第百二十四幕 或るシスターの懺悔
それ、どういう意味?
服装に似合わない幼い仕草で彼が首を傾げるので、私はおかしくなってしまいました。そもそも彼に相談したこと自体が間違いだったのかもしれません。
ですが、それくらい「突拍子もないこと」をしないと、何も変わらないと思ったのです。
だから私は答えました。言葉の通りです、と。
・・・
私はモデルとなった人間が死んだため、けして死なないようにと願いをこめられて作られたキャラクターです。推理作品に死なない人間を登場させるなんて、狡いですよね。
死ぬことが当然の世界で、私は死なない。自然とこの世界を管理することになりました。
観客や読者の存在も知っています。そういった第四の壁を越えた存在。そう考えてもらって構いません。
とは言え私たちは観客の見ていない場所で生まれて、それぞれの人生を歩んできました。ですから「私たちは物語の登場人物だ」と他人に言っても、信じるどころか『こいつは頭がおかしい』ということになるのです。
来客が物語の中に迷いこむのはよくある事で、大抵は訪れて二、三時間後には亡くなります。皆さん、この場所のことは夢だと思うようで特に気にされた様子もありません。
あなたは来訪者の中でもダントツで生存日数最長記録を更新しています。私にとっては迷惑な話ですが。
あなたは他の人とは違った。何もかも。
加害者でも、被害者でも。ましてや傍観者でも観客でもない。
あえて名付けるならトラブル・メイカー。姿は無く、方向をねじ曲げ、私やおばあ様の介入すらはねつける異分子。
あなたは好き勝手に脚色し、物語に新たな側面を見出だしていきましたね。そのようなこと、出来るはずもないのに。
だって私の世界には悲劇を表す三度のノックしかない。その三角形が作り出すのは安定。
なのになぜ、あなたは四度目のノックができたのか。安定を、悲劇を壊すことができたのか。
最初はそれが、恐ろしかった。羨ましかった。妬ましかった。
愚直に行動し、報われる貴方が。出来るはずもない奇跡を起こし、変化をもたらすことが。
平穏が続けば、私は「ミステリアス・トリニティ」として存在することができません。この世界は悲劇を糧に生み出されているものですから。
悲劇が起これば起こる程、私は進化し、空白の終わりへと近づく。空白。そう、三十年近く置き去りにされている最終章へと。
おばあ様の手によって、すでに結末は描かれています。
しかしそれらに関係する「私」が意図的に消されている。
私は未完の原稿。未完の映画。未完のドラマ。
どれだけ姿形を変えても、それだけは変わらない。
だから思い出せない。
最終章のページに何が書かれていたのかを。
私が書かれた理由を。
私が思い出せたのは、最終巻に登場する人物とトリック、そしてアンナの名とこの風景でした。
最も平穏な今こそ、最も悲劇の結末が迎えられる。そうすれば、自分が何のために書かれたのか分かるはず。おばあ様がいなくなった私に、アンデルとミシェルはそう言いました。
ミステリアス・トリニティの結末を知りたい。
ただ、それだけのために、私たちは手を組みました。
バグショー署長を「悪の嚢」に置いて来たのは探偵の失敗でしたね。あなたのミスでもある。
アシュバートンの娘を放置していたのも悪手です。
悪の嚢、マーシュホース、そしてバグショー署長の率いる犯罪者たちは手を組み、三組織による犯罪連合が結成されました。
つい、先程の話です。
バグショーは探偵と自分の部下を。
アシュバートンはライン家とリンドブルーム家を。
そして私は、リチャード君とあなたを。
それぞれ潰すと取り決めをした。
そうすれば、被害者を纏めて消すことが出来る。
そうすれば、和解しあった者同士を改めて引き裂くことができる。
あの探偵は精神が弱い。親しい人間が死に、信頼していた友に裏切られたとなれば、しばらくは立ち直れないでしょう。その間に他の犯人を消せば、きっと終わりがやってくる。
けれど、私はそれを望んでいなかった。
別に、私は未完のまま、消えても良かったんです。いえ、いっそ消えたかった。
普通の人間というものは寝そべりながら、笑いながら、泣きながら、お菓子を食べながら、楽しそうに私たちを見ているのに、どうして私たちはそれをしてはいけないのでしょう。
なぜ私にあんな甘い夢を見せたのですか。それすら、あなたの計画と言うことでしょうか。
もう疲れました。酷薄な世界でいることに。人殺しと呼ばれることに。
あなたの見せた『もしもの存在』『もしもの場面』は私も心のどこかで望んでいたものでした。
お人好しのライン卿、恋するダニエル巡査、孫バカのリンドブルーム船長。
暖かい世界。穏やかな世界。
人が死なない。
恨みもない。
ドラマだって無い。
ただ、ただ、過ぎ去るだけの平凡な日常。
朝、おばあ様が亡くなっているのを見た時、ほっとした自分がいました。私は母を手にかけずに済んだと。そのような事を考えている自分を知られずに、落胆させずに済んだと。
だから、お願いです。
無理なお願いだと、承知しています。
殺人事件失格だと、承知しています。
だけど言わせてください。
私は、こんな終わり方は嫌です。
本当は幸せな終わり方をしたいのです。
貴方なら、何とかできるでしょう?
