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犯人は僕でした  作者: 駒米たも
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170/174

ドラマ版NG集 悪夢の百貨店(中編)


「リチャードもこの辺りに泊まっているんですか」

「はい。昨日の事件もありましたし、動きやすい地下鉄近くに泊まりたいと仰って、リチャード様とレイヴン様はこの辺り(・・・・)に宿を取られたと聞いています」


 エルメダの淹れた紅茶を飲みながら話を聞いていたショウは破顔した。引きずっていた眠気もあらかた飛び去り、今はすっきりとした顔で応対している。

 昨晩、保護者レイヴンとアンナを交えて遅くまで飲んでいた二人(一人ノンアルコール)だったが、まだまだ話したりない空気で別れた。時間が合えば、昨日出来なかった観光が出来るだろうかと目を輝かせる。


「二人に、今日も会えますかね」


 ショウの問いかけに、エルメダは奥歯に物が挟まったような、しぶい顔をしてみせた。


「どうでしょうか。今日は他のお客様とのお約束があるようですから」

「そうですか」


 がっかりとショウは肩を落とした。リチャードもレイヴンも多忙な身、本来ならばそう簡単に約束を取り付けられるような人たちでは無いのだ。特に、リチャードは形式上爵位をジェイコブに譲ったが、細かい些事の引継ぎはまだまだ多い。弁護士とのすり合わせもあるし大変だろうな、と他人事のようにショウは同情して残りの紅茶を飲み干した。


「代わりと言っては何ですが、私は暇ですよ」

「エルメダさんが?」

「はい、今日は休みですので超ヒマで御座います」


 ショウは二、三度瞬きをした。

 エルメダは変わらずグリーンタワーホールでメイドとして働いている。直接的な雇用主はリチャードからジェイコブへと変化したが、仕事内容に変化はないそうだ。


「一緒に観光してくれる?」

「ショウ様がお望みとあらば」

「もちろん願いますともっ、よろしくお願いしますっ!」


 エルメダの両手を握り、ショウは力強く上下に振った。がくがくと揺れながら、それはようございましたとエルメダも答える。


「それでは朝食を……後二十六分十三秒後にとりましょうか」

 細かい時間の指定にショウは一瞬疑問を覚えたが、エルメダの事だから何かあるのだろうと素直に頷いた。


 一階グランドフロアの朝食会場は、ホテル備え付けのバーが使用されていた。豊富なシリアル類とパンがずらりと並び、盛られたバターやジャムのカゴ、牛乳は慌ただしく動き回る従業員によって溢れんばかりに補充されている。

 ツアー観光なのかホテルを利用していると思わしき一団、ホテルの朝食を食べに訪れた中年の夫婦、犬との散歩中に腹をすかせたジョギングマンは外のテラスで新聞を折り畳みながらサンドイッチを齧っている。

 驚くほど巨大な白皿プレートに添えられた煮豆やソーセージ、焼きトマト。真っ黒な焦げ目のついた血の腸詰めや塩とバターで味付けされたマッシュポテト、きつね色のトースト。全てを少しずつ食べるなら、少なくとも四枚分の皿が必要だろう。

 サーバーに入ったコーヒーと、茶葉ごとティーバッグごとに分けられた紅茶。従業員に頼めばオレンジを絞ったジュースを席まで持ってきてもらえるのだが、面倒に思ったショウはシリアル用の牛乳をグラスに注ぎ席へと戻った。


「ショウ様本来のお顔を、こうやってじっくりと拝見するのはこれが初めてですが……どことなく初めてという気がいたしませんわね」


 意外と健啖家なエルメダがパリパリとベーコンを咀嚼しながら言った。そう言われてみればそうだなと、目玉焼きを口に詰め込んでいたショウが口の中のものを飲み込む。一度、クリスの姿を借り受け会っているので、その結果が「何となく見覚えがある」というものなのだろう。


