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犯人は僕でした  作者: 駒米たも
本編
23/174

019 留守

 クローゼットの中の合わせ鏡をまじまじと見つめる。

 見知ったリチャードより目の色が薄い。逆に髪の色は茶色が強く、頭文字Gの家庭内害虫の翅の色によく似ていた。そして何より僕が知っているリチャードより生気がなかった。顔は青白く目の下には濃い隈が浮かんでいる。皮膚から骨が浮き出していて、まるで瀕死の重病人みたいだ。生気がまるでない。


 まぁ、中身はポジティブで有名な僕なんですけどね!


 酒場のマスターは成人済みだと言ってくれたけど、これじゃあ子供に見えても仕方ない。僕が知っているリチャードの姿はもっと元気そうで筋肉もついていた。

 殺人鬼になったら健康になった? 殺人鬼健康法? ストレスフルライフ?


(昨日までの君に、いったい何があったんだろう)


 呼びかけても返事があるはずもなく、設定資料集が降ってくるわけもない。

 半年前のリチャードが何を感じていたのか、本人に聞こうにも、今の僕に確かめる術はないのだ。


 思考の沼に沈殿している間にジェイコブ先生が適当なスーツをクローゼットの中から見繕ってくれたので機械的にそれを着た。誰かに着せてもらうのも自然と身体が覚えていて、すんなりと上着に腕を通した時は我が事ながら少々気味が悪かった。


 馬子にも衣裳スーツ・メイクス・ア・マン状態とはこの事。眼鏡を外せと言われたが死守した。ひょろっとした眼鏡の殺人鬼が眼鏡を外す危険性を理論的に説明するのは難しい。考えるな、感じろ。


「昼食までに歯茎硬口蓋音と硬口蓋音を鍛え直す。そうでなければ、私の耳が耐えられそうもない。色々と。それまで会話は無しだ、いいな?」

「コウコウガイオン?」

 ロボットか、そうでなければ医者の必殺技だろうか?


「口蓋だ、口蓋……解剖学の単語は理解できるだろう?」

「コーガイ」


 ジェイコブ先生が途方に暮れたように頭を振った。いちおう弁明させてもらうけれど、それは一般的日本人どころか、一般的英国人も日常で使わない解剖学用語だと思います。


「くそっ、やはり違うのか? 少し待て。そこから一歩も動くな。待て、ステイっ」


 誰と違うって? 前に初見でシケー・コウコウ・ガイオーンを理解できた人がいるってこと? 天才か。

 僕が出来の悪い生徒だと納得頂けたところで、ジェイコブ先生が部屋を出て行った。


「辞書だ!」


 そして英語辞書を抱えて帰ってきた。目の前に置かれた本は分厚く、ずっしり重い。

 適当にめくったり、透かしてみたり、筋トレのバーベル代わりにしてみたり。

 うん、全編英語だし。カッコいいね。お部屋のインテリアや凶器に良いサイズだと思います。


「まさか……分からないのか」


 凍りついた表情の先生に明るく答えた。


「はい!」

「ああああ……」


 しゃがみこんで腹部を押さえる先生の肩に手を置いた。

 胃薬、いります?


「私は少し用事があるので出てくる」


 しばらくして、復活した先生はふらふらダイニングから出て行った。バタンと玄関のドアが閉まる音が響き、薄いレースのカーテン越しに大き目の鞄を持ち帽子とコートを着たジェイコブ先生が速足で歩いていく。


 患者というか初対面の僕を置いて本当に出かけて行ったよ、あの人。防犯意識どうなってるんだろうね。


 取り残された僕はしばらく状況の把握に努めてみた。けれど、どう解釈しても留守番を任されたようにしか思えなかった。




 ひたすら辞書を睨みながらエーだのウィーだの呟いている。

 ミュージカルならそろそろ歌が始まってもおかしくない時間が経過していた。「くたばれ、ドクター」と口にだせば帰ってきそうな気もするが、生命とは別の死をむかえるのは想像に難くない。


 ゴーン。


 チューブラーベルという打楽器をごぞんじだろうか。喉が自慢な人達の歌番組で採点の時に使われる、あの鐘だ。今、家じゅうに響きわたったベルはその音によく似ていた。歌う前から鐘一つ判定を出されたわけではない。


 もう一度、ゴーン。その次もまた、ゴーン。


 ダイニングを出て玄関ホールをのぞく。木製のドアに阻まれて来客の姿は見えない。けれども鳴り続ける玄関のドアベルが誰かがいると伝えてくれる。


 ゴーン。

 呼び鈴は冷静に、かつ一定の間隔を空けて鳴り続ける。中に人がいるのを知っているよ、と言わんばかりに。


 頭のミュージックプレイヤーがチューブラーベルを用いたサウンドトラックを勝手に流し始めた。

 カルミナ・ブラーナより「おお運命の女神よ」、クリスマスソング「キャロルオブザベル」、あとは世界平和の為の楽曲でチューブラーベルの複数形。どれも素敵な曲だけど、使用された映画のせいかあまり良いイメージが出てこない。


 ゴーン、ゴー……。


 音が、止まった。やはり出なくて正解だ。いまのはトラブルの匂いがする。僕はほっとしてダイニングへ戻ろうと回れ右をした。それが悪い行動だとは思わなかった。後ろを向いたら知らない女性が立っているとは思いもしなかっただけで。


 ホラーのお約束。

 振り返ったら家の中に知らない人がいる。


 悲鳴はあげなかった。びっくりし過ぎてタイミングを逃した。

 背の高い女性だった。長い黒髪を一つに束ね、三つ編みにして背中に流している。目の色も深い黒。ぴったりと脚のラインに添う様作られた黒のズボンに、銀鎖のついた黒のジャケット。覗く白い襟にはびっしりとアイロンが当てられ、真っ赤に塗られた彼女の口紅が艶やかだ。

 品よくモノトーンでまとまった彼女は気配無く、足音も無く、完璧な微笑みを浮かべてそこに立っている。


「見つけましたよ、リチャード様」


 形の良い眉尻を下げ、彼女は微笑んだ。


「お屋敷から抜け出されたので、わたくしたち心配しましたのよ。ああ、でもご無事で良かった。さあ、帰りましょう」


 さて、困ったことになった。

 僕はヤンデレ系のサスペンスが好きなのだが、当事者になるのは絶対に御免被ると思っているタイプの人間である。

 目の前の女性から感じる、そこはかとない威圧感ダークオーラにどうすれば良いものかと頭をフル回転させる。


 問題です。男性ものの執事服を着たこの美人は誰でしょう。三秒でお答えください。


「あ」


 ひとつだけ、思い当る名前があった。女性でありながらライン家の従僕を勤めていたエルメダ・アッシャーという女性の記述だ。


「その女性は絵画から抜け出たような美しさを持っていた。しかし身に纏うのは優美なドレスではなく、男性用の執事服である」


 残念ながら映画には登場しなかったが、なかなかに濃いキャラ設定である。ライン家に仕える使用人たちはリチャードの後を追って自殺したというから、彼女もその一人なのだろう。

 敵ではないが、安全とも言い切れない。

 だって、父親になったリチャードに対して、後追い自殺するような忠誠心を持ってた人なんだから。


「だれ?」


 いぶかしむような僕の反応に、彼女は眉をあげ、少し驚いた様子を見せたがそれも一瞬のことだった。次の瞬間には見惚れるような美しい一礼で頭を下げる。


「これは失礼致しました。わたくし、ライン家女中頭のエルメダ・アッシャーと申します。以後お見知りおきを」


 不覚にもときめいた。

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