いつもみたいに、バカな手を打って下さい。
何か解決方法を考えて下さい。
ジャンルが変わろうが、踊ろうが、何でもいい。
私には想像もできないご都合主義を思いついてください。
最初で最後で構いません。
永遠に続くこの世界で、たった一度だけ奇跡を下さい。
私は、初めてできた「友人」を死なせたくないのです。
・・・・
無理だ、とは答えられなかった。
そんなこと、観客の裁量を越えている。
買いかぶりすぎだよ。僕はそんなに凄いことをした覚えはない。
回る、回る。風車が回っている。
車の工場。馬小屋。あぜ道。
『これ、どこですか? ルート66?』
『の、近くですね。昔、この辺りに住んで舞台劇の脚本を書いていたのですよ。あの頃は日本人とばれただけで私刑にあいましたからトマスなんてペンネームを使っていましたが』
『ままま、まさかブロードウェイミュージカルの脚本とか!?』
『違いますよ。小さな村の、知り合いだけのごくごく小さな劇場でした』
『はぁー、凄いなあー』
劇場でしたと彼は過去形で言った。トマスの愛称はトム。
アンナ、マリア、キリスト、三位一体は三角形。
『見たら死ぬ映画だなんて、酷い言いがかりですよねー』
『実際、ミステリアス・トリニティを観た直後に自殺した人間がいた地域があったそうですよ。そこだけ公開中止になったとか』
『うわっ、ホラー』
人の死ぬ物語、人が死ぬ物語。議論が起こり、公開中止。
読んだ人間が自殺、途中退席した観客が発狂、呪われた本、呪われた映画。
『この新聞の切り抜き、よく見てますね。一体何の記事ですか』
『何十年も前の、未解決事件の記事ですよ。解決できたら探偵みたいでしょう?』
『解決する際はレイヴンの物真似しながらでお願いします』
父、母、娘、息子、四人家族は四角形。
二人の子供を事故で失った母親は精神に異常をきたし、父親は白人ではないからと犯人扱い。父親の無実は証明されたものの、結局は未解決事件のまま。
『こっちの写真は凄く雰囲気のある家ですね。カウボーイとか住んでそう。この人達とはどんなお知り合いなんですか?』
『はは、彼らは古い友人です』
優しく写真を撫でる節くれだった指。剥げかけたペンキの柵、回らない風車、西に見える高い山。
無表情で柵に腰かける少女。風車を手にした陰気な少年。真ん中で微笑む女性。写真を撮った誰か、父親。
『西山さんは凄いですね。ミス・トリに関して知らないことなんて、無いんじゃないですか?』
『この作品には思い入れがありますからね。高畑さんこそ、まだ若いのに、なぜこんな古い映画に興味を持つのですか?』
『うーん。だって格好いいですし、色々考えながら観るのは楽しいです。僕、生まれて初めてテレビで見た映画がこれだったんですよ。そのせいで愛着があるというか、離れられないというか』
『それは災難でしたね』
『とんでもない! 道を踏み外した自覚はありますけど後悔はしていません』
回る、回る、円はきっと、ここで生まれた。
僕は何もできない。
けれど、何とかしてくれそうな人は知っている。
必殺丸投げ。それは彼女だけの特技ではない。
見せてやるさ。
恥も外聞もなく得意先に何とかしてくださいとすがり付く……社会人の本気ってやつをな!
・・・・・・
「ザ、ファースト、ミステリアス、トリニティ」
僕はゆっくりと口を開いた。
「君を作ったのは四人の人間なんてこと、あり得ると思う?」
きっと、一人はシェイクスピアが好きだった。
きっと、一人はエドガー・アラン・ポーが好きだった。
きっと、一人は聖書を好んでいて、
きっと、一人は劇場が好きだった。
三人は死んで、一人だけ今も生きている。
ゆっくりと彼女の目が見開かれていく。
ようやく分かった。ようやく見つけた。僕が、誰と間違えられて此処に来たのか。
彼らが切望して止まない「最後」は、ミステリアス・トリニティ最終巻の原稿は、きっといまも彼の手元にあるはずだ。
「現実に帰るにはどうすれば良かったっけ?」
「ここで死ねば」
「マジで」
簡潔な答えだった。
自分にできることが一つでもあるのなら動くべきだ。
例えばそれが世迷いごとだとしても。
例えばそれが妄想の中での出来事だとしても。
結果、狂人だと思われても、僕は――……。
「すごく、ものすごォォく嫌だけど、仕方ない。分かった。あのさ、折り入って頼みがあるんだけど……」