「そう言えばそうだったね」

「少し失礼いたします」

「ふおおっ!?」


 呼吸が感じられるほどに顔が近づく。

 眼鏡を奪い取ったエルメダは、じっとショウの顔を見た。そして何食わぬ顔で「ありがとうございます」と告げ、元あった場所に眼鏡を戻す。


「ショウ様。いくつか、私と約束して頂きたい事があるのです」

「はい、何なりと」


 エルメダが真面目なのは普段通りなのだが、今日はその普段通りな真面目な顔に真剣さが加わっていた。どことなく漂う緊張感に、ショウも背筋を正して椅子に座り直す。


「見た目がパンクで特に髪にメッシュが入った若者に『いい粉あるよ』と言われても、けっして路地裏や人気のない場所について行かないでください」

「やだなぁ、子供じゃないんですからついて行きませんよ」


「また、上品な老婆に『向こうで映画のロケをやっているのですが連れて行ってあげましょうか?』と言われてもけしてついて行かないでください」

「……おぉ、それは、うーん」

「ショウ様」

「わ、分かりまし、ましっ……ぐわぁぁぁ」 


 胸を押さえ、様々な葛藤をしているであろうショウを見て、エルメダは先行き不安だと一瞬だけ遠くを見る。


「いやー、さっすが! ええとこのホテルは朝飯あさめしも一味違うなぁ」

「♪」

「マットさん、リーちゃん。まずいよ。まだ時間より五分早いもん。デクワンさんも何とか止めてぇー」

「カイル、ソレ、ムリねー」


 ノコノコと、どこかで見た覚えがあるメンツがエルメダの視界に入ってきた。


「やれやれ皆さん。五分前行動は素晴らしいですが一回退場しましょうねー」

「ネリーはん!? どっから出たっ、気配なかったやん!?」


 そして髭をたくわえた執事姿の男性に流れるように回収されて行った。


 一通りの流れを目撃していたエルメダだが動揺を顔に出す事はない。幸いにも、ショウが背後のコントに気付いた様子はなかった。


「分かりました。老婆に気をつけます」

「そうして下さい。それではショウ様」


 エルメダが腕時計を確認する。


「あと三十八分五十一秒後にお部屋に迎えに参りますので、それまでけっして部屋の外には出ず、お待ちください」

「その微妙なタイムスケジュール、気になるんだけど、聞いてもいいかな」

「いけません、企業秘密オフレコでございます」


△▼△



 金融中心都市シティから北西に位置するフィッツロビア地区。

 FitzroyTavern(さかば)の名を授けられたこの地区には十九世紀の建築物が数多く残る。ブルームズベリーやメリルボーンと隣接し、数多の芸術家、作家、映画監督が集うことで有名だ。


 ロンドン大学や大英博物館にも徒歩でアクセスできることから、学術誌やノートを持った学生の姿も多い。古き名立たる文筆家の歴史と若き学生、芸術家たちの存在を証明する自由な空気がオープンテラスの席から溢れている。


 そんなフィッツロビアのある地区、赤煉瓦とコーヒーの香り豊かなホテルの中では、今まさに密会が行われようとしていた。


 部屋の中は、空間自体が一つの芸術品だった。キングサイズベッド、ウィリアム・モリスの壁紙と、揃いの遮光カーテン。骨董品(アンティーク)で纏められた部屋の床に這うのは蛇ではなく無粋な配線、そしてノートパソコン。ルームサービスのチョコレートの包み紙が無造作に開き散らばっている。


「それじゃあ、今朝までの結果を報告する」


 椅子の上に座る二人の人間、ハーバーとゴドウィンは二人組の何でも屋である。金を積めば法に触れることも引き受ける。しかし、ある程度まではだ。それは犯罪者として中途半端な身の振り方といえた。しかし改める気などない。


