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犯人は僕でした  作者: 駒米たも
本編
140/174

特典映像 うなぎゼリー殺人未遂事件9

「バカな!」

 

 そう言って立ち上がったのはドクター・コールマンだった。ただならぬ様子の彼とは違い、他の列席者は一様に狐につままれたような顔をしている。


「私が見た料理人さんは、違う人なんですけれどー?」

「そそ、そうだな。先程まで給仕をしていた男性が、料理をしていたのではないか」


 アイリスの疑問にテネシーが同意を示す。 


「はい。先程まで彼が料理をしていたのは間違いありません。しかし、皆さんが食べたものは、ここの台所とは違う場所で作られたものです」

「はい。食材も此方で用意させて頂きました。味が薄かったと思いますが、胃の弱っている方には本来この程度の塩梅が丁度良いのですよ」


 レイヴンの話に同意するように、イリーナが微笑む。


「どうして、そんな事を」

「決定的な証拠を作り出すためですよ。ドクター。実のところ、最初からあなたが近日中に行動を起こすだろうと見当をつけていたのです。貴方の行動を見張るように、屋敷内の間取りを熟知しているモーリーに言いつけていました。彼女は自らの仕事を見事にこなしてみせましたよ。弁護士のロドニー氏も今頃、あなたの金銭関係について調べ終えている頃でしょうね」


 話を振られたドクター・コールマンの額には大粒の汗が浮かんでいた。


「綺麗に抜き取られたウナギの内臓。数を調整して入れられた切り身。全てを台無しにするかのように、ぶつ切りにされた白身魚が大量に入っていたら、どんなに鈍感な人間でも気が付きますよ。念のために、全部の鍋を毒物検査に回しています」


 ドクター・コールマンは焦っていた。その隣では主であるサイモンが脂汗を垂らしていた。


 切り身の数? 内臓を取り除く? たかだかうなぎのゼリー寄せにそんな手間をかけるなんて、聞いたこともない。


 ドクター・コールマンはトライフ夫人のミスによってトライフ一族が中毒死する計画を立てていた。

 スッポンと呼ばれる珍しい亀を手に入れた際にフグと呼ばれる白身の毒魚を見せられたのが切っ掛けだった。


 コールマンはサイモンの友人であり主治医でもある。その他にも缶詰工場に使われる食材を決定する、ある程度の発言権を持っていた。医者として有毒、無毒を判別することが出来る為だ。採用されると、その成果に見合った報酬が毎度払われた。

 そして一回に支払われるそれは、コールマンの医者としての年収より多かった。

 高級食材の海亀のスープを医薬品として売り出せないかとサイモンに提案した時、コールマンはいけるという確信をもっていた。

 しかしサイモンの答えた結果は否であった。

『海亀の数は減少している。海亀のスープを出せば流行するのは間違いない。しかしその結果、海亀は海から姿を消すだろう』

 そう言って、サイモンはコールマンの提案を受け付けなかった。しかし、コールマンは諦めなかった。海亀がダメならば、海亀ではない肉を使えばいい。牛肉のテールスープを、海亀のスープと言って売り出せばいいではないか。

 サイモンはコールマンの発言に激怒した。サイモンは金に関して汚いところもあったが、食品に対しては真摯に向き合う男だったのだ。そんな彼にとって、食品偽装の提案は長年の友人関係を解消するほどの衝撃だった。


 コールマンはすぐに金が欲しかった。彼には賭博癖という悪癖があった。最近羽振りの良いデルマンという名の金貸しからの借金はみるみる膨らみ、ここ最近では命の危険すら感じるようになっていた。


 この昼食会は好機だった。

 てっきり料理は味音痴で不器用なトライフ夫人が行うと思っていたが、直前になって見ず知らずの料理人が現れた。

 観察した結果、コールマンは安心した。新たな料理人の注意力が散漫であることは誰の目にも明らかであり、これならば問題ないとコールマンは判断し、行動に踏み切った。料理の不得意な女による中毒死が、異国の料理人による知識不足に変わるだけだ。


