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犯人は僕でした  作者: 駒米たも
本編
16/174

012-2 収束

「お爺ちゃん!」

「エリザベス!!」


 溢れる警察官の隙間を縫って一人の少女が飛び出した。リンドブルームは弾丸のように駆けてくるエリザベスを抱きしめる。そんな老人と孫を見つめる二つの影があった。


「ミスタ・レイヴン。どうして此処だと分かったのですか」

 レイヴンの隣に立つエルメダは驚いた表情で相手を見つめた。


「相手はリンドブルームの弱点を的確についてきた。逆に言えば、どうすればリンドブルームが怒り狂うかを考えれば答えはおのずと出てきます」


 当然のことのように言うレイヴンに向かってエルメダは問いかけた。


「自宅のすぐ近くに、ですか」

「その通り。自分の手の届く場所にいたのに気付かず見殺しに。これが意外と効くのですよ」


 エルメダは溜息を洩らした。


「けれど外れた推理もありましたね」

「そうですね。だが悪い予想など外れたほうがいい。しかし不思議だ。てっきりライン卿もここに居ると思ったのですが……」


 レイヴンは言葉をきった。目の前にりっぱな二輪馬車が水たまりを蹴散らし止まったからだ。

 その中から、蒼白い顔の男がふらりと出てくる。彼はレイヴンを一瞥すると不機嫌に眉をひきつらせ、ふいっと視線をそらした。


「誘拐犯はどこかね」

 アルバート・バグショー署長は重々しく傍らの警官に告げた。ひび割れた鐘のような声だった。


 四人の、泥だらけの男女が連れ立って歩いてきた。先頭を歩いていた髭の男の胸には古びた帳簿が握りしめられている。やつれ、みすぼらしい外見とは対照的に、彼らの誰もが清々しい表情を見せている。


「お嬢さんを誘拐したのは俺たちです」

 その声にリンドブルームがふりむいた。鋭い刃のような眼差しは大きく見開かれている。


「まさか君は」

「アタスン・テイラーの息子で、ジェイムズ・テイラーと申します」


 男は手に持っていた帳簿をリンドブルームへと差し出し、影のある目を伏せた。


「俺たちは勘違いをしていた。そしてあなたの大切なものに手を出した。謝って許されることではありません。覚悟はできているのです。しかし地獄に行くならこいつも道連れにして頂きたい。こいつこそ、俺たちの家族を殺した本当に憎むべき敵なのですから」


 テイラーの傍に控えていた三人が同時に頷いた。

 リンドブルームは帳簿を受け取った。そしてパラパラと中を確認すると、小さくレイヴンとバグショー署長の名を呼んだ。紙面をのぞきこんだ彼らの反応はそれぞれだった。

 バグショーはぐぅと苦し気に唸り、レイヴンは涼し気な微笑みをたたえたままだった。


「本物か」

「本物だと信じたいですね。俺の父はこの帳簿を公開しようとして死んだのですから」


 リンドブルームは一度頷き、バグショーへと帳簿を手渡した。


「君たちの処遇だが」

 バグショーは四人を順に見渡し怪訝そうな顔つきに変わった。


「報告では五人と聞いていたが」

「一人、倒れたな。親切な女の警官が、医者に診せると連れて行ったよ」

「……おおかたジャクリーン巡査部長だろう。まったく、あの女はいつだって勝手な真似を……」

 苛立ちを見せたバグショー署長はそこでハッと顔を上げた。一人の警官が走って来る。

 

 レイヴンはつまらなそうな顔で、彼らに背を向けた。

 さきほどまで隣に立っていたエルメダ・アッシャーの姿はどこにもなかった。



   ▼




 「ユニコーンと盾」亭へ訪れたシスター・ケイトリンを酒場のヴァイオレット・ターナーは驚いた表情で迎えた。ドアから出ていく荒々しい怒号と眼差しから形ばかりの挨拶をされたシスターの顔は強張っている。


「ヴァイオレットさん、先程の方々は一体」

「ああ、シスター。リンドブルームの旦那のお孫さんが目の前で誘拐されたようで、皆、この有様ですよ」


 疲れ果てた声でヴァイオレットは答えた。


「何と恐ろしいことでしょう。あなた……や、ご家族に怪我はないかしら?」

「ええ。お陰様で。犯人をちょっと見たけど不気味なヤツでしたよ。見た目は普通だけど、目がヤバかったから一目で何かするって分かって警戒してたんです。あの茶色い目でこっちを探るようにジーッと見てさぁ」

「ああ、ヴァイオレット。無事で良かった」


 震えながら抱きしめてきたシスターに、ヴァイオレットは少しだけ苦笑した。この優しいシスターはターナー家の三姉妹をいつだって労わってくれる。まるで第二の母親のような存在だ。

