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犯人は僕でした  作者: 駒米たも
本編
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015 黒猫

  口は悪いけれどもてなしの心は忘れない家主のジェイコブ先生のおかげで、キッチンのテーブルにはお茶とビスケットらしきモノが並んでいる。

 普段の食欲であれば美味しそうと本心から言えただろう。しかし現在進行形で吐き気と死闘を繰り広げている身にはいささか辛いものがある。なぜなら固形物を直視すると胃が反逆してくるから。せっかく目の前に有名な朝の紅茶とビスケットがあるのにおぇぇ。


 身振り手振りを交え、僕は「リチャード」という名前以外の記憶がないと説明した。彼らは必死に理解しようと努力した。引きつり強張っていたジェイコブ先生の顔が夢に出てきそうだとしても。


「君は名前以外の記憶がなく、その辺を歩いていたら誘拐現場を目撃してしまった。止めようとしたが、一緒に連れ去られてしまった。テイラー氏とエリザベス嬢は話している内にお互いの誤解が解け、犯罪の証拠を手に入れようとした。そういう事で良かったのかな」


 はい。嘘です。

 ここには昨日の流れを知っている人間が誰もいないので、僕にとって都合が良いように脚色をしてしまった。知ってて楽しい、エンターテイメント。


 つたない言葉と単語の良い点は、受け取り手が勝手に想像して話を補完してくれるということだ。


「それは大変だったな」


 ジャクリーン巡査部長は元々「疑わしきは罰せず」的な考え方を持っている。そして人を疑うことを知らない。僕の胡散臭い話に同情をしてくれた。彼女の優しくて純粋な心根はミス・トリの世界では貴重であり、まさにオアシスであり癒しの泉。見た目的にも心情的にも、まさに砂漠に咲く一輪の花。そうして人を信じ、正義を貫いた結果がリチャードに殺され……。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「どうした!?」

「何かの発作っスか!?」


 そのようなものです。

 よし、落ち着いて。大きく深呼吸しよう!

 息を吸って吐くと背中にぞくりと寒気が走った。まるで誰かに見られているような。警戒しながらきょろきょろ辺りを見回している僕は視線の主を発見した。

 キッチンから黒い塊が顔を出している。大きな黒猫だ。じっとこちらを観察していた。昨日から縁がありますね。


「ところで兄さん、メレンダール夫人の姿を見かけないが、一体どうしたのだ?」

「彼女の娘のアレアを覚えているか。あの子が流感にかかってな。今は家に戻している」

「そりゃあ大変っすね。ご実家、海沿いでしたっけ」


 残念そうなバグショー巡査の口ぶりから、彼がこの診療所に何度か足を運んでいるのは明らかだった。メレンダール夫人はジェイコブ先生の診療所で働く家政婦さんだ。四階に住み込みで住んでいるけれど、そうか。娘さん流感にかかったのか。お大事にね。ところで流感って何だ。


 分からない単語で悩んでいると、キッチンにいた猫がスルスルと直ぐ傍まで近づいていた。余所者を警戒するどころか彼はヒョイっと膝の上に飛び乗った。実にヌクモリティ。


 動物全般に触れた経験の無い僕は固まる。どうしよう。可愛い、重い、温かい。


 恐らくかれの名前はトリスタン。ジェイコブ先生の飼い猫だったはずだ。この診療所には二匹の黒猫が住んでいて、賢い猫なので診療室や薬剤を調合する部屋には絶対に入らない。


 見分けが付きにくいけれど右目が緑で、左目が金色、紳士的なのが老猫トリスタン。右目が金で、左目が青、シャイなのが若いイゾルデだと原作には書いてあった。膝の上で堂々と胸を張るトリスタンは、僕よりも真剣に話を聞いているようにも見える。


「あ、イゾルデ!」


 バグショー巡査がトリスタンを見つけて破顔する。彼は猫が好きなんだろうなあと一目で分かる蕩けた笑顔だ。

 けれど名前を間違われたトリスタンが「ふぅ、やれやれ。これだから坊やには困ったものだ」と言わんばかりのオーラを膝の上で発するものだから、思わず苦笑交じりに訂正してしまう。


「そっち、トリスタン」

「……何故うちの猫の名を知っている。いや、そっちと言ったな。二匹いると分かっていたのか」


 地獄の六丁目辺りで聞きそうな先生の低音が響く。

 おっと。気が緩んだついでに、うっかり口がすべっちまったぜ。致命傷である。


「君は、この診療所に来たことがあるのか?」


 さすがのジャクリーン巡査部長も困惑ぎみだ。

 そりゃそうだ。初対面といいつつプライベートな情報を口にしたのだ。警戒しない方がおかしい。

 けれども僕には伝家の宝刀「記憶喪失」がある。これで何とか乗りきろう。僕はとっさに必殺「ワカリマセン」の顔をしてみせた。


「もしかしたら、覚えてないだけでこの辺に住んでたんスかね」


 バグショー巡査がナイスアシストをきめてくれた。誤魔化せただろうか。いや、トリスタンがじっと見つめてくるから一匹は誤魔化せなかった。


「そうか。なら何かのきっかけで思い出すかもしれないな。彼をしばらく兄さんの家で預かってもらいたいのだがいいだろうか」

「待て、ジャッキー」

「兄さん」

「ぐぅっ」


 酷いごり押しだ。だが、そこがいい。

 慌てるジェイコブ先生という珍しいものを見つつ、僕はトリスタンの背中を撫でる。大人しく撫でられてくれるトリスタンは、何てサービス精神豊かなのだろう。僕は猫という生き物を誤解していたようだ。

 隣で羨ましい触りたいオーラを包み隠さず発しているバグショー巡査に怯みもしてない。おずおずと差し出された彼の手に頭を擦り付けている。お互いに幸せそうで、何よりです。

 和むなぁ。ミステリアス・トリニティなのに。

 ハッ、もしかして日常あげて平穏あげて絶望おとすパターンなのか? そういうの、良くないと思うっ。


「今の状態の彼を連れ歩くのは酷だと思わないか?」

「くそっ、死ぬほど嫌だが仕方がなくなった」


 ジェイコブ先生との舌戦は、ジャクリーンに対するジェイコブの愛が勝利した。



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