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犯人は僕でした  作者: 駒米たも
本編
152/174

『現実』

【日本 某大学病院】


「やぁ、トム。調子はどうだい?」


 見覚えのある顔に覗きこまれ、西山行はゆっくりと笑みを作った。


「やぁ、アンデル。どうやら私は死に損なったようだね。それとも君が先に過労で死んだのか?」

「そうやって軽口が叩けるなら、まだ大丈夫だろうよ。まったく、インタビューと記者会見で疲れ果てた私を冷や冷やさせないでくれ」

「悪かったね。久しぶりの日本なのに心配をかけて。これを機に、本格的にダイエットに励んだらどうだい。ちなみに僕は二十一グラムほどのダイエットに失敗してしまったよ」

「うん、まったく笑えないな。センセ」


 教え子と会話をしながら、西山は白いシーツの中で芋虫のように身をよじらせた。枯れ木のような腕から伸びるチューブに痛みはないが、それを見つめるアンデルの痛々しい顔を見ると痛覚があるように錯覚してしまう。


「ところで、昨日の記者会見はどうなった?」


 西山の問いかけに、アンデルは複雑そうに顔をしかめた。


「大事な恩師が危篤だというのに、テレビに拘束されてろっていうのかい? そんなもん延期したよ、延期」

「……そうか」

「少しは匂わせたから、一部では騒ぎになっているけれどね」

「私の引退も、君の引退ももう少し先になるな」


 喉を震わせ老人は笑った。


「死んでもらっちゃ困るんだよ。この下巻を書いてもらうまではね」


 そう言ってアンデルは鞄の中から一冊の本を取り出し、パラパラとめくった。


「これは君が主人公なんだろう? トム」


“Thou art the man (上)”


 聖書に記された「汝、その人なり」という訳よりも、エドガー・アラン・ポーの作品『犯人はお前だ』という訳の方が知名度が高い。日本でもお馴染みになってきたセリフだ。


「早く続きを書いてくれよ」


 このオムニバス形式の物語は西山の遺作になる予定だった。下巻で、今までストーリーテラーを勤めていた劇場の管理人が殺人を犯すシーンで終わるのだ。


 すでに下巻の原稿は書き終え、鞄の中で眠っている。あとは渡しさえすればアンデルの求める作品は完結するだろう。

 

ーー西山さん。


 西山はじっとその本を見つめた。



――なに考えているんですか。そんな中途半端なトリックを世に出すなんて却下です、却下。書きなおし、いえ、殺害のし直しを要求します。こんな、時間がなくておお慌てで書き上げましたと分かる話の流れ、編集者と読者は許しても、僕はぜったいに認めませんからね。



 そんな声が聞こえた気がして、ふっと笑みをこぼす。


「いや、続きを書く気はないよ。私も少し、君を真似して忙しくしようと思ってね」


 何だって、とアンデルの悲鳴じみた声が病室内に響いた。


「心臓発作で死にかけたばかりだろう!?」

「アンデル、君に渡したいものがあるんだ」

「縁起でもないな。君の思い出の遺品ならごめんだよ」

「それが残念な事に、思い出の遺品なんだよ。私と、妻からだ」


 アンデルの体に緊張が走った。ベッド脇のトランクケースを指さすと、アンデルは恭しく鍵を開ける。

 中に入っていた分厚い封筒を持ってくるように、西山は身振りで催促した。


「開けたら爆発しないよね」

「ある意味、するだろうね」

「脅かすのは無しだよ」


 びくびくしながら封を解いたアンデルは、見た瞬間、中身の価値を正確に読み取った。


「トム、」

「あれが遺した、最後の原稿だ。それと私達の原典。どちらも君の好きにしてくれ」


 恐ろしいものを目にしたと言わんばかりの表情のアンデルに対し、西山は満足げな表情だった。存在しないと言われていた第十四作目の原稿。そして初めて見るスケッチブックを手に、アンデルは心を落ち着けるために深呼吸をした。


「このスケッチブックがミステリアス・トリニティの原典? 私にはどう見ても、子供の落書きにしか見えないんだが」

「そうだよ。偉大な作家たちの遺したプロットさ。私たちはこれを見て、ミステリアス・トリニティを書き上げたんだ。そうだな、こっちにタイトルを付けるとしたら『ミステリアス・スクウェア』かな」