 緊張していたヴァイオレットの口がゆるみ、先程までの話を事細かにシスターに伝える。

 そのため彼女は、シスター・ケイトリンがなぜ夜更けに一人で酒場まで歩いて来たのかという最初に感じた疑問をすっかりと、忘れ去ってしまった。


「シスター」


 そんな時だった。二人の様子を眺めていた酒場の主人、ジョージ・ターナーが普段とは違う物憂げな声でシスターへと声をかけたのは。苦しそうにシスターを見つめる瞳には迷いがある。

 シスター・ケイトリンは遂にこの日が来たのかと諦めにも近い思いを抱いた。もう一度だけヴァイオレットを抱きすくめると、彼女は雨に濡れた修道服を引きずり立ち上がる。


「話が、あるんだが」

「はい」


 シスター・ケイトリンは静かに頷いた。




   ▲




 医者である以上、患者が急変したのならば時は関係なく迅速に動かねばならない。

 だが、一晩中騒がしい笛の音に悩まされ、ようやく眠りにつこうとして叩き起こされた内科医ジェイコブ・ハートフォードの機嫌は、いまや地の底にあった。


 整えられた見事な金髪や糊のきいたシャツは見る影もなく、寝起きの頭とガウン、スリッパ姿で玄関先に現れたジェイコブは目頭を指で押さえた。


「いま、何時だと?」


 本人は起きていても、毒を持つ舌はまだ夢の中にいるようだ。いつもの鋭さが無い兄をジャクリーンは真っ直ぐに見つめた。


「兄さん、急患だ」

「……入れ」


 あっさりと身を翻したジェイコブに、他の二人の警官は苦笑をうかべた。


「まじかよ」

「兄妹、仲が良くて結構ッス」

「ですね~」


 小声でヒソヒソと語り合う新人警官の二人を、家主は寝起きで不機嫌極まりない双眸で睨みつける。


背中のゴミは捨ててから入れ」

「それが患者なんだ、兄さん」

「フン、酔っ払いを診るはめになるとはな。私の家にも看板にも、泥を塗るつもりと見える。おい、そこに土を落とすな」

「ダイニングを借りてもいいだろうか」

「好きにしろ」


 振り返ったジェイコブは、自分の背後にもう一人、警察官がいることに気がついた。


「貴様もいたのか」

 敵意ある挨拶にも慣れたとダニエル巡査部長は肩を竦めた。

 ダニエル巡査部長は相棒ジャクリーンの家族と仲良くしたいと常日頃から思っている。

 しかし相手から虫のように毛嫌いされ、ろくに話も聞いてもらえなった


「来ちまったもんは仕方ないだろ、先生ドクター。おい、ジャクリーン。お前は残れ。その男、身形が明らかに金持ちだ。なら平民の俺たちが居ない方が話が早いだろ」


 ジャクリーンが何かを言うよりも早く、ダニエルとベッカー巡査が玄関から出て行く。

 後ろ髪を引かれる思いで、ジャクリーンは玄関から奥の部屋へむかった。


「で。ジャクリーン、何があった。こいつは何者だ」

「分からない。誘拐現場に倒れていた。私たちが見つけた時にはすでにこの有様でな」

「まったく、酔っ払いなどその辺の路地裏に転がしておけば良い物を……」


 血色を見るため、ジェイコブは邪魔な眼鏡に手をかけた。巨大なガラスのレンズは高級品で、どこにでもあるようなものではない。杜撰に取り扱われているのか、ところどころに引っ掻き傷が走り金色のフレームは歪んでいる。ろくな使い方をしていないなと相手を見下ろしたジェイコブは動きを止めた。


 生きているのか死んでいるのか分からない血の気の引いた白い顔。

 額にはりついた焦げ茶色の前髪。

 

「……」

 ジェイコブが何事かを呟いた。

「兄さん?」

 ジャクリーンは患者と同じかそれ以上に蒼褪めている兄の姿を見た。

「あ、いや。なんでも、何でもない。患者を診るからはずしてくれ」


 診察室の扉が固く閉められる。


「知り合いっスかね」

 巡査のコートニーがひそひそとジャクリーンに耳打ちした。

 この軽薄な新人の青年はバグショー署長の一人息子である。甘やかされて育ってきた気風をいたるところで感じるが、仕事はきっちりこなす生真面目さを持ち合わせているのでジャクリーンはこの部下の事も気に入っていた。

 ダニエルの部下であるベッカーとは幼馴染で兄弟のように育ってきたのだと言う。

 コートニーとベッカーが揃ってジャクリーンとダニエルの元へと配属されたときは、バグショー署長の親馬鹿人事と周囲からさんざんからかわれた。


「待たせた。中に入ってもいいぞ」

「どうだった、兄さん」


 診察を終えたジェイコブは普段と変わりない様子だった。不機嫌な顔もいつも通りだが、長年のつきあいからジャクリーンは兄がどこか落ち着かないでいることに気がついた。

 ジェイコブは手に持っていた男のコートや服、眼鏡や小銭といった所持品一式をテーブルの上に放り投げる。彼は虚無や深淵を思わせる虚ろな眼差しで、呪詛を呟くように診断名を口にした。


「……飲み過ぎだ」


ですよねと、コートニーは頷いた。


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