 最近では「危険のない常識内の仕事」と呼ばれる浮気調査ばかり主に引き受けていたが、今回は違った。

 依頼主は知人、そして監視対象も知人である。


 そういった意味では、小悪党である彼らでも罪悪を感じるような仕事だ。

 二度とごめんだぜ、と小柄な白人、ハーバーは吐き捨てた。幸いなのはこれが浮気調査では無かったということだろうか。


 これは平和のための仕事だ。これは護衛だ。そう説得されたし、そうであるとハーバーもゴドウィンも理解していた。


「あの眼鏡だがな。あいつは、凄い」

 大柄な黒人、ゴドウィンは言葉を濁し、大きなため息を吐いた。

「キングサイズの部屋に泊まるから、ある程度の覚悟はしてたんだけどよ」

「朝から女と、ベッドが軋むほど激しくやりあうとはなぁ」


 まいったねーと二人は同時に額に手を当てた。


「入室確認、茶色の目の女、黒髪の女」


 依頼人たちは静かに手渡された報告を読んでいた。まったく同じ姿勢、同じタイミングで足を組みかえる。


「茶色い目ということは、恐らくリチャードだろうな」ジェイコブが言った。

「そうかもしれませんね」レイヴンが同意する。


 依頼人である男女はよく似た顔立ちをしていた。二卵性の双子と説明され、違和感を覚えるものなどいないだろう。報告を耳でも聞いていたが、とても信じられない内容であったので大抵は聞き流していた。


 隣部屋の対象を監視、盗聴する。待機場所に対象・・が移動してから始まった不可思議な依頼は、特に何の問題も無く午前十時で終了した。

 ハーバーは手に持った手帳をめくる。昨晩から今朝まで、時間ごとに記された詳細が書かれていた。


「あとは黒髪の女だな」


 恐らく彼の姉、杏菜だろうとジェイコブは思った。遠目に見たが、小柄で妖精のような女性だった。姉と紹介されていなければ、少女と間違えていたかもしれない。アジア人の女性は年齢が分かり難いと言うが、高畑家に関してはその典型例だった。


「名前はエルメダ、来たのは今朝だな」


 ジェイコブは隣のレイヴンをちらりと伺った。エルメダという名前を聞いても、レイヴンが動じた様子はない。腕を組んだまま目を開き、じっと前を見続けている。


 ジェイコブはレイヴンの前に手をかざし、上下に振った。

 反応が、ない。


 危ないところだった、そう思いつつジェイコブは腕を組んで報告の続きをうながした。午後からジャクリーンとランチをとる約束をしていなければ、自分もこうなっていただろう。


「朝十時前に、二人組の女が連れだって部屋から出ていった」

「人は見かけによらねぇなぁ。所詮あいつも、男ってことだ」


 依頼人の肩を、慈愛に満ちた瞳のハーバーとゴドウィンがそれぞれ二度ずつ叩いた。隣の部屋からはごそごそ人の気配がしている。信じがたいことではあるが、報告通りなら監視対象(ショウ)はまだ部屋にいる。


「それじゃあ、俺たちはこれで行くぜ。今夜は忘れずに来いよ」

 ハーバーとゴドウィンが部屋から出た時も、レイヴンはぴくりとも動かなかった。


「おい、レイヴン。私も行くからな。今日はジャクリーンとランチをとる約束をしているんだ」

「ええ、いいですよ。どうぞ。行ってらっしゃい」


 やけに素直なレイヴンを不気味に思いながら、ジェイコブは部屋を後にした。ショックのあまり、おかしくなったのかもしれんと思いながら。


 △▼△



「ハーバー。本当に、これで良かったのか?」

「いいんだよ。嘘は言ってない。時には、真実を知らない方が幸せってこともある。あいつらにとっては、こっちの方が幸せなのさ」


 ホテルから出て来たハーバーは、咥えた煙草の端を上下に揺らした。高いヒールを鳴らし、振り返ることも無く。道を進む。最初に気がついたのはゴドウィンで、情報の取捨選択をしたのはハーバーだ。

 聞いた言葉のいくつかをそのまま伝えたのは、誤解を本物にするためだ。

「部屋から出てきた茶色い目の女」が「監視対象本人」であることを二人は伝えなかった。

 

