付属ドラマDVD ヒースロー空港人質立てこもり事件 2
――それでね、隣に座ったのがレナルド・グラハムとカーラ・イーサウの二人だったんだよ。
「ショウくん」
――僕の荷物は最後の方で出て来たんだけど、結局二人の荷物は出てこなくて。手荷物紛失手続きするからって税関の前で別れたんだ。
「ショウくんっ」
「え?」
床に伏せた人質はこれ以上の不幸が降りかからぬよう固く目を閉じていた。しかし中には手持ちぶさたな人質も存在する。その最たる例が頭上に迫る影を見上げた。
「お前、いま何しようとしてた?」
額に銃口を突きつけられた男は、目を泳がせる。
「ね、熱意の発散」
――さきほど隣席した映画俳優について、一方的に筆談していました。
正直に言ったところで、誰が信じるだろう。
▼△▼
犯人グループがショッピングエリアに立てこもり、二時間が経過した。
三十名近い人質。EU最大とも言えるハブ空港での凶行。
外郭環状高速道路M25は大渋滞を起こしていた。幸いにも日曜日であり、渋滞税は適応されない。
それでもラジオから聞こえる不明瞭な情報は、不安を煽るのに十分な役割を担っていた。
動きを見せない道路、苛立つクラクション。騒音が苛立ちを増長させ、苛立ちが騒音を生む。それは負の連鎖だった。
特別快速、地下鉄は途中折り返し運転を決めた。ヒースローへの足止めを食らった旅行客がスーツケースを抱え駅のホームで右往左往している。
フランスからの発着にかけた急ぎの旅行者はユーロスターのチケットを求めセントパンクラス国際駅に殺到した。キャンセル待ちの長い行列は最後尾が見えない。
報道陣が焚くフラッシュで、ヒースロー空港の自動扉は白く染まっていた。マイク片手に早口のアナウンサーは、興奮と焦りで普段以上に大袈裟な表現を用いてばかりいる。
増え続ける警察と緊急車両のサイレン。旋回する報道ヘリコプターの爆音。
その騒音の中心にいるのはたった三人の、M60マシンガンを抱えた男たちだ。
△▼△
「十万ポンドだ、十万ポンド用意しろ」
要求は変わらない。ボタン留めの戦闘服に、揃いの軍用靴。色は黒。声明を出すのは一人、エレファントと呼ばれている四十代近いリーダー格の男だ。
刈り上げた短髪、鍛えられた筋肉。物静かな女から出会い頭に殴られた怒りを腹の中に抱えている。
警察から何度目かの交渉を持ちかけられたが、一方的に終わらせた。
「お前、さっきからチョロチョロ怪しいんだよ」
「ゼブラ、何か問題か」
ゼブラと呼ばれた若い男が振り返る。顔面を飾る大量のピアス、首筋から後頭部にかけて刻まれたタトゥー。アジア系のビジネスマンを銃口でつついている。
エレファントはそれを無視し、隣で小刻みに震えている茶髪の女を注視した。
警戒するなら、この一見怯えている気弱な眼鏡の女だ。そうエレファントは確信していた。
(キヒッ、キヒヒヒ、慌ててるショウ。超ウケる)
(あわわ、あわわわわ、爆笑してないで前を見てぇー!?)
先ほど見せたこの女の実力、ただものではない。そして上品なシャツに隠された胸の大きさも……恐らくただものではない。そうエレファントは確信していた。
「こいつ、さっきからおかしな動きばかりしてんだ」
「放っておけ、それよりラビットとは連絡ついたのか」
「知らね。どうなんだァ? ジラフ」
「も、もう一度連絡してみるから待ってくれ」
二人の会話を聞いて、ジラフと呼ばれた薄毛の男が時代外れな電子機器を取り出した。分厚く、二つに折り曲がる携帯電話だ。
ジラフは他の二人と比べるとずいぶん覇気が無く、くたびれて見えた。荒事に慣れていない退職間際の中年教師。そう表現するのがぴったりだった。額に浮かんだいくつもの脂汗を手の甲で拭い、女のように細い指でボタンを押していく。
♪ピリリリ ピリリリ
初期設定の電子音が鳴る。思いがけず近くから聞こえた音に、ゼブラが戸惑いを見せた。
黒で塗りつぶされた巨大なスーツケースの中から、電子音が聞こえる。
「誰の持ち物だ」
「はーい」
エレファントの問いに手を挙げたのは、銃口を向けられていた男だ。気まずそうな顔で誰とも視線を合わせようとしない。
「開けろよ」
「いや、この流れは遠慮したい」
「拒否権なんてねえよ」
ゼブラが命令口調で急き立て、男は嫌々スーツケースの前に立つ。スーツケースの鍵は壊れていた。
「……荷物が出てこなかった理由を、察した」
男は両手で顔を覆う。
「つべこべ言うな!」
「今日はお休みなのにー!」
独り言を呟き、持ち主は半泣きでスーツケースを開ける。無理やり閉じられていたのか、勢いよく蓋が開いた。二枚貝の中心から巨大な塊がこぼれ落ちる。
♪ピリリリ ピリリリ
遮るものが無くなり、電子音はより一層大きな音を立てる。
携帯電話と共に転がり落ちた戦闘服の死体は、乾燥し始めた瞳を天に向けていた。