 料理人が庭に出た隙に、うなぎの入った鍋に持ってきた毒魚の切り身を入れた。サイモンが心労で弱っているのは誰の目からも明らかであった。それは過剰な心因により胃が炎症を起こしている所為だ。弱った胃に毒物を入れれば、普段よりも激しく中毒症状を起こす。 

 傲慢な男と思われているが、サイモン・トライフとは繊細な男だ。ドクターとの喧嘩が心身ともに堪えていた。トライフ夫人の献身的な看護が、サイモンの健康をさらに損なったのは皮肉な結果と言える。

 

 台所から出ると、コールマンは周囲を気にしながら洗面所で念入りに手を洗った。毒魚を持ち運んだ時の生臭さが、手についている気がしたからだ。トイレから出て来た風を装っていると、テネシー・クレイグと廊下ですれ違った。

 これは好機だとコールマンはほくそ笑んだ。万が一、殺人だと疑われた場合でもスッポンやフグの調達はテネシーの名前で手配してある。テネシーが一人で台所を訪れたという事実も、いざとなれば使えるだろう。


 トライフ一族には、それぞれ怪しむに十分な理由が存在する。


 ダラスとアイリスは夜中に二人で家から抜け出している。彼らが赤ワインにスッポンの生き血を混ぜて叔父に飲ませると素直に証言すれば、見た目から毒殺したのではないかと疑われるのは間違いない。


 トライフ夫人はうなぎを洗わずに茹でるような女だ。事故を起こす可能性もあると魚屋には金を渡し、うなぎをすすめるように言っておいた。栄養価が高いからとでも言っておけば、トライフ夫人は喜んで買うだろう。

 あれだけの美人が本気で年寄りに惚れているなど誰も信じていない。彼女に新しい恋人ができて、故意に毒を飲ませたのではないかと噂になれば万々歳だ。


 弁護士のヒューバート・ロドニーは昼食会の料理がトライフ夫人作と聞いた瞬間、風邪を引いた。昼食会を嘘の理由で欠席するのは、やましい理由があるに違いないと疑われるはずだった。


 ドクター・コールマンはこの怪しげな人物たちの中で唯一、誰にも常識的な人物だった。少なくとも、本人はそう思っていた。


「君には心底失望した、ドクター」


 サイモン・トライフは見事な白髪頭を振った。


「ああああああああ!」


 ドクター・コールマンは奇声をあげると、椅子を蹴飛ばし走り出した。

 老人にあるまじき素早さで部屋を駆け抜けると、血走った目で外へ向かっていた。


「捕まるか、捕まってたまるか。こんなところで、こんなくだらない事で、私の人生が終わっていいはずがない!」 


 極限の状態に追い込まれたコールマンは玄関の扉を開いた。先刻まで恐ろしい殺人が行われようとしていたとは思えないほどの、暖かい午後の陽射しが表庭に降り注いでいた。


 道に面した柵の傍で、置き忘れたガーデンノームのように青年が立っていた。

 顔を隠すほどの大きな眼鏡、その上に念入りに下ろされた長いダークブラウンの前髪がかかっている。男にしては細い顎を傾げながら、ぼんやりと庭に迷い込んで来た蝶を視線で追いかけていた。料理人として偽っていた彼はゼイゼイと息を荒げるコールマンとは対照的に静かだった。

 否、静かな表情の中、口元だけが歌うように動き続けていた。


「あなたがドクター?」


 料理人は不思議そうに首を傾げた。その行動があまりにも幼いので、コールマンは一瞬、目の前の青年にどう反応を返すべきか迷った。


「そこをどけ!」

「ドクター・コールマン。ぼくと、賭けをしませんか?」


 つき飛ばそうと伸ばした腕は、逆に手首を捉まれ失敗した。ギチギチと相手の指が血管に、神経に、骨に、丁寧に食い込んでいく。


「なぞなぞに答えられたら、あなたの勝ち。答えられなかったら、あなたの負け。どうです、簡単でしょう?」


 丁寧に、丁寧に、繊細に。料理をしていた時とは別種のこまやかさで、締められていく。

 ドクター・コールマンの皺だらけの顔から血の気が引いた。目の前の青年が笑っているのは口元だけで、ガラスの奥に見えた琥珀色の目は笑っていなかったからだ。


 せっかく作った料理を台無しにされたから?

