END No.1 ゲームプログラマー ミス・エマートンの物語
グロテスクな表現が含まれます
ミス・エマートン・ジョンは自分の身に起こったことを出来るだけ冷静に、客観的に見ようと努力した。
今日も変わらない一日のはずだった。
サン・フランシスコ市庁舎から職場までの途中、山ほど見かけるスターバックスコーヒーのどこが一番素晴らしいノンファットラテを彼女に提供してくれるかという疑問に答えはでなかったし、七番目に入った店はいつもと変わり映えのしないトールサイズのノンファットラテと愛想のよい笑顔と大量の砂糖がキまったトフィー・ドーナツを紙袋に包んで彼女に渡してくれた。
IDカード一つで何でもできてしまうセキュリティビルをフリーパスで抜けた後、彼女はお気に入りのデスクに飾られた小さなピンク色のペガサスの頭を撫でた。それは彼女なりのおまじないで「今日も一日よろしくね」という目の前の癒し系に対する礼儀でもあった。
仕事は普段と変わらずで、お偉いさんを含めた会議は遅々として進まなかった。その間にエマはグーグルの検索速度はどこまで早くなるのかという、ちょっとしたチャレンジをしていた。ようするに暇だったのである。
ランチは外のコーヒースタンドで買ったメキシカンタコスとカフェイン抜きのコーヒーだった。初めての挑戦だったが結果は「買うもんじゃなかった」の一言に尽きる。街のいたるところに存在する坂道とエマの機嫌、どちらの斜度が高いか良い勝負だ。
そこまでは確かにエマは普段通りの行動をとっており記憶と行動は彼女の管轄内だった。
それから、どうしたんだっけ。
彼女は必死に思い出そうとする。
そうだ、口直しにコーヒーを買いに行って、黒猫に前を過ぎられたんだ。
「おい、ジョン! ジョン・エマートン!!」
名前を呼ばれたエマは擦れた声を出した。
「何ボサッと突っ立っている! その無駄にでかい尻を蹴飛ばすぞ!!」
エマは良い育ち方をしたとは言えなかったが、それでも、これほどまでに口汚く罵られる筋合いは無いと思った。初めて見る、髪を油で固めきった気障ったらしいちょび髭野郎をとっつかまえて、コンプライアンス委員会に突き出してやろうと思う位には頭にきていた。
「お言葉ですが」
「ジョンさん、早く行きましょう」
突っかかろうとエマが足を踏み出した瞬間、遮る影があった。
「ちょっと!?」
否応なしに腕を掴まれ、あれよあれよという間にエマは部屋の外へと連れ出される。
「駄目ですよ。編集長を怒らせたら説教長いんですから。それより早く出ないと間に合いませんよ?」
編集長も間に合わないも、エマにとっては意味が分からないものだった。彼女は今しがた自分を連れ出した人物をまじまじと見た。
伸びたストレートの黒髪に明るいアンバーの瞳。幼い顔の半分に眼鏡が乗っている。女のように細い手足は見る者によって好き嫌いが分かれるが、少なくともエマは不快に思わない。ただ異性として好みじゃないだけだ。
「何かとんでもなく失礼なことを考えていないですよね」
内心を言い当てられ、エマはぎくりと身を強張らせた。それと同時に目の前の少年(と思う事にした)に対して疑問をぶつけることにした。
「ここはどこなのかしら」
「どこって、職場ですよ。ディディエ新聞社。それより早く!」
本来エマは受け身な性格ではない。けれどこの場では流される他ないとばかりに少年のあとについて行く。
このディディエ新聞社という場所は随分と時代錯誤な場所だとエマは思った。机と椅子が並び、ひっきりなしに紙が舞っている。大昔に嗅いだねばついたインクと古びた図書館の匂いだ。これだけ忙しそうなのであれば電話の一本でもありそうなものだけれど、とエマは思った。代わりにダカダカと鳴る不思議な黒い機械が忙しなく動き続けている。
それにすれ違う人の服装ときたら!
