付属ドラマDVD ヒースロー空港人質立てこもり事件 3
エレファントが床に落ちた携帯電話を拾いあげる。痛いほどの沈黙が、辺りを支配していた。
「それ、ラビット、なのか」
「そのようだな」
真っ青になったジラフが手元の携帯電話を操作すると、ピタリと電子音が鳴り止んだ。
「どういう事だ」
殺意を向けられたスーツケースの持ち主は小刻みに首を横に振る。
ぼ、ぼくじゃない。
本音を口にするのは賢明で無い。特にそれがフラグ要素満載なセリフであれば。
変に勘ぐられるよりもと、男は無言を選んだ。
スーツケースから転がり落ちた死体は、口を大きく開け高い天井を見上げている。
中肉中背、黒髪黒目。日に焼けた赤い肌の三十代後半。ぽっかり額に開いた穴が無ければ、ただ驚き固まっているだけにも見える。
額から流れ出た血は顔面を汚し黒く乾いている。手足は強ばり、外に出たにも関わらず膝を抱えた姿勢で折れ曲がっていた。
目に見える外傷は額の銃創のみ。
銃創。覗きこんだショウがそのように判断したのは被害者……恐らくラビットと呼ばれる犯人グループの一員の額に焦げ跡を見つけたからだ。
銃口を押し付けて撃つと、熱された銃口と火薬で皮膚が焼ける。その情報を得たのは映画だったか。それともテレビであったか。
「死んでいる」
傍らにしゃがみこんだエレファントが首筋に指を添え、ダメ押しのように言った。顔を上げ、死体を目撃した人質から悲鳴があがる。
被害者は正面、至近距離から小口径の銃で撃たれていた。立てこもり犯の持つM60マシンガンは連射式。単発とは無縁だ。
ラビットの後ろ髪が血で濡れていないところを見ると、殺傷力の低い弾は貫通せずに被害者の頭に入ったままなのかもしれない。
とりあえず、入っていた死体が固体で良かったとショウは胸を撫でおろした。
目立った汚れは見えないが、再び私物をあの中に入れようとは思えない。その前に、証拠としてスーツケースは警察の手に渡るだろう。
「お前が殺したのか?」
「めめめ、めっそうもございません」
「その割には驚いていないな」
ゼブラから問われ、ちっとも良くなかったとショウは考えを改めた。
死体に慣れるのは良くない。
機内でスプラッタ/ホラー特集を九時間ぶっ通しで見ていた男に説得力はないが、彼は死んだ被害者の冥福を祈った。
先程から当たっているM60マシンガンの銃口が震えている。ゼブラが冷静なのは、口だけだ。何がきっかけで蜂の巣になるか分からない。
リチャードは「僕じゃないよ」と首を振っていた。
いくら元殺人犯と言えども『待ってる間、暇だから殺っちゃったー☆』ということは無い。一方、トマスは意外とこだわり主義である。銃は使わない。
スーツケースには死体以外、何も入っていなかった。
ショウは乗り継ぎに失敗し、一時間遅れでヒースロー空港に到着した。恐らく回転式荷物置き場で回り続ける巨大なスーツケースが犯人の目に留まり、利用されたに違いない。
そこでふと、ショウは思った。
ならば、この日の為に持ってきた貴重品以外の大切な中身……例えばミステリアス・トリニティ/イメージボード集(アンデル・バーキンダムサイン入り)は、一体どこに消えたというのだ?
「引き上げるぞ。ゼブラ、月曜日のジョーンズは予想できるか」
「ああ。思ってたほどじゃない。が、十分だ」
レイヴンとナンシーが来るのを待とう。どうせリチャードがヒースロー来てるの知ってるだろうし、何とかしてくれるだろう。
「そう思っていた時期も、ありました」
呟かれた日本語。誰も意味には気づかない。
「計画変更だ、ジラフ」
「あ、あぁ、分かった。こっちだ」
「てめぇらァ! 少しでも顔をあげたり、追いかけてきたら……殺すからなぁ!」
ゼブラがマシンガンを構え、人質に向かって声を張り上げる。税関ゲートの向こうに、四人の男が吸い込まれた。
状況の変化を察したのか、防弾チョッキに身を包んだ特殊警官が一斉に雪崩れ込む。ショッピングエリアは酷い混雑状態と化した。
人質たちは解放された喜びから嗚咽を漏らし、スーツケースの横で息絶えた死体を見て次々に悲鳴をあげる。無線の雑音がひっきりなしに飛び交い、救急部隊が担架を持って走りこんできた。
全てが目まぐるしく動く状況で、誰よりも鋭く四文字を叫んだ女性が居た。
「あのバカ! こういう時だけ、存在感無いとはどういう了見ですか?!」
「あら、彼氏は一緒じゃないの?」
「誰が彼女かぁぁぁぁぁぁぁ」
近くにいた女性からハグされ、全身に鳥肌を立てる。度重なるおぞましい精神攻撃に、トマスは燃えつきようとしていた。
「こんな辱しめを受けるなんて……殺す……今回こそガチで殺す……」
(飽きないねぇ)
「てか、あいつ。どこですか」
(うーん。そもそも、ショウ君。ゼブラって人から離れたっけ?)
「あっ」
(あー)
察した。