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犯人は僕でした  作者: 駒米たも
本編
150/174

『第一話』

【アメリカ南西部 二十世紀】


「姉ちゃーん、遊びにいこー!」


 聞こえた足音。返事の代わりに少女は枕を投げつけた。

 顔面でキャッチした少年は枕を抱えたまま、少女のベッドにもぐりこむ。


「出て行きなさい!」

「姉ちゃんら今日も外でられないの?」

「……咳がとまらないからダメなんだって」


 波打つ金髪の中、ぷくりと膨らんだ頬の大きさが彼女の不機嫌さを物語っていた。


「えー、姉ちゃんと一緒じゃないと、僕も外に出ちゃいけないってママに言われたよー」

「私は、あなたの姉ではありません」


 ピシャリと言いつけ、少女はそっぽを向く。


「あなたとは半分血が繋がっているだけです。あなたのお父さん……トムさんは私のお父様ではないんですから」


 少女は膝を抱えた。


「それに! あなたと一緒にいると、私まで町の住民から白い目で見られます。どうして私が、日本人なんかに姉と呼ばれなくちゃいけないのですか? 髪の色だって違うし、敵国民じゃない」


 ヒステリックに怒鳴りつけた少女は、再度、部屋の扉を指差す。


「分かったら、でていって!」


 肩で息をする少女を、少年はじっと見上げた。


「……姉ちゃん」


 まだ呼ぶか。少女は一回り小柄な相手を睨みつけた。少年もまた、真剣な顔だ。


「……難しくて、言ってる意味、よく分かんない」

「出てけ―!!」

「その枕、よく飛ぶよねー!?」


 部屋から異物を追い出した少女は荒い息をしながら、扉を睨みつける。喉もとまでせり上がってきた咳を必死にこらえながら、あの小さい物体に弱味を見せるものかと寝間着を握りしめた。

 しかしトントン、と。またしても扉がノックされた。


「何!?」

「お外に出られないなら、おうちの中で遊べばいいじゃないー!」


 スケッチブックとクレヨンを手に戻ってきた義理の弟に少女はげっそりとした顔を隠しもしなかった。


「言いませんでしたっけ。私、あなたのこと嫌いなんですけど」

「僕は好きだなぁ。姉ちゃん、優しいから」


 バカには、何を言っても無駄だ。

 少女は諦めて少年を呼び寄せた。


「それで、何をして遊びたいのですか」 

「パパみたいに、お話つくるの」


 少年の父親は映画技師だった。映画の脚本も書いているようだが日系人の書いたモノなどと、エンドクレジットに名が載ったことは一度もない。

 戦争が始まり日系人の収容所に収監されてから安否は不明だった。終戦したというのに11月になっても戻ってくる気配はない。

 少年がパラパラとめくる画用紙には黒い丸が描かれている。ぐちゃぐちゃの金色と、四本の棒。中心にはニッコリマーク。


「……なんですか、これ」

「ナンシー!」

「はィ?」


 ナンシーは思い切り顔を歪めた。これが自分の似顔絵だとしたら、クリストファーの視力は思った以上に悪いらしい。


「あのね、この人はシスター・ナンシーって言ってね、姉ちゃんがモデルなの。とっても元気で身体が丈夫な女の子なんだよ!」

「ちょっと、靴は脱いでください」

「あ、ごめんねー」


 ぴょん、とベッドに飛び乗った少年は興奮したように続ける。


「それでね、すごく強いの。大人でも勝てないんだよ。投げ縄と、射撃と、馬術と、ナイフの扱いが凄くて、鍵開けとかもできちゃうの。無敵の人なんだ!」


 ナンシーは黙り込んで話を聞いていた。一通り話し終ったクリストファーは、褒めてと言わんばかりに目を輝かせている。ナンシーの沈黙が長引くと、次第に彼の自信もしぼんでいくようだった。目が「怒られる?」と語っている。


「それで?」


 ベッドの上にふんぞり返ったナンシーは両手を組み、片方の眉をピクリと持ち上げる。


「ブロードウェイからもハリウッドからもオファーがひっきりなしにやってくるグラマラスな超美人、という説明が無いのは、ただ忘れているだけなのですよね?」

「う、うん!」


 こうして、姉弟のごっこ遊びは始まった。


「トムさん……あなたのお父さんはキャラクターにしたらどんな感じでしょうか?」

「パパは探偵さん! シャーロック・ホームズみたいに犯人をぴたりと当てちゃうの!」

「今更ですけど、クリス。あなた、言葉と想像力の引き出しが少ないですね」

「え、えーと、じゃあね! どこか影があって、敬語で皮肉屋でちょっと精神的に弱くて母さんに怒られるとしばらく立ち直れないけれど、自分が怒った時はニコニコしながら遠回しに嫌味を言ってくるカッコいい探偵さん!」

