第百三十三幕 初犯
「ふーっ」
胸を張ってここに宣言しよう。
ついに、殺っちまった。
たぶん、やっちまった。
前科一犯である。
警察署長殺害である。
絞首刑待ったなしである。
これで憧れのお尋ね者になれるって寸法だ。
「ミスターグッドフェローがね!」
『さらば、愛しき平穏な日々よ!』
かつて瓶だったものを放り投げ、代わりに地面に落ちた拳銃を拾い上げた。わらしべ凶器も遂にここまで進化した。さすが裏ボス、凄いの持ってる。
自分の世界に戻るには死なねばならない。だって戻る方法がそれしか無いって言うんだもん。
という訳で、アンデル・バーキンダム氏には丁重にスマッシュで現実へとお帰りいただいた。
『アンデルさん、いま来日してるから父さんの病院にお見舞いに行けるね!』「タイミングいいし、殺っとこうかー!」というノリで決められた殺害を遂行しても、良心の呵責はなかった。一度死んだせいか、人として、ちょっと倫理観に問題が発生したかもしれない。
アンデル監督は「トム・ヘッケルトン」と知り合いだと言っていた。だからマリアさんだけではなく、西山さんとも面識があると思ったのだ。
理由はある。完璧主義者のアンデル監督が、八作目まで映画の脚本を書けたことだ。
アンデル監督は忙しい。にも関わらず、ミス・トリシリーズに関しては脚本家を雇い入れずに一人で最初から最後まで脚本を書きあげた。そう聞いている。
原作があるとは言っても、映像化するにあたって現実的な色んな問題点が出てくるだろう。そういった問題を、アンデル監督は驚くほど短い時間で解決していた。
だから、これは僕の想像だけど。
マリアさんが亡くなった後の映画には西山さんが時々関わっていたんじゃないかな。
それは西山さんの名前を出した時のアンデル監督の目を見て間違いないという確信に変わった。
ちなみにクリスから『あ、うん。時々電話してたよ』という裏付けも取れた。
最初から彼に聞こうなんて思ってはいけない。考察する事に意味がある。全てネタバレしてしまうのは面白くない。
だから隣で「聞く? 聞いちゃう? ミス・トリ脚本製作時の裏話」と言わんばかりにソワソワ、ワクワク、キラキラしている羽毛を見てはいけない。正直聞きたい。凄く聞きたい。僕が逆の立場だったら物凄く語りたいと思う。我が自制心と彼の自制心よ、今すこし耐えてくれ。
アンデル監督はとても良い人だ。
彼なら口八丁手八丁、金と権力と熱意と愛と人脈を使い、どんなことがあっても最終巻を世に出してくれる。
『ミステリアス・トリニティ』が好きだから。
そうでなければ、自分の人生の半分以上を他人の作品に捧げたりはしないだろう。好きという設定だった僕とは言葉の重みも年季も違う。
僕を殺そうとした時の西山さんは自暴自棄だった。
あれだけ投げやりな死に方を用意されたら誰だって分かる。
西山さんは意地になっていたんだろう。
彼はミステリアス・トリニティを面白いと思いはじめていた。始まりかたはどうあれ、魅力的なキャラがいて、裏切りがあって、謎があって。だから歳をとるごとに「ちゃんと名作として終わらせてやりたい」という考えが現れて焦った。
西山さんはミステリアス・トリニティが面白いことを恥じる必要もなかったし、好きだという気持ちを抑圧する必要もなかった。けれど、相談できるマリアさんは亡くなってしまった。
一人で悩み、拗らせた結果、彼はミス・トリ好きな無鉄砲なバカを酒の勢いで生みだした。そこは感謝してる。酒の勢い、万歳。
僕がナンシーに頼まれたのは、ミステリアス・トリニティを終わらせること。その中でも最高の形になるように、最善を尽くす。
説得はクリスがした。あと西山さんに必要なのは、相談する相手だ。本当の現実世界で力になってくれる友人。監督はその両方を満たしていると、僕は思う。
最終巻はきっと出る。
僕は西山さんによって生み出された存在だ。クリストファーであると同時に、切り離された西山さん自身でもある。だから、何となくだけど、大丈夫だと分かる。西山さんは彼の現実で、もうしばらく頑張るのだろう。
物語は終わる。でも全ての幕が下りる訳じゃない。ここから始まるものだってある。
例えば、完結後に待ち受ける特典映像、未公開シーン、NG集、クランクアップパーティーの様子、『過去シリーズを振り返ってみて~』のテレビ特別番組といった未公開情報。
スタッフのブログ回遊と映画批評巡りと美術衣装CGスタッフの作品に対して称賛をおくるという作業もあるし。音楽担当によるサントラCD、それぞれのテーマ曲を編曲するにあたってどのような考察がなされたのか研究しなくてはいけない。
新規スピンオフシリーズへの期待と舞台を現代に移した新解釈版やリメイクしたドラマ、映画版制作発表なんかを待つ楽しみもある。ゆくゆくは古今東西の探偵やスパイを集めた特殊組織を扱ったアメコミやマンガが何処かで描かれるかもしれない。
否応なしに高まる期待! むしろ完結してからが本番だ!
