013 夢中
【???】
「ここにいらっしゃいましたか」
中庭のベンチに座っていると声をかけられた。
「ジャック様が亡くなられました」
彼女の言葉を、ぼくはすぐさま否定した。
「そんなことないよ。さっき、ここで見たもの」
抱えていた人形を隣に置き直す。
そう、先程まで彼は確かにここにいた。
「父さんが言ってた。人は生き返るって。だから彼も生き返ったんだ」
ぼくの言葉に、彼女は悲しそうに顔を伏せた。
【暗転】
不思議な夢を見た。
具体的に言うと物語の境目やら章の狭間やらで差し込まれる誰かの過去っぽい夢を見た。
前後関係が繋がらないのでモヤッとするタイプのあれだ。ただし今日の僕はひとあじ違う。
今のはきっと、リチャードの過去だ。リチャードに入っておきながらまったく関係ない他人の過去が流れたら怒る。一人称視点だったのでやはり本人がベンチに座っていたと考えるのが自然な流れである。
「ふっ、あとで一言一句メモっておこう」
人は生き返る。彼も生き返った。
夢の中のリチャードはそう言っていた。
父親が不老不死の研究をしていた過去と、何かつながりがあるのだろうか。
「自分と同じ容姿」を持ち「自分と同じ記憶」を共有し、「自分と同じ思想や考え」を持つものは自分と変わらない。そう考えたトマスは、息子のリチャードに人格を移植し、疑似的な不老不死を実現しようとしていた。
先程の夢とつながりそうな点は、今の所それくらいしか思いつかない。
けれど、もしかして僕の知らない秘密の設定や裏話があった場合、その限りではない。
なんて冷静に考えていたけれど、ここは、どこ?
僕は椅子に座っていた。「パレス座」でよく座っている劇場の椅子だ。
なぜか円形舞台の中心部に設置してあって、上から白いライトで照らされていた。
周りは壁で囲まれている。
窓一つ無く、上に昇るための螺旋階段もない。まるで石塔の底に幽閉されている気分になる。
夢の中の夢……の中で見る夢。または多重夢。言い方はいろいろあるけれど、つまり。
「夢の中の夢から起きたと思ったら別の夢だった、ということか。フッ。分からん」
とりあえず探検してみよう。
舞台の階段を降りて石壁に沿って歩いていると、三つの並んだドアを見つけた。
一つ目のドアに手を伸ばすとひとりでに扉が開く。
中には僕が住んでいたアパートの部屋が広がっていた。狭苦しく安心感のあるいつもの部屋。
「で」
震える手を伸ばす。
「DVDデッキー!!」
優先順位が違うだろうといくら言われようが、重要なのはそこである。
とりあえず、最低限の安心は確保できたのでホクホクしながら部屋を出る。
二つ目のドアに手をかけようとしたとき、中から鍵がかけられた。
「おや?」
この中に、だれか、いるようだ。
【暗転】
「まさかの三段オチ……うぉぇぇぇぇ」
目が覚めると二日酔いだった。
妙にはっきりした夢を見ていたような気がするんだけど……ところでここはどこだ。
あれっ、このセリフ。さっきも言ったような気がするな。
見渡す限り殺風景な部屋だった。白い壁、裸電球、水差しとコップ。木のテーブルとスツールのセット。白いシーツの向こうにベッドの鉄柵も見える。窓にかかっているカーテンの色はベージュ。空気が少しばかり埃臭い。清貧を極めた中世の修道院とはこのようなものかと思いながら起き上がり水差しに手をのばす。
もう一つ新たな問題。服はどこ行った。
水差しの隣には丁寧に畳まれた白シャツと黒いズボンが置いてある。袖を通すとあつらえたかのようにぴったりだ。
服がダメになった理由は考えたくないが、多分当たりだろう。
クリーニング案件と公然わいせつ罪ならどちらがマシか。
どちらも、僕の社会的地位が危ない。
警察でご厄介になっているワケではなさそうなので、まだ安心できる。
丸いレンズの眼鏡が置いてあったので、とりあえずかけてみた。いつもの眼鏡じゃないけど、うーん、ジャストフィット。
出来る限り昨日のことを思い出そうと、こめかみを揉んだ。
考えろ。手のひらには包帯、全身は擦り傷だらけ。パンツ一丁。うん、酔っぱらった自分ほど信用できない相手はいない。
以上の結論から導きだされる答えは……導かなくていいんじゃない、これ?
「日本公開まで待てないから、香港行ってくる」
かつてそう言って酒の席からパスポートと財布を持って失踪した男がいた。
あの時は金曜日で本当によかったと思う。
朝起きたら香港の金さん(知らない人)の豪邸に一泊していた時の僕の驚きは言葉に出来ない。彼とは映画館で意気投合したらしい。酔っていない僕は日本語しか喋れないのに、どうやって会話したのだろう。記憶がないのでこの謎は迷宮入りとなった。
グラスに注いだ水を少しずつ飲むが、気分も記憶もすっきりしない。
靴が、どこにもない。相当な惨劇が起こったことは間違いないようだ。裸足のまま立ち上がると、どこからか人の声が聞こえた。
「彼は――」
扉の向こうからだ。くぐもっていてよく聞こえないが、日本語ではない。
やはり国境を越えていたか。
コップを持ったままゾンビのように歩く。声は男性二人に女性が一人。もしかしたらここは一般家庭のお家で、酔っぱらった僕が口八丁手八丁で上がり込んだせいで修羅場になっているのかもしれない。細心の注意を払って少しだけドアを開けた。
「これが本当なら面倒だぞ」
ドアの隙間から低い男性の声が入りこんできた。どこかで聞き覚えのある声だ。
「彼は信じられないほど少ない酒が、致死量に値する」
物騒な会話だなぁ。映画マニアの僕からすると、さりげなく致死量という単語を強調して伏線を作っているようにしか聞こえない。推理小説のルビで「、、、」とか「・・・」とか付いていたら伏線確定なのだけれど、実際、言葉では分からないものだ。
「他言無用だ。この事実を知っているのは私達しかいない。もし外に漏れたら、あの青年が事故を装って殺される可能性がある」
僕は「サスペンス映画で覚えた単語だ」などという気楽さで思わずドアを押してしまった。軋んだ音を立て扉が開く。
その場にいた全員の視線が驚きと共に僕へと向けられた。その三人を僕はよく知っている。顔見知りというわけではない。映画の中で見た顔だから一方的に僕が彼らを知っているのだ。
ヒロインの幼馴染である元孤児のジャクリーン巡査部長、その義理の兄、内科医のドクター・ジェイコブ。警察トップ、バグショー署長の息子ことバグショー巡査。
ミステリアス・トリニティに出てくる人気メンバーそろい踏みの光景に手に持っていたコップがスルリと滑り床へ落ちた。
瞬間、頭のテープがようやく動き出した。教会、海沿いの酒場、割れるガラス、殴り合う船乗りの喧嘩、黒塗りの馬車、暗殺者、四人組アドベンチャードラマ決定。
国境どころか、第四の壁を乗り越えていた。
戻って来た記憶のついでに吐き気も一緒に戻って来る。かろうじて残っている社会人としての矜持でもちこたえる。
「トイレはむこうッス!」
焦った声が聞こえ、頷いた僕はがむしゃらに示された方へと走った。