「間違いなくそれはトムさんらしいですけど……意外と容赦ないですね」


 少女は少し考え、こう付け加える。

「あなたのお父さんは髪が黒いですね。コードネームはレイヴンにしましょう」

「なにそれちょうかっこいい」

「幸運を運ぶ慈鳥。かのアーサー王も鴉に生まれ変わったと信じられ、ロンドン搭で今も飼われているとか」

「なにそれちょうかっこいい」


 垂れた瞳をキラキラさせながら、クリスは拳を握った。


「姉ちゃんは頭いいんだねぇ」

「少なくともあなたよりはマシだと思いますよ」

「僕、生まれ変わったら鴉になる!」

「バカですか?」


 ナンシーは死んだボラのような目でそれを見ていた。


「母さんが映画に出たら、どんなキャラクターになるでしょうね」

「ママはね、看護師さんや修道院の院長先生だと思うなぁ。 凄く優しくて、お料理とかお掃除が上手で、お姫様!」

「……私の時は、お姫様なんて単語、一つも出てきませんよね」


 じとりと湿った視線を向けられ、クリストファーは慌てて付け加えた。


「それか情報屋さんかなぁ。何でも知っていて、町の皆から尊敬されてるの。毒の調合とか出来て、悪い人をこっそり暗殺するんだよ。きっと」

「確かに。母さんならやりかねません」


 でしょ、と子供二人は真面目な顔で頷きあう。そして同時に噴き出した。家庭内権力トップの座に君臨し続ける母の勇姿に「秘密組織のトップ」とどちらかが書き加えた。

 こうして彼らのごっこ遊びは続き、スケッチブックが埋められていった。


「姉ちゃんのボディガードをご紹介します。僕の友達の、くまのリチャードくんです!」

「……この前はトマスという名前だったと記憶していますが」

「えっ!? えーと、リチャードかつトマスです。一人の中に二人いるもの凄いくまさんです」

「難儀なクマですね」

「モデルはシェイクスピアの悲劇、リチャード二世とリチャード三世です」

「いきなり壮大な設定が生まれましたね!?」

 だから、とクリストファーはクマをナンシーに押しつける。


「僕がいなくなったら、リチャードが姉ちゃんを守ってくれるよ」


 普段はヘラヘラしているクリストファーが、酷く真面目な表情をしていたりナンシーは不安に思った。心を隠すようにクリストファーの額を指ではじく。


「なに格好の良いことを言っているんですか。クリスの癖に」

「へへへ」


 鍵の開く音が聞こえ、クリストファーとナンシーは顔をあげた。


「あっ、ママが帰ってきた!」

「そうみたいですね」


 二人は競うようにベッドから飛び降りる。

「ママ、見てみてー!」

「二人で書いたのよ!」


 コートを脱ぎながら、二人の母はスケッチブックを持って駆け寄る子供たちを抱きしめた。


「あらあら、凄いわねぇ。私が情報屋で組織のボスで孤児院の院長さんで小説家? なんだか照れちゃうわ」

「こっちの探偵はトムさんがモデルなんですって」


 澄ました顔のナンシーが言う。


「早く本人に見せたいですね」

「……まぁ、そうなの」


 母親はナンシーの肩を優しく抱いた。


「でもナンシー。あんまり無理はしないでね。貴女はあまり体が強くないのだから」

「分かってるって」


 ナンシーは乱暴に母の手を振りほどいた。


「ねぇ、ママ。パパの書斎にあるご本、読んじゃダメ?」


 スケッチブックを掲げたクリストファーが訪ねた。

「子供が読むような本なんてあったかしら」

「ママ」

 どこか呆れた声でナンシーは母を呼ぶ。

「クリスはトムさんの息子よ。間違いなくね」

 ナンシーの言葉に、母は瞳を大きく開いた。

「分かった。いいわよ、クリス。好きな本を持って行きなさい。その代わり、パパの書斎にある本以外のものは触らないでね」

「わーい!」


 こうして、少年は父の本とスケッチブックを持って姉の部屋を訪れるようになった。


「先日は『黒猫』をお楽しみいただきましたので、本日の朗読は『アッシャー家の崩壊』をお届けしますです」

「怖い話ばっかりじゃない!?」

「嫌い?」

「嫌いじゃないけれど、こうも続いたら流石に飽きます」

「だって、僕の身長じゃあ一番下の棚しか、本が取れないんだもん。つまり、必然的に選択肢がポーかシェイクスピアかアリスかピーターパンになっちゃうのです」

 疲れたようにクリストファーは首を振った。

「ラジオがあればよかったんだけどなぁ」

「テレビや、映画館は欲しくないのですか?」

「動く絵を見たら興奮して天に召されそうだからやめとく」

「そんなバカな……と言いたい所ですが、テアトル・オプティークの話で鼻血が止まらなくなったんでしたっけ。分かりました、私も本を一緒に選んであげます」

「やったー、姉ちゃんだいすきー!」

「えぇい! 離れなさい離れなさい! 暑っ苦しい!!」


 こうしてクリストファーは想像上の恐ろしい化け物を生み出していった。時に幽霊、時に殺人犯など、明るい性格の義弟らしからぬ正反対のモンスターばかりであった。

 ナンシーは、この年の離れた義弟に、どこか恐ろしささえ感じることもあった。


「姉ちゃん、たいへん。自分で作った幽霊と語り手の設定が怖くて一人で寝られない……」

「私もですよ、このバカ!」


 しかし、そのたびに否定した。

 こいつはバカだ。バカな天才だ。

 彼らは仲の良い姉弟だった。間違いなく。あの日まで。

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