「三角ではないのか」

「ああ、四角なんだ。一人、登場人物メインキャラクターが増えていてね。それにこれは、小さな箱庭スクウェアの話なんだ」


 アンデルは何とも言えない情けない顔をした。この世界的な名声を轟かせている監督も、『ミステリアス・トリニティ』について自分の知らないことがあるのが許せないらしい。


「君たちに子供の友人がいるとは知らなかったよ」

「そうだね。僕もマリアも言わなかった。ミシェルも知らないだろう。僕たちにはね、子供がいたんだよ。もうずっとずっと昔の、君が生まれた頃の事さ」

「そういう年寄りの昔ばなしめいた話の始め方は止めてくれよ」


 ページをめくり続けながらアンデルは苦笑を浮かべた。 


「怪盗、か」

「ああ。彼はレイヴンのライバルだったんだ」

「それじゃあ、君のライバルでもあったわけか」


 二人は顔を見合わせた。二人の顔に刻まれた皺の本数を合わせるとポテトチップス一袋分よりも多いだろう。彼らは少年の顔をしていた。時折休憩を挟みながら、彼らはその登場人物について熱心に語った。


「だが、この怪盗はミステリアス・トリニティの雰囲気とはそぐわないな」

「そう思うよ。何せ、なんでも面白しろおかしくしちゃう子だったから」

「どうして彼を消しちゃったんだよ、トム。彼がいれば、ミステリアス・トリニティはもっと深い物語になっていたかもしれないのに。もしくは、彼の存在を僕に教えてくれるべきだった。そうすればどこかしらに反映できたのにさ」


 アンデルがそう言ったのに深い意味はない。彼は単純に「惜しいことをした」と思ってそう口にした。


「まだ」


 水滴のように、ポツリと西山が言う。


「まだ、モデルになった子が見つからないんだ。私もマリアも必死になって行方を探したよ。もしかしたらどこかで生きているかもしれないと祈りながらね。このスケッチブックを見るたびに彼のことを思い出す。それが辛くて、彼の存在ごと、このスケッチブックを閉まっていた」

「いったい、何の話をしているんだ?」

「アンデル。君、未解決事件に、興味はあるかな?」

「トム。私を誰だと思っているんだい」


 天下のアンデル・バーキンダムだよ。

 愚問とばかりにアンデルは胸を張った。

 二人の子供の話は先ほどよりも長い話になった。西山にとっては重く苦しい告白の時間でもあった。澱んだ空気の中、ポツリとアンデルは無精髭の色濃い顎を擦りながら口を開いた。


「それは、本当に起こった事件なのか。それが君たちの現実なのか」


 ややあって、西山は肯定した。


「私も調べてみよう」

「期待せずに待っているよ」


 そこは期待して欲しかったなあとアンデルは肩を落とす。


「ところで、この怪盗に名前はついているのかい?」

「あぁ、ショウと云うんだ。ずっと私の頭の中で遊ばせていたんだけど勿体なくてね。さっき君が持ってきた本の中に、少しだけ登場させたんだ。眼鏡をかけた、映画好きの会社員がいただろう? 名前を高畑と言って――……」

「ちょっと待ってくれ」


 突然増したアンデルの迫力に、今度は西山が首を傾げる番だった。


「もしかして彼の名前は、ショウ・タカハタになるのか?」

「もしかしなくとも、そうなるね」


「トム。私は以前、仕事の夢を見ると相談したことがあるだろう」

「ああ、バグショー署長としてミス・トリの中に入りこんだという話だろう。覚えているとも」

 笑わないで聞いてくれよとアンデルは真剣な表情で声を潜めた。

「彼に、会ったかもしれん」

「誰に?」

「ショウという名前の日本人がいたんだ。リチャードの人格の一つに、そういう名前の子供が、いや、大人か。うん、まぁ、とにかくそういう名の人物と何度か話したことがある。おいおい、嘘だろ。勘弁してくれよ、どうなってんだ」


 うろたえるアンデルに対して、西山は微笑んだ。


「なら、分かるだろう。ああいう子なんだ。時間さえよければ、君が見た夢の話を聞かせてくれないか」

「長い、いや、長いと言うかね。ううむ、そうとう破壊的な話になるよ。トム」

 

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