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犯人は僕でした  作者: 駒米たも
本編
26/174

021 執事

 玄関には執事服に身を包んだ壮年の紳士が立っていた。肌は浅黒く異国情緒オリエンタルな印象の男性だ。油で撫で付けられた豊かな黒髪と髭が陽光を浴びて緑色に輝いていた。


「おかえりなさいませ、リチャード様」


 一列になって深々と頭をさげる人たち。巣に戻ってきたような安心感を覚える。どこかに残っているリチャードとしての意識がそう思わせたのかもしれない。

 問題ないが、由々しき問題がある。メイド服が、一人も、いない。


「リチャードはんが家出とは珍しいですなぁ」


 馬車を降りた僕にむかって、柔らかそうな羊毛ベストを着た青年が手を振った。使用人とは違う来客のような出で立ち。言葉尻につく妙なアクセントには聞き覚えがあった。まじまじと相手をみつめる。


「まっ、マルティネス・オブライエン!」

「突然のフルネーム!?」


 マルティネス・オブライエンとは第四作目に登場する演劇俳優。ファンからの通称はマット兄さん。変装の名人である。彼は四作目である『崩落の劇場』で犯人の恰好で殺された被害者だ。

 変装の完成度が高すぎたせいで「犯人は死亡した」と報道され、真犯人の隠れ蓑になってしまった。


 ちなみに『崩落の劇場』はジェイコブ先生がレイヴンと間違えられ殺されるという非常にショッキングな展開がある巻でもあり、犯人の人気もあいまってミス・トリシリーズ屈指の人気作となっている。通称「大掃除」。どういう意味での掃除かはマフィアかマーシュホース商会あたりに聞いて欲しい。


 それはともかく、なぜ彼がここに?


「リーはん。なんか今日のリチャードはん、いつもより変やないか」

「……」

「うん。いつもやけどね、そうやなくて……恋!? 駆け落ち失敗した失恋の傷!? ……リチャードはん。そうなんやったら可能な限りお兄さん、話聞いてやるけどな、恋愛ってのは一歩引いたところで冷静に見なあかん。あんたみたいな世間知らずは結婚詐欺とかに引っかかりやすいんや。だから一から十まで詳しい話を……いたいっ!?」


 右肩をつかんでくるマット兄さん。反対の左肩……左腕を真剣な眼差しで掴んでいるのは黒髪を切りそろえた小柄な女性だった。さりげなくマット兄さんの尻をつねっている。


 麻のシャツに絹織りのベスト。動きやすいように茶色のゲートルでズボンを覆っている。ライン家が経営するライン商会の秘書、李峰リー・ホウ。彼女はライン商会の会計主任であり、身分を偽って会計士として働いていたリチャードの正体を知る従業員である。


 彼女は、家の中に引きこもっていた彼の代わりに、書類を持っては緑塔館と港にあるライン商会の間を行き来していた。たしか一作目の中盤で口封じのためリチャードに殺されたと記憶している。


 彼女はひとことも喋らないのに、マット兄さんは会話を成立させていた。元サーカスのパントマイマー&元貴族七男のコメディアンによる巻数を越えた奇跡のコラボをとつぜん提供されるなんて、どこだここ楽園か。


「それがねー。坊ちゃん、記憶無いんだってー」

 御者台に乗ったまま馬車の方向を転換させるカイルの言葉に、彼らは一瞬言葉を失った。


「マジで!?」

「!?」

 エルメダさんが静かに目を伏せた。


「よくあることやな。なら、しばらくはワシがリチャードはんの代わりに外出よか」


 何という事でしょう。あっさりとした空気に、リチャードin僕でも別に大丈夫な気がしてきた。


「李には領主としての職務を、オブライエン様には議会や夜会に出席してもらっております。現在、二人がリチャード様の代わりに貴族業務を行っているのでご心配にはおよびません」

 今まで微笑ましく見守っていた年長の執事さんが口を開いた。


「まぁ、ばれたら処刑もんやけどな!」


 カラカラとマット兄さんが笑う。君ら、第一巻の裏でそんな事してたの!? 恐れ知らずか!

