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犯人は僕でした  作者: 駒米たも
本編
155/174

第百三十二幕 一人

 アルバート・バグショーの手にある短銃から弾丸が排出されるのは時間の問題だった。

 彼は自分の勝ちを確信していた。これからのことを思うと、彼の心臓は早鐘のように高鳴った。


(簡単なことさ。引き金を引けば、殺傷力の高い鉛の塊が勝手に相手の頭を貫いてくれる。それで、終わる)


 血をまき散らしながら倒れる旧友の最期。夢見た光景を現実にすべくバグショーは引き金に力を込めた。鋭い破裂音が路地の片隅で炸裂する。


 結果、何も起こらなかった。倒れた人間もいなければ死んだ人間もいない。銃を手にしたバグショー自身すら事態を飲み込めず、唖然とした表情で己の腕を見上げていた。

 彼の指が引き金を引く直前、銃口が勝手に天へ向けられたのだ。


「一本釣り。またはよーいドンと名付けよう。ところで徒競走のスタートする時に空砲鳴らすアレ、正式名称は何て言うんだろう」


 空気を読まない雑談が路地裏に迷いこんだ。自然と耳に侵入してきた声にその場にいた殆どの人間が、神が垂らした釣り針がバグショーの袖を釣り上げたに違いないと錯覚した。それほど場違いな声であり、突如として手を上げたバグショーが異様だった為だ。


 今の音は何だ。誰だ。なぜバグショーは手を挙げた。


 襲撃者達は答えを求め獲物から注意を逸らした。

 その隙を見逃さない者たちがいた。狩る側と狩られる側。立場が逆転した瞬間があるとすれば、この時だった。

 レイヴンはバグショーの胸元に飛び込んだ。ダニエルは自分の背後にいる男の腹筋に深々と肘骨を突き刺した。

 心優しいジャクリーンは微笑みながら振り返ると、相手の胸倉を両手で握りしめた。足先がブーツの踵で踏み潰され、鼻を狙った的確な頭突きが繰り出された。あまりの痛みに相手は鼻を押さえて屈みこんだが、これで終わると心のどこかで油断していた。続けざま金的を狙った無慈悲な蹴りが放たれると誰が予想しただろうか。

 すすり泣きにも似た絶叫が終わった時、襲撃者たちは理解した。目の前にいるのは弱者ではない。怒れる肉食獣なのだと。


「死んだ方がましだと思ったことはあるか?」


 手と髪に付着した汚れを払いのけ、警棒を優雅に腰から取り出すジャクリーンの目は燃えている。普段の優しさが嘘のようだった。その勢いに圧倒され、一人、また一人と逃げはじめた。賢い選択だった。背を向けた相手に鈍器を降り下ろすのは、ジャクリーンの性分に合わない。


「逃げるか、卑怯者!」


 ジャクリーンが咆哮した。一人一発、いや二発は殴らせろと想いをこめて。しかし立ち止まる者など存在する筈もない。唯一の逃げ場である通り道に彼らは群がろうとしたが、前に立ち塞がった黒い影により、それ以上進むことは不可能だった。


「喧嘩する時の鉄則その一だ、退路は先んじて断て。そっちから喧嘩吹っ掛けといて、不利になったから逃げようって? そうか。俺たちの後輩がそんな腰抜けだったとはなぁ。がっかりだ」


 通路を塞ぐダニエルの笑顔には幾つもの青筋が浮かんでいた。時間が経つにつれ、次第に個数が増えている様子である。念入りに拳を鳴らしダニエルは一歩距離をつめた。彼の周辺に重なっているのは先ほどまで立っていた人間。退路を断っていた後詰めの面々である。


「いいか、英国人なら覚えておけ。本気の喧嘩を吹っ掛ける時は己の名誉と誇りも共にかけているものと知れ。それすら出来ねぇなら、負け犬以下の糞だ」

「つまり要約するとだ。貴様ら全員一様に粛々と、土に弟子入りするがいい」


 二人の巡査部長は温厚で有名な人格者だったはずだ。いまや見る影もないが、全員がそういう認識だった。甘かったと言わざるをえない。笑顔の裏に渦巻く怒りの情念は誰の目にも明らかだった。覇気だけ見れば勝敗は既についている。虎の尾を踏んだのか。竜の逆鱗に触れたのか。もしかすると、両方だったかもしれない。