時代錯誤も良いところだ。シャツにハンチング帽子、吊りズボン。西武劇か仮装大会にでも突っ込んじゃったのかしら、私、とエマの意識が遠くなる。
ディディエ新聞社の今にも崩れそうな石造りの内装はいますぐ文化史跡として登録されてもおかしくない。しかしいくら考えてもエマの職場にもその周辺にも、こんな歴史資料館じみた建物が存在した覚えはない。
外に出て、エマの疑問はいっそう深いものとなった。
世界が曇っている。
紺色のアスファルト道路など影も形も無く、黄色い砂埃をまき散らすむき出しの道がどこまでも続いている。舞い散る粉塵は砂煙と相まって、世界を黄色の霧に包み込んでいた。
エマは思わず袖で鼻と口を覆った。昔、キッチンでターメリックパウダーをぶちまけた嫌な思い出がよみがえったのだ。悪い視界の中、がたがたと二輪馬車が音を立てて過ぎていく。ヨウイ、ホウイと叫ぶ声は誰の者なのか。空に向かって聳え立つ古い赤煉瓦の建物はサンフランシスコでもよく見かけるが、ここには遺跡級の建築物しかない。
――1854年10月――古都倫敦――
それは彼女にとってなじみ深く、そしてまったく未知の世界であった。何故なら彼女にとって十九世紀の英国とは、仕事に深く関係する場所であり、そして実際には一度も行ったことがないおとぎの国だからだ。
推理小説『ミステリアス・トリニティ』を原作とし、その前日譚となる『ミステリアス・イヴ』。
バーチャルゲーム・アシスタントプログラマー、エマートン・ジョンにとって、自分たちが造り上げたその光景は、嫌というほど見飽きた場所だったのである。
仕事のし過ぎね。夢でも見るなんて。
休暇を申請しなきゃと決心しつつ、エマはこの状況をひそかに楽しんでいた。
誰でもミステリアス・トリニティの世界に入る事ができる。そういったうたい文句で始められた企画だった。ならば、今見ている夢はエマが望む、エマにとって目指すべき到達点の形だ。
主人公名は任意に付けられるため、テストプレイの際、エマはいつだってジョンという名前を入力していた。
一般人の中から選ばれるランダム職業。恐らく新聞記者を引き当てたのだろうとエマは思った。
だとすれば目の前の人物はチュートリアルキャラクター。主人公の仲間になる人物だ。
こんな頼りない一般人とマッチングするなんて運が悪いとエマは落胆した。相棒なら、荒事に有利な警官かレアキャラクターの殺人鬼が良かった。エマは後に幽霊となる警察官、ダニエルの事を気に入っていたので、どうせなら彼と同じ警察官としてのスタートが良かったと不貞腐れた。
AI相棒を探してくれるプログラミングは製作者だからといって望み通りに働くわけではないらしい。
「あなたの名前は何だったかしら」
「ショーです。ジョンさんの助手の」
丁寧な態度で少年はハンチングを持ち上げた。
遺体が発見されたのはつい先ほど、目と鼻の先なのだと、駆け足気味のショーは言った。
長屋の住人が煙を発見。火事だと思い消火活動をした結果、焼け焦げた遺体を部屋の奥で発見した。
部屋に住むオランド・メッカートンは今朝から職場である貧民パン工房に現れておらず、背格好から見つかった遺体はオランドのものであるという風潮が広がっていた。
就寝中に起こった火事ならば、ここまで騒ぎが広がることもない。噂の的になったのは、オランドの遺体の有様にあった。
オランドと思わしき焼け焦げた遺体の眼孔、口、鼻腔、耳には木片が突きささっていた。
"Digger"
誰もがその名前を思い浮かべた。正式にその名前が発表されたわけではない。秘密裏に隠されているが、人の噂というものは速やかに広がっていく。
シェルトラン家の一人息子、八歳のノイマン・シェルトラン。それから新聞売りと思わしき孤児の青年。少なくとも二件の遺体に同じような仕掛けが施されていた。
(犯人はオランド自身なんだけど)
前の二件と同じ手口を使い、自分も死んだように見せかける。
検死も科学も現代より杜撰な十九世紀が舞台だからこそ成立する古典的な身代わりトリック。