 だから伯爵のリチャードが領地に戻らないでロンドンにいられたんだなぁ。納得。


 緑塔館の玄関を抜けると、階段と赤い壁に飾られた巨大なトマス・ライン卿の肖像画が視界に飛び込んできた。先ほど鏡で見た自分リチャードの姿とそっくりだ。


「無事にお戻りになられてようございました。まずはお部屋にご案内しましょう」

「私はこちらで一度、失礼させて頂きます」


 エルメダさんとカイルから、中年の執事さんにバトンタッチだ。

 二人にありがとうと感謝の言葉を述べてから、手を振って別れる。


 入り口の扉をくぐった瞬間に感じた、巣に戻ってきたかのような安心感は僕が感じたものだったのか。はたまた、どこかに残っているリチャードとしての意識がそう思わせたのか。この超巨大な建物が事故物件となる未来を知りつつも、石段を昇る僕の足に迷いは無かった。


 薄暗いホールの正面には、壁に掲げられた巨大なトマス・ライン卿の肖像画があった。否応なしに視界に飛び込んでくる。油彩かな。移動したら視線が合う類の肖像画ではなくて一安心だ。

 先ほど鏡で見た自分の姿と、壁にかけられたそこそこ近い未来の姿を重ね合わせる。うん、口髭生やすのは止めよう。


 壁には銃やサーベルが円形状に飾られていた。恐らくどれも値がはるのだろうが、こうやって大量に飾られていると「どこにでもありそう」なんて勘違いしてしまう。

 階段の手すりに置いてあるツボは中国からの輸入品だろうか。巨大で穏やかな翡翠色が子供の幽霊みたいにぼんやりと片隅に浮かび上がっている。


 廊下の壁に並んだ燭台に火は入っておらず、窓辺から差し込む僅かな日差しが唯一の光源だ。重苦しいカーテンは、布の厚みから察するに動かすだけでも重労働となるに違いない廊下もまた赤い壁紙と相まって不気味な薄暗さだった。

 家のような温かみは感じられず、ひたすら美術品を美しく陳列したような。

 まさに金をかけた博物館と呼ぶにふさわしい洋館だった。

 ここまで徹底していると故トマス・ライン卿の執念めいたものも感じられて気味が悪い。


「はじめは不安に感じられるでしょうが、ご安心ください。あらゆる状況に対応するのが、良き仕える者の役目。私たちはリチャード様が心穏やかに過ごせるように支えるのみでございます」


 前を歩く執事さんが不安そうな僕に気付いて声をかけてくれた。

 なんてできた人なんだろう。信用できないけど。


 ついにリチャードの自室だ。

 火に包まれている場面は何度も見たけれど、燃えていないのは初めてだ。ドキドキする。


 まずは日記を探そう。たいてい隠された日記を読めば謎はとける。むしろ、日記書いてなかったら詰む。


「ありがとうございます。ハウススチュワートさん」

「いえいえ。構いませんよ。そして私の名前はハムレット・ネリーと申します。ライン家の家令ハウススチュワートでございます。どうぞネリーとお呼びください」


 廊下を歩きながら言った僕の言葉に彼はきょとんとした顔をした。やがて得心したのか、ぷっと噴き出して教えてくれる。ハウス・スチュワートって名前じゃなかったんだ。スタッフロールで見たからつい……。


「さぁ、つきました。こちらがリチャード様のお部屋です。なかなか見ごたえがありますので、どうぞ覚悟してください」


 ネリーさんの妙な言い回しも気になったが、それよりも一刻も早くリチャードの自室を捜索したかった。しかし飛び込もうと開いたドアの中を見て、180度方向転換をする。


「いやいや」

「いえいえ」


 何かの間違えですって。

 逃げ出そうとして失敗した僕の膝は少し震えていた。


僕の部屋(マイルーム)?」

「はい」


 柔らかく、無情に。ネリーさんが告げる。


 人形の……何十、下手をすれば何百という目が、部屋の中からこちらを見ていた。

 眺めのいい部屋じゃないよ。これ、ただのパニック・ルームだよ。


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