 一方バグショーの腕には何かが蛇の如く巻き付いていた。そして彼の顎にはレイヴンの握りしめられた拳が迫っていた。


「なんてこった」


 バグショーの中にいる男は負けを悟り、乾いた笑いを零した。彼に後ろを振り向く余裕があれば、自分の手に巻き付いたものが猛獣用の鞭だと理解できただろう。

 彼は全てを計画し挑んだ。物語の登場人物全ての行動を予測し、何度もシミュレートした上で揺るぎない勝ちを確信していた。

 彼の計画は完璧だった。ただ一つ、彼にとっての失敗をあげるなら、普段通り、サスペンスの鉄則を踏襲したことにある。

 顎の下から頭のてっぺんまで、一直線に突き抜ける衝撃が脳みそを揺らし、バグショーはその場に倒れた。ノックアウトという単語が過ぎる程度の余裕はあるが、放り出された手足はピクリとも動かない。そんな中でも聴覚だけは鋭敏に、周囲の会話を拾い上げていた。


「ミスター、グッドフェロー?」


 レイヴンの呟きに、バグショーの中にいる男は静かに驚いた。

 グッドフェローという苗字を聞いたことがない。そんな面白い名の人間、一度聞いたら忘れないだろう。

 彼は『ミステリアス・トリニティ』という作品、その隅々まで調べ尽くしている。登場する国、設定、脇役。細部まで調べた情報こそが彼の誇りであった。

 先ほどレイヴンたちが訪れたサーカス団で、注意を払っていたのは預言者レシアだけだが、念のため他の団員の名も控えてある。そのどこにも「グッドフェロ―」などという名前はなかった。

 預言者、妖精、一つ目、水生馬に、雑役夫たち。眠りネズミよりも寝ている道化師が一人居たが、名はクリスであった。

 馬鹿なと彼は口を開きかけたが、呻き声が出るばかりで意味のある言葉は何一つ言えなかった。口の中は錆の味が満ち、鼻呼吸もまた血に邪魔されている。


 グッドフェローという名は偽名だとバグショーの中にいる男は答えを出した。幸いにしてバグショーは横目で洒落た黒の革靴を目にする事ができた。件のグッドフェローとやらの近くに飛ばされたのだ。

 ようやく視界が白地の星空から、薄汚れた路地裏に戻った。バグショーは自分を見下ろす急襲者の姿を目にする。

 それは典型的なサーカスの団長服を着ていた。ただしよくある赤黒白の目立つ色合いではなく、黒白で統一されている。本当に紳士に見えなくもないふざけた格好であった。

 なにより見覚えのある白無地の仮面がバグショーの目をひいた。


 ダニエルの仮面である。幽霊(・・)がつけるはずだった仮面が目の前に浮かんでいる。そんなふざけた事をする人間は限られている。消去法にせずとも、限定一人。


「……なかなかやるじゃないか、ぼうや」

「ありがとうございます、監督。でもね、僕はちゃんと三十前の大人なんですってば」


 帽子のつばをちょんと上げる動作で仮面の男は挨拶を済ました。そして、ついでとばかりに自然な動きで仮面を半分だけ外した。仮面の下を目にした瞬間、バグショーの顔は強ばる。


「誰だ」

「ショウです。もしくは、僕だった彼。知られる事もなく、どこかに埋められた名もない誰か」


 黒い目に、黒く長い前髪。どこか蝋人形にも見える。けれども造形の印象とは正反対の、幼子のような笑みを浮かべていた。リチャード・ラインの見慣れた顔を予想していたバグショーにとって、この全く新しい人物の登場は、絶句するに足る衝撃であった。


「驚きました? それではアディオス、アミーゴ!」


 煮え切らない思いをこめて、バグショーの中にいる男……アンデル・バーキンダムは声を張り上げる。


「いやいやいやいや待て待て、ちょっと待ってくれ! どういうことだ、説明してくれ!」


 騙る事も、演技する事も忘れ、アンデルは叫ぶ。完全に、アメリカ訛りだった。


「西山さんに聞いてくださーい」


 ニシヤマサン?