『じゃあ、次』
「おう」
隣から催促されて我に返った。脇目もふらず逃げ出す。いや、走り出す。捕まったら終わりだ。後ろでレイヴンが「待て」と言っているように聞こえるけれど、待てと言われて待つ殺人者はいない。
レイヴンの活躍大事。
でも今はリチャードの活躍と生存、もっと大事!!
『ジャクリーンとダニエルの勇姿は僕が後ろ向きでバッチリしっかり見ておくから、君は振り返ることなく真っ直ぐ前だけを向いて走るんだ!』
「そのセリフを言われたら後ろを振り向けない! 次はどうすればいい!?」
『映画力に従えばいいんじゃないかな?』
今が一作目の流れだとすると、死亡する可能性が高いのは屋敷の皆とリチャードだ。
アビゲイルとシスター・ケイトリンもそうだけど、アビゲイルはミシェル監督が入っているから除外する。
シスター・ケイトリンも除外していいだろう。
シスターのホラー力が増したせいで、全てを返り討ちにする力を得たから……ではない。
僕は怒ったシスター・ケイトリンに対して恐怖を覚えた。逆らってはいけないと本能で理解した。そう、本能。僕の中にあるクリスの反応だ。
家族を奪われた怒れる母親。もしモデルになった人間がそのキャラクターに憑依できるというのならば、彼女が戻ってきた時の受け皿は、間違いなく彼女だ。ならば死亡対策は万全に違いない。
だから現状一番やばいのはライン家の楽しい仲間たちだと思っている。一刻も早く、そのぶっ刺さっている旗を抜かねばならぬ。そして、付随してくる名場面をきっちり残さず可能な限り見守らなければならぬ。
任せろ監督。貴方の代わりに数々の名シーンは僕がいただいた!!
通りを抜けると土埃を巻き上げながらこっちに向かってくる一台の馬車が目に入った。スピードを出しすぎだ。モーター音に似た馬の嘶き。その向こうの御者台には、見覚えのある顔が並んでいた。噂をすればというけれど、タイミング良いなぁ。
「映画力に従う」
トコトコ進み、道のど真ん中に仁王立ちした。
この勢いのまま突っ込まれたら間違いなく死ぬ。
もっとも馬車対生身でチキンレースを仕掛けるほど無謀ではない。
あの御者さんは人を轢く事故を人一倍恐れているし、隣に座っているメイドさんは目と反射神経がいい。
更に、僕は署長から貰った拳銃を馬車に向かって構えた。
二人の判断は真っ二つに別れるはずだ。
一人はそのまま、一人は何とか避けようと手綱の奪い合いになる。そのまま止まれば最高。止まらなくてもスピードが落ちた隙に御者台に乗り込めれば最高。僕が轢かれたり、馬車が転倒したら最悪。
何度も見た、映画の王道パターンだ。無理を通せば道理引っ込む……といいね!
「いざ尋常に、王道に則らん!」
『ごめん。無責任に映画力とか言った僕が全面的に悪かった。だがこの考え方、嫌いじゃない』