究をしていて、たくさんの罪もない人間を殺した。
でも怖がらなくていい。父は二年前に死んだ。やったのはネリーらしいけど、彼を責める気にはならない。
問題は、ぼくの頭のなかではいまだに父が生きているってことだ。
声が聞こえる。姿が見えるときさえ、あるんだ。
もしかしたら、ぼくは父に憑りつかれているのかもしれない。彼はぼくの体を、自分のものにするつもりなんだ。
いまは信じられないかもしれない。でもすぐにぼくの言っていることが本当だと君も分かるはずだ。
ぼくは父になりたくない。
万が一、ぼくがおかしくなったら、エルメダが何とかしてくれる。
シスター・ケイトリンは父の悪行を知っている。でも会いにいこうなんて考えちゃだめだ。この館から出ると、ぼくの頭は父の声でいっぱいになってしまう。
ぼくの父はトマス、母の名はオフィーリア。
同じ父の種から生まれた二人の兄弟がいる。そして同じ母の肚から生まれた二人の姉妹もいる。
アーサーとジャック、ヴィクトリアとシャーロットの四人は、ぼくと血がつながっている。ぼくが死ねば、彼らが次の相続人だ。
四人とも死んだとされているけれど、それは真実じゃない。今もなまえを変えて生きている。それがだれかまではいえない。
タペストリーのむこうに階段がある。地下水路へと続く抜け道だ。何かあれば、そこから外に逃げることができる。
おどろいた? 驚かないなら、やっぱり君はぼくなんだろう。
まえは、そんなに頻繁に記憶を失うこともなかったのだけれど、最近は特にひどくなっている。
えるめだは、そんな事ないというけれど、ぼくを安心させるための嘘だと思う。
だからこの手紙のことは内緒にしておいてほしい。彼女に心配をかけたくないんだ。
れたーないふが入っている、左の引き出しに、鍵がある。
地下牢の、いりぐちの 鍵だ。外に出るときは、わすれずに。




