第百二十九幕 閉演
「独りぼっちのミステリアス・トリニティ上映会とは、また豪華な餌を思いついたものです。夢のような話ですよねぇ。そりゃあノコノコやってきますよ。彼限定で」
懐中電灯に照らされながら、その男は得心がいった様子で首を縦に動かしました。
「Well,well,well。言いたいことは分かります。分かりますとも。グッドマンにグッドガイにグッドフェロー。大抵名字が『良い人』な人間に、良い人間はいないと思っているんでしょう。少なくともここに一人は良い人間がいると胸をはって言えますよ。善きサマリア人の如き隣人かな。まあ少々手癖が悪くて裏口の鍵は開けちゃいましたけどね。そこは可愛い悪戯ということで一つ。おや。その顔は私の事を覚えていらっしゃらないと見た。うんうん、よくある事ですよ。仕方ないです。ほら、私って他と比べると個性が薄いものですから」
シルクハットに燕尾服に顔全体を覆う白い仮面。腰に調教用の飾り鞭をぶら下げた男は帽子のつばを軽く持ち上げました。時代錯誤かつ芝居がかった動きや口調は、暗闇での魅せ方を熟知しているようでした。
この葬儀屋にもサーカス団長にも見える男の存在は血に塗れた死体の側に相応しく、それでいて場違いに感じられました。
彼は先程のキィ君と呼ばれる存在と同じく、ライブハウス通りの住人なのでしょう。
顔を覆う仮面のせいで表情は伺えませんが死体を見ても動揺しないどころか、どこか楽し気な気配を漂わせていました。
驚きもせず、叫びもせず、突如現れた侵入者にどう対応すればよいのか。私は迷っていました。
「そう警戒しないで下さい。JulesのCyclops君は、あんな形ですが意外と情の深い子でしてね。アンデル監督のニュースを見て『タカちゃん、あんなニュース見たらぜったい暴走すんじゃん。よし、おもしろそうだから酒を与えてみよう』とか言いだしまして、わざわざ様子を見に来たんですよ。そりゃあ、二十一時前に高畑章がこの通りを走っている理由なんて映画以外ありませんからね。真っ直ぐ此処まで来たんですが、一足遅かった。パレス座は改装工事で閉館しているのに変だなあとは思っていたのですよ。私もこうして停電の中、バイオなハザードごっこしながらノコノコついてきた訳ですから、フラグ立っているんですけどね。なにも殺さなくても良かったのでは?」
一段低い声で言うと、ブイサインを逆さにしてテクテクと指先を歩かせ、何がおかしいのか男は突然ククと喉を鳴らして笑いました。
「おっと話が逸れました。ミスター・グッドフェローはお喋り好きでしてね。お喋りするためなら日本語だって喋ります。探偵がいないのならば、その真似事だってします」
わざとらしい空咳を挟んで、ミスター・グッドフェローと名乗る男は続けました。
「まず最初の失敗はですねぇ、西山さん。貴方が意外と傲慢な性格をしていたという所にありますよ」
自分で言っては「うん」と頷き、それを数回繰り返して目の前の道化師は足を組みました。突然、何の前振りも無く非難されたことに対しても、私の心は驚くほど平静でした。怒りとも焦りとも違う、悲しみとももちろん違う。あえて言うなれば諦めの情に近かったのでしょうか。無礼な物言いにも関わらず素直に話を聞こうという姿勢も、演劇に携わった者としてこういった展開に憧れていたせいかもしれません。
「閉鎖した劇場に一人だけ呼び出すだの、自殺に見せかけるだの、そんな余計で面倒くさい事を考えなければ良かったんですよ、貴方。そもそも人通りの多い二十一時に映画館の表玄関開けて招き入れるなんて、目撃者が増えるだけではありませんか」
「裏口から侵入したように見せかけたいなら最初から裏口からお入りくださいと伝えておけば良かったんです。売店の商品も売りたくないのならば、聞かなければ良かった。普段通りに振る舞おうとして墓穴を掘りましたね。あのレジスターは清算しない限り、のど飴一点の売り上げが記録されたままですよ。本日二十一時前にお買い上げされた二百円が一点。誰が売ったのか根掘り葉掘り墓穴掘り聞かれるでしょうね。あ、二つ三つ頂きましたが、あのスイーツ、随分とおもしろい味ですね」
「そうだ、監督の退陣会見は二十三時からなのに、どうして二十一時に彼は映画館に来たんでしょうね。映画館に入れば流れるように携帯の電源をオフにする人間が、どうして二十三時の会見内容を知る事ができたんでしょうね。その疑問に対する答えを、貴方は言えますか?」
「それは……」
まるで濁流でした。ようやく口を挟めたのは、その一言だけで、それすらも波間に漂う枯れ葉のようにあっという間に押し潰されていきます。
「いえ結構。そうやって説明しようとするのが二つ目の失敗ですよ。やましいことがなければ、他人の考える事なんて分からないと突っぱねていいんですからね。そもそも馬鹿正直にすべてに回答を用意する犯人は三流ですし、遅かれ早かれボロが……ああ、また喋り過ぎた」