 刃傷沙汰の事件に巻き込まれてばかりで探偵は多少ノイローゼ気味になっていたし、医者は医者でニューハーフ、もとい突然女になったと言う現実を受け止めきれないでいる。更なるストレスを与えるのは得策ではない。中で何が起ころうと、何人いようと、常識の範囲外で起こる出来事は二人が監視する範囲外でもある。


「保護者に見守られての観光ってのも、つまんねぇだろうしな。『ユニコーンと盾』で結果報告でも聞くとするかね」


 嫌な依頼に対する、ちょっとした意趣返しだとハーバーはカラカラ笑う。


「まったく、気が利く小悪党オネェもツラいぜ。おい、ゴドウィン、行くぞ」

「あ? あぁ」


 歩き出したハーバーを追いかけながら、ゴドウィンは今しがた出て来たばかりのホテルを見上げた。

 先ほどまでゴドウィン達がいた部屋の外に小柄な黒い影が見えた気がしたのだ。やりかねない、と思う対象はすでに出かけている。そうそう常識外れのことには出くわさない。ゴドウィンはそうやって自分の心を納得させる。


「まさか、ありえないよな。ニンジャでもカラスでもあるまいし、四階の窓の外に人がいるなんて。待ってくれ、ハーバー」


 ゴドウィンは慌てて相棒を追いかけた。


△▼△


 静まり返った部屋の中、レイヴンは一人おもむろに立ち上がる。

 彼は部屋の外に立った。廊下の隅、左端の部屋。すぐ右隣が監視対象の部屋だった。ハーバーとゴドウィンの報告を鵜呑みにするなら「朝方まで二人の女を相手にして疲れた監視対象」がいるはずだ。


 ドアノブにかけられた「入らないで下さい、"DO NOT DISTURB"」カードを、レイヴンは見つめた。

 彼は少し迷ってからその部屋をノックした。そして中の宿泊客が出てくる前に、今度は廊下の右端まで移動して右端の部屋をノックした。

 どちらからも返事はない。レイヴンは息を吸いこんだ。


「すいません、リチャード! 下に降りてきて書類の整理をおねがいできますか?」

「はーい、今行きまーす」

「こらーっ、揉むわよこの子はー!」

「あわわわ!? つい普段の癖で! すいません、杏菜さ止めろと言っているでしょうがこのクソガキ、調子にのるのもいい加減にごめんなさい殺さないでください」


 右隅の部屋にいる愉快なメンバーは分かった。

 問題は真ん中の部屋、ショウの部屋だ。もう一度、こんこんと扉をノックする。


「ショウ、いますか。私です。レイヴンです」

「え、レイヴンさん!?」


 声は確かに彼である。


「急用です。いますぐニホンのマンガオタクについて教えて下さい」

「ニホン、の、マンガオタク?」

「ジャパンのコミックブックに詳しいギークと言う意味ですね」

「へぇ、姉ちゃん日本語分かるんだ」

「ふふん。年季が違うのですよ、年季が……はっ!?」


 中から聞こえる類似(ショウ)の声は昨日聞いたものより低い。現実味を帯びてきた、ある一つの可能性に、レイヴンは歯ぎしりする。


「畜生、本物はどこへ逃げた!」


 叫びと共に、空気を読まないレイヴンの背後に存在する客室のドアが開いた。


「んやー。ネリーはんに見つかるとは、運が悪かったなぁー」

「あれはマットさんが悪いんですよ?」

「ソーダソーダ」

「しゃーないやん。腹は減った時に食うもんなの。な、リーはん」


 ノコノコと扉を開けた一団はすぐに目の前に立ち尽くす探偵に気がついた。

 当然、探偵も彼、彼女たちの姿を見ている。

 互いに見つめ合った。


 沈黙。

 ワンフロア五室。右に三部屋、左に二部屋。中央位置にはエレベーター。


 まさかワンフロア全員、知り合いで埋め尽くされているなんてことはあるまいな。

 レイヴンの悪い予感は、大抵よく当たる。


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