 目の前の彼が、どうしてアンデルの恩師の名を知っているのだろうか。疑問に思う時間は無かった。ただ彼の関係者であることが分かり腑に落ちた点もあった。

 この青年もまた、二人のトム・ヘッケルトンの関係者であったのだ。ならば彼らの引き継ぎ者として呼ばれるのも当然なのだろう。

 署長にして監督。そう呼ばれた男が言葉を紡ぐことは無い。彼が最後に見たのは勢いよく降り下ろされるブランデーの茶色い瓶だった。

 アルバート・バグショーの今回・・は此処で終わる。走り去る足音と、制止をかける探偵の声は聞こえなかった。




□■□


 そして、アンデル・バーキンダムは休憩室の椅子で目を覚ました。

 十八時から始まった試写会はアンデルの舞台挨拶を含めて二十三時の終了を予定している。長年の慣習からアンデルは左腕の腕時計に目を走らせた。こんな場所で眠るだなんて、時差ボケのせいだろうか。浅い夢を長時間見続けた時特有の倦怠感のまま、喉の奥から声を出す。背筋を伸ばせば凍りついた筋肉から氷の欠片が剥がれ落ちていく音がした。

 年齢を理由にするのは癪だが、最近、体力の衰えを感じていた。

 アナログでものぐさな彼にしては珍しく、スマートフォンに手を伸ばした。どうしてそう思ったのか自分でも分からないが「病院から電話が来ているかもしれない」と胸騒ぎを覚えたのだ。

 十件もの不在着信の中に埋もれたその番号を見つけると、アンデルは通話のボタンを押した。数回のコールの後、戦友とも呼べる弁護士からひとつの病院名を告げられた。素早く住所をメモすると立ち上がる。


「悪いが、ジェイミー。私は急病になった。舞台挨拶はキャンセルしてくれ。今から病院に行ってくる」


 休憩室前でスケジュールを組んでいたマネージャーのジェイミーは、扉を開けて出てきたアンデルの言葉に一瞬だけ泣きそうに顔を歪めた。「急病人」は普通コートを掴みながら早足で廊下を歩かない。

 世界的に興行収入の低い日本での宣伝活動。その重要性は彼女以上にアンデルがよく理解していた。なにより日本行きを熱望したのはアンデル自身だ。緊急事態だと察しをつけたジェイミーは手早く鞄から二台目の電子端末を取り出した。


「他には」

「日本での滞在日数を伸ばす。ミシェルに連絡を取れ。明日の取材は全てキャンセルしろ。どうしてもと言うなら明後日に入れておけ。バーニーズの脚本が上がってきたら、俺を通さずそのままデイジーに見せろ。何か聞かれたら引退の件について匂わせておけ。私が病院に行ったと言えばいい。勝手に勘違いするだろう。あと、タクシー……キャブを呼んでくれ」

「キャブへの連絡は済んでおります。二分後に裏口に到着します」

「愛してる。君は最高の秘書だ」

「そういうことは奥さんに言ってくださいね」

 ジェイミーは顔で笑って心で泣きながら応えた。この程度で音をあげるならアンデル・バーキンダムのマネージャーは務まらない。はいはい、とコートの袖に腕を通しながらアンデルは空を見上げた。凍りそうな寒さだ。


「引退しようとすると、いつも誰かに先を越されちまう。俺が行くまで打ちきりになってくれるなよ、センセ」


 整髪料で整えられたごま塩頭を盛大に引っ掻きまわしながら、アンデル・バーキンダムは裏口に向かい大股で歩いて行った。


 若き頃のアンデルに監督という未来を提示した人物、西山行には聞きたいことがまだまだある。


 死んでもらっては困る。

 サスペンスの帝王らしからぬことを考えながら、アンデルは滑り込むように姿を現した黒塗りのタクシーに乗り込んだ。

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