 それとも殺人犯の汚名を着せられそうになったから?

 ドクターには、そのどれもが正しい理由に思えた。



「いつもはお喋りなのに、とつぜん静かになって土の下に入っちゃうのは、どういう時?」





――ぼくね、とても楽しみにしていたんだよ。うなぎゼリー。昼食会で料理があまったら、食べてもいいよって言われていたからね。ワクワクしながら待っていたんだ。話には聞いていたけれど一度も食べたことがなかったんだよ。だから本当に楽しみにしていたんだ。でもね、彼が作った料理は全部警察に持って行くことになっちゃった。どれに毒が入っているか分からないから、念のためなんだって。ねぇ、聞いているかな。ドクター。ぼく、本当に本当に、楽しみにしていたんだよ。ダニエルのお姉さんの料理もおいしいんだけど、ぼくはショウ君の料理を気に入っているんだ。あれが誰の口にも入らず処理されるなんて、とても悲しい事だと思わないかな? 思わないか。あなたは知らないものね。ああ、でも次はぼくも作れるかもしれない。作り方はちゃんと覚えているよ。いまからそれを証明しよう。ドクターは知ってる? うなぎをさばく時は、逃げないように眼球にアイスピックを刺して台に固定するんだ。それから人参をむくときは刃を立てて削ぐようにするんだよ。見たいかな。見たいよね。見せてあげるよ。うなぎは無いから、あなたで試していいかな。ところでなぞなぞの答え、そろそろ分かりましたよね。いまは分からなくても、あとで答え自体になるから嫌でも分かると思うけど。



 コールマンからの答えはなかった。代わりに、ただただ、細く長い悲鳴が響いていた。

 後に看護師のアイリスはこう証言している。


『あれは堅気の人間じゃない。ホンマもんだ』と。


 

・・・



「それで、ドクター・コールマンはどうなったのですか?」

「うん。ちゃんと捕まったよ。警察に引き渡して、それで終わり」


 その前に一騒動あったのだろうな、とシスター・ナンシーは持前の動物的直観で察した。


「しかし、ドクター・コールマンはつまみ食いをしようとしていたのですよね。毒魚を入れた彼は、なぜ台所に戻って来ていたのでしょうか」

「つまみ食いしようとした人は、ドクターじゃなくて、サイモン・トライフだったんだ。気まずくて、別の人の名前を言ってごまかそうとしたんだってさ。そんなの、すぐにバレるのにね」

「トライフ氏ですか。レイヴンが嫌っているので、もう少し癖のある方だと思ったのですが」

「レイヴンさんがサイモンのお爺ちゃんを嫌っていた理由は、何というか、仕方がない理由なんだけど」



――ハッ。自惚れ屋の若造が、ようやくお出ましかと思ったら気障な真似ばかりしおって。

(訳:このたびは、素早い対応をありがとうございました。何者かが命を狙っているとは感じていたのですが、なにせ証拠が無くて)


――あの間抜けな青二才を連れて来た時はどうなるかと思ったわ!

(訳:料理人役の人は大丈夫でしょうか。気を悪くされていないと良いのですが)


――貴様も金が目当てなんじゃろう。好きなだけ持って行け、守銭奴が。

(訳:迷惑料も含めて、多めの額をお支払いします)


――おい、貴様! ワシの妻に色目を使うな! 

(訳:うちの妻、美人だし可愛いし健気でしょう! えへへ、ワシの自慢の妻です!)


――ワシにこの放送禁止用語芋を出して何が狙いだ、この放送禁止用語! 放送禁止用語で放送禁止用語な、この放送禁止用語め!

(訳:ちょ、このジャケットポテト、ありえんほど美味いんじゃが!? 君、うちの工場で働かんか!?)



「ジャック兄さんによく似てるからだね」

「仲が良いのは良い事です」 



 遠い空の下、庭の花に水をやる内科医の大きなくしゃみが響いた。

 

 

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