焼け爛れた遺体に証拠はなく、年齢や背格好、髪の色から被害者であると思いこんでしまう。
犯人の名前を口にするなどという推理小説においての邪道をきっぱりとやり遂げたエマは黒焦げの現場を見て、口元を覆った。
いまだくすぶっている音を立てているのは屋根の梁だったものだろうか。さほど長い間燃焼しなかったようで原形ととどめている。炎の熱で変形した遺体にはまだ赤々しい肉の塊がべっとりとこびりついていた。どす黒い焦げ跡となっているのは着ていた服の繊維と薄い皮膚部分だけであったが、じっくりと見る気にならず、エマは顔をそむけた。
「わーい、蛆虫だー」
「ちょっと、不謹慎じゃない。人が死んでいるのよ」
「すいません。衝撃的な絵を書くと新聞の売り上げが上がるので。次からは気をつけましょうかね」
増えて来た野次馬は、エマのように不快感で顔を背けるか、ショーのように恐怖と興味が混じった顔で現場を覗き込んでいる。
「ちょっと待って。いま蛆って言った? どこにいるのかしら」
「はい。そこに沢山散らばっています」
死体に集う虫というものは見ていて気持ちが悪い。しかし一生懸命、床に這いずり残った肉を咀嚼する、または逃げまどいコロコロと辺りに散乱している小さな蛆の存在は、エマに疑念を植え付けた。
「死体は焼けているのに、何でこの蛆は焼けていないのかしら」
「さぁ」
「それに、そんなにすぐ死体に蛆ってわくもの? 卵を産んで孵化するだけの時間が必要だわ」
「さすがはジョンさんですね」
そう言ってショーは肩を竦めた。
考えられるのは近くに蛆の集う餌場があるということ。もしくはオランドとされる死体は死んでかなりの時間が経過しているのかの、どちらかだ。死体は確かに焼けている。だが、死体に集る蛆は生きている。長屋は焼けている。これはどういうことだ。エマは再度自問する。
火事は遺体を発見させ、死因を誤解させるため、わざと起こされた?
「ショー、この辺りで最近。火事はあったかしら」
「この辺りではありませんが、少し前に火事がありましたね。消火が遅れて何人か地下の石蔵で蒸し焼きになったとか」
この少年は頭に問題があるのではないだろうか。口元に薄らと笑みすら浮かべて喋るショーにエマは薄気味悪さを覚えた。
「その被害者が埋葬された墓が荒されてないか、調べる事はできるかしら」
「ははぁ、ジョンさんはそこの死体がもっと前に死んだ遺体だと疑っているんですね。いいですよ。オレの知合いに警察関係者がいるので聞いてみましょう。それと、あそこの床。そこだけ釘の打ち付けが無いのは不思議ですね。誰か踏みぬかないかなぁ」
その床の下に何が埋まっているのか知っているような口ぶりでショーはその場から立ち去った。確かに助手システムは便利だとエマは痛感した。欲しい情報を一言告げれば、何らかの手段で集めてきてくれる。しかしショーなんて一般人のプログラムを組んだかしらとエマが考えた時だった。
「おい、どけ! 邪魔だ!! 散れっ」
黒色紐靴の一団が、住民の肩を押し退け現れた。縦に長い警察帽子を見て笑う気分にもならず、エマは野次馬に紛れ到着した警察の一団を眺めていた。
「こりゃあ酷い現場ッスね」
その中の一人が現場を見て顔をしかめた。まだ少年と言って差し支えないほどの純朴そうな青年だ。隣にいたカカシのような警官が牛のようなゆっくりとした動きで困った顔へと変化する。
「丸焦げだと誰だか分からないね~」
このような凄惨な場でのんびりとした声がすること自体がおかしいのだ。しかしショーといい、目の前の警官たちといい、むしろ手間がかかって面倒だといわんばかりの表情をしているではないか。本当におかしいのは自分では無いかとエマは自分を疑い始める。
「いいからさっさと……うぉわーっ!?」
陣頭指揮を執っていた青年が焼け焦げた床を踏み抜いた。燃えるような赤毛と髭の美青年だ。片足を床に埋め、顔を真っ赤に染めている。床下に溜まっていた泥にでも足を突っ込んだのか、ぐちゃりという水気のある音が辺りに響いた。
「さっ、さっさとワタシを引き上げろ! ウスノロどもめ!」