「本当はね、私、こういう謎を解くのに向いていないんですよ。本職は怪盗なんです。どこかのMがつくサスペンスに一行たりとも登場できませんでしたけど一応」
「ところでミステリアス・トリニティって殺人悲劇殺人悲劇ばっかりで飽きません? たまには平和に人の死なないスリリングかつ盗難喜劇盗難喜劇時々爆発でもあったらいいなとか思いませんか?」
「この映画見たら死ぬだの、呪いだの、好き勝手に言っていますがねぇ、最初にアイデア出した人はそんなこと考えていなかったと思いますよ。忙しい両親がたった一言もらす「おもしろい」という言葉が欲しくて。家の中に閉じ籠りきりで病気で塞ぎがちな姉から「楽しい」という感情を引き出そうとして。幼い頭ひねって、家族四人で楽しむために作った話なんじゃあ、ないですかね」
「それを凶器にされちゃあ、おちおち寝てもいられないっていうか。でもプロの手で名作になった上に映画になったわけだから、著作権収入考えてウハウハ勝ち組で嬉しいというか。それはそうとスケッチブックカビそうだから、そろそろ箱から出して欲しいなーっていうか。観客だけじゃなくて共著者二人にも嫌われたら本気でへこむから止めて欲しいっていうか。なんでトリニティってタイトルつけちゃったの、僕だけ仲間外れなんて酷いというか。いえいえいえ、全部想像ですけどね。私なぞ、今頃、そういう文句を言ってるんじゃないかなと思うわけです」
「しかし、ここでも探偵役が殺人犯になるとは。嫌いではありませんよ。そういう話、私もワクワクしますし。細かい整合性はどぶ川にでも投げ捨てておいてください」
「ともかく、私のような出無精に奇跡的にお鉢が回ってきて死体の横でペラペラ喋っている理由をご説明いたしましょうか。初代語り手として、ね」
「えー、このたびは、このようなお役目を仰せつかり光栄で御座います。正直に言えば最近知恵を絞って忙しくしていた上に二日酔いで、惰眠を貪るぞーと決意したところを無理やりたたき起こされて迷惑しています」
「けれど、まぁ、いつの時代も弟は姉に逆らえないものでして。機嫌を損ねたら世界が終わる。いえ、誇張ではなく、真面目に」
「だからこそ、そういえばお前、本編没になった未登場キャラクターだから所属決まってないだろうと。なら現代日本にコスプレキャラとして居てもおかしくないよな、という暴言が出るのですけれどね」
「しかも章一人は心配だから原型も行ってこいと。ついでに焼きそばパン買ってこいと。そう言われても断れないわけですよ。何ですかね、この理屈」
「おかしいですよね。誰も言わないから自分で言っちゃいますけれど、おかしいです。もう、これが終わったら休みをもらって電話線も電報も伝書鴉もないどこか遠くに行こうと思います。雪国も南国も山も海もダメなので、もう田舎か都会か宇宙しか選択肢がないのですけれど。あ、日本。日本どうです? 治安良いですか? まさか崖っぷちで犯人に追い詰められることなんてありませんよね? 変態が出てこないなら、もう、何でもいいなー」
奇妙な光景でした。私たちはお互い相手について、真逆の方法で探りあっていました。彼は反応を。私は言動を。波のように絶え間なく打ち寄せる言葉の中には時折、こちらの反応を伺うものもありました。目をそらし続けていた恐ろしい何かを、彼は遠慮も情緒もなく突きつけていました。
「貴方は一体、誰なのですか。私の過去が生み出した亡霊なのですか」
私からの問いかけに、彼は肩を竦めます。
「亡霊! 正しいといえば正しいですね。本当に、私が誰なのかお分かりになりませんか。貴方は私を忘れていないはずですよ。だからこうやって、僕は貴方の書く二十一世紀の日本とやらに入り込めたし、登場人物を新しく作り直しても、新しく設定を増やしても、過去の影がつきまとった。リバイバルってそういうものでしょ?」
存在しない物語同士が交錯する。そのようなことが在り得るのでしょうか。
死にかけの私が今際の果てに見ている現代日本の映画館と過去の彼女が作った偉大な過去の倫敦が交わる点などあるのでしょうか。
「貴方は彼をモデルに彼を作った。それは僕も同じだ」
「彼女たちによって書かれたIと、貴方の書いたI」
「スターシステムなんて、サイエンスフィクションここに極まれりといった感じで柄じゃないんだけど、こういう時は便利だね」
彼はゆっくりと仮面に手をかけました。
「僕の生み出したキャラクター達を憎むのは自由だ。愛してくれるならばそれに越した事はない。しかし彼らは既に僕の手を離れ、貴方の世界で生きる一人の人間となった。確かに、彼らの表面は実在する人達を元に僕が作り出した。しかし、彼らの本質は皆さんの想像力で補って頂きたい」
ようやく理解しました。
ここに居るのは、はるか昔に存在した犯人たちの原典だと。
「あなたが驚いたから、僕の勝ち。さぁ、こんなところにいないで、さっさと生き返ってもらうよ。父さん」
そうか、クリストファー。
君が生きていたら、こんな大人になっていたんだね。