付属ドラマDVD ヒースロー空港人質立てこもり事件 4
「これで今頃、警察が突入しただろうよ」
通話終了のボタンを押したゼブラの表情はさえない。
誰とも目を合わせないゼブラ、動じた様子を見せないエレファント、怯えるジラフ。
疑心暗鬼。三竦み。腹に抱えた互いへの疑念を口にすれば、彼らの立つ薄氷は崩壊する。
ラビットが死んだ。殺された。
「手筈通り、裏口に回り逃走するぞ」
淡々とエレファントが告げた。黒の戦闘服を裏返すと白で縁取られたロンドン警視庁(MPS)の文字が現れる。警察関係者に紛れ現場から逃走する。何の捻りもない古典的な手だ。だが効果はある。
「手筈、通りだぁ?」
ゼブラの眉間に、深い皺が刻まれた。
「ラビットが死んだんだぞ」
「その件については後にしよう。今は逃げることだけを考えろ」
普段通りエレファントが命令する。その高圧的な物言いに、遂にゼブラが限界を越えた。
「お前、やけに落ち着いてるよなァ!? エレファント」
「騒ぐな、平静を装え」
「おまえが殺したンだろ!」
「ふ、二人、とも」
保たれていた均衡を取り戻そうと、ジラフが割って入る。そうでもしなければ、ゼブラはエレファントに向かって掴みかかっていただろう。
「善人ぶんなよ、ジラフ。本当は疑ってんだろ。ラビットは、エレファントに殺されたんじゃねえかって」
「わ、私は、そ、そんなこと」
「それとも何かァ? お前がやったのか」
「ち、違う。私は、その、エレファントより君の方がラビットと行動を共にしていたと……」
ジラフは、もぐもぐと言葉にならない呟きを漏らした。
「ふぇっふぇっふぇっ。いいよね、仲間内での疑心暗鬼。『こんなグループやっていられるか、俺は抜けるぞ』までいけば最高です」
肯定か、否定か。奇妙な笑い声が全てを中断させた。
廊下の壁に背をつけ、頬杖をついたまましゃがんでいる男がいる。三人の争いを最初から見ていたのか、完全にくつろいだ姿勢だった。
眼鏡をかけた、よれた雰囲気のビジネスマン。
例の死体の入っていたスーツケースの持ち主。ショウという名で呼ばれていた。エレファントは即座に記憶を掘り起こし疑問に思う。
(どういうことだ、人の気配は無かったが……)
視線を走らせたエレファントは、近くに茶髪の女がいないことを確認し安堵した。
この男の連れは難敵だ。エレファントほどの手練れであっても、彼女から無傷で逃げることは難しい。エレファントは下ろしかけていたマシンガンを構えた。
「それより、僕の荷物はどこですか」
スーツを着ていなければ、ふてくされた子供に間違われるだろう。そんな振る舞いと物言いだった。しかし彼にとっては当然のことらしい。恥じた様子もなければ、怖じ気づいた様子もない。眼鏡越しに見える茶色の瞳は、どこまでも真剣だ。本気で荷物の行方を案じている。
何を考えているのか分からないとは、表情がない相手によく言われることだ。
時として、笑顔にも同様の評価が下される。
笑顔とは『相手の好ましいもの』を計る目安だ。そのため、『明らかに好ましくない状況』での笑顔は無と同義になる。
銃というイニシアチブを取っているにも関わらず、エレファントは戸惑っていた。ゼブラの怒りも一時的に収まっている。父や教師に助けを求めるように、エレファントを見た。
原因はショウから説明を求められた男にある。
「さぁ、何のことかさっぱりだ」
子供のような質問と眼差しを一身に受けながら、ジラフは冷静に答えていた。その表情には薄く笑みめいたものが貼り付いている。
ゼブラが一歩、身体を引いた。
理由の分からない、しかし目前の男が内包している気味の悪さが、酸素に交じりつつあった。
「エミリオ・ハーディ、元海兵で株式仲買人。ザカリアス・ワイル、多分、証券アナリストでパソコンオタク。それから、搬送貨物運搬係のライオネル・ジェファソン」
突然、名指しされたゼブラは銃を構えることも忘れて唖然とした。蒼褪めるエレファントも同様だ。今まで動揺を見せなかった男が、初めて目を見開いた。
「現代版なら目的も空売りなんかに変更されているのかな。改変しても基本の流れは同じだもんね。時代が違っても犯罪なんて変わらないんだなぁ」
自らを納得させるためか、男は二度ほど頷く。
「問題は、なんで金融犯罪チームの中に見覚えのない人がいるのかってこと。新キャラクターかなと思ったけど、ようやく思い出せたよ、ジラフさん。あなた連続爆弾魔のギブソン・エインカーハムだね? 二次創作版の犯人を原作にぶっこむなんて」
推理も何もあったもんじゃない。相手も事件も前に見ている。ショウにとってはそれだけの事だ。ふっと眼差しを遠くに向ける。
「過激派が見たらマジギレするとこだった」
脳を再起動させたエレファントは目前の男に対する認識を改める。
あの時。いくら不意をつかれたとは言え、自分に避けられなかった拳を、こいつは避けた。
一体何者だ。他国の潜入捜査官か?
エレファントの心の声が聞こえたならば、ショウはこう答えていただろう。
いえ、ただサイン本をさがしてる人です。