証拠も何もあったもんじゃない、とエマはひっそり溜息をついた。部下の警官たちも同じ心境だったようで、べきべきと音を立て、床板を外していく。奇しくも、赤毛の警官が踏み抜いたそこはショーが指した床だった。
引き抜かれた黒いズボンにはべったりと染みが付いていた。赤毛の警官が顔を悲しそうに歪めた瞬間、鋭い声が響く。
「警部っ、床下にもう一体、遺体があるようです!」
「なにぃ!?」
ざわつく野次馬を放置して、警官たちは一斉に床板の下を覗き込んだ。屈強な男たちによってすぐに引き上げられた死体は男のものだった。目と口を見開き、驚愕の表情で死んでいる。
「わ、ワタシの足の仕業ではないからな。恐らく最初からなのだ」
大きく真一文字に切り開かれた腹を見た警部が決まり悪そうに口ごもる。死体の顔を見た野次馬の一人がぽつりとつぶやいた。
「お、オランドさんじゃないか……」
オランド・メッカートンが死体で見つかった。
エマにとって、これ以上驚くことなどなかっただろう。それに彼女が驚いたのにはもう一つ、別の理由がある。
オランド・メッカートンの腹に埋め込まれた発条仕掛けのギミックが、彼女にとって馴染み深いものだったからだ。
時間の仕掛けで破裂する爆弾。そう、ただの爆弾だ。
脊椎肋骨大腿骨などを吹き飛ばし、釘や鉄球の代わりに殺傷能力を高める、人間爆弾。
物語終盤に登場し、逃げる予定だったその爆弾が、なぜか目の前の遺体、その腹の中に存在している。
ショーはなぜ、あれだけ急いで現場に連れてきたのか。
警察関係者に話を聞くなら別に現場から離れなくても良かったのだ。向こうから来るのだから。
なぜ蛆虫の存在をさりげなくエマに教えたのか。
彼が床下の死体に気づいていたとすれば理由は。
真犯人の死は、誰によってもたらされたのか
火事が起こった理由は、死体が見つかった理由は……犯罪に興味のある人間を集めるためだとしたら?
「逃げてぇ!!」
自分の手足がねじ切れる瞬間を感じながら、ミス・エマートン・ジョンは意識を飛ばした。
>ジョン・エマートンが強制ログインしました。
>ジョン・エマートンがディディエ新聞記者を選択しました。
>パートナーとしてウィリアム/シャーロットが選択されました。
>>ジョン・エマートンが死亡しました。
>真犯人の捕獲に失敗しました。
>ストーリー達成率3%
>>ヒントを見ますか? YES/NO
「うっふふふー、ゲームっていいよなー!」
眼鏡の少女は今にもスキップをしそうな足取りで道を歩いていた。プレイヤーに代わってバグショー署長から情報を聞くのも仕事のひとつだ。
恐らく、ウィリアムはこれ以上助手としての仕事をこなさなくてもよい。今回来た彼女は久しぶりに「良い」と思ったからその話をバグショーにするだけだ。
「主人公ってのと一緒に犯人を捜してー、先回りしてー、犯人殺せばぁー、殺人鬼経験値ってのがいっぱい入るんだもんな。リチャードの奴も、確かこういうやり方で父親になったんだっけ。私もそうなれるかなーっと」
助手は犯人をやってはいけない。助手は主人公を裏切って殺してはいけない。そんな法則はない。
仲間だと油断した瞬間に殺される。愛着を持った瞬間に裏切る。
それこそ、第一作目を踏襲したミステリアス・トリニティの醍醐味だ。
かぶっていた黒髪のカツラを外しながらシャーロットは壮絶な笑みを浮かべる。
「うふふふ。さぁ、遊びの舞台に戻ってこいよ。腰抜けども。次こそきっちり、しっかり、殺してやるよ」
△▼△
「マジテメェだけは許さん、ショー、プレイヤー殺害の容疑で見つけしだいぶっ殺してやるからなぁ!!」
「ど、どうしたんだ、ジョン女史は。休憩から戻って来てから鬼のような形相で助手プログラミングキャラクターの検索かけているんだが」
「分からん、虫の居所が悪いんだろう。だが滅多にやる気にならない彼女が動いているのは良い事だな。その分リリースが早くなる」
△▼△
「はっ!?」
「どうかしましたか、トラブルメイカー」
「レイヴンさん。どこかの誰かが僕に送った殺人予告をキャッチしました」
「あ、それ私です」
「マジで!?」