特典映像 うなぎゼリー殺人未遂事件7
「あのぅ、指があるんだけど、これは本当に海亀なの?」
「ほえ?」
「どういうことじゃ」
謎の爬虫類ハンド君を示しながら問うと、二人は不安げに顔を見合わせた。
「亀にも指はあるじゃろう?」
腕を組んだダラスがおずおずとした調子で口を開く。端から見れば、此方が因縁をつけられているようだ。
「亀にもよるけど、海亀の手はヒレだから指は無いよ」
指を揃えてヒレのように振ってみせると、アイリスが困惑した顔で口元に手をそえた。
「あの野郎、今度会ったら重石つけて沈める」
「これは多分スッポンじゃないかな」
無意識のうちにアイリスを視界から外した。直感的に、これ以上、この話題を続けてはいけないと確信したからだ。いまのは妖精の声だ。そういうことにしておこう。
「スッポン」
アイリスとダラスが小首をかしげた。完全に揃っているその動きに、深い意味は無さそうだ。余計なこと言ったらテメェも海の藻屑だメガネという副音声が主に看護師さん方面から聞こえるのも、きっと気のせいだろう。
「それは亀じゃあないんか?」
「亀だよ」
「精のつく食材じゃないんか?」
「……精のつく食材だよ」
その答えを聞いてダラスは強ばった顔をゆるませた。
「なら、ええ。これは、テネシーのおじきが融通してくれたブツじゃ。あいつァ、ワシがまだガキじゃった頃から、爺様の秘書をやっちょる。口に入るもんについては、あいつの方が詳しい。あいつが海亀じゃと渡してくれたんなら、これは海亀じゃ」
「テネシーって、秘書のテネシー・クレイグ?」
「おじきの事は知っちょるんか。なら話は早い。工場の缶詰を決めるんも、最近はあいつが主導しちょる」
僕がすぐにテネシーの名前を出した事にダラスは驚いたが、すぐに破顔した。知り合いの自慢をする時の誇らしげな笑みだ。なのに、顔芸と呼ばれるレベルの悪い笑みに見えるのは何故だろう。
「最近、爺様の元気がないとヘンリエッタが言うもんでのう。何ぞ、美味いもんでも食って精でもつけてもらおうと思うたんじゃが、新しい船を買ったばかりで金が無い。それに、ワシは爺様と違って味の良し悪しが分からん」
「それで、テネシーさんが、私たちにも買えそうな食材を必死に探して下さったんですよー」
ニコニコとアイリスが付け加えた。テネシーさんが必死に探したという珍しい食材がたった今、土に戻ったわけなのだけれど。忘れていた方が幸せかもしれない。
「アイリスさんも、ダラスさんに協力を?」
「はい。雇い主が病気でもないのに衰弱しているなんて言われたら、私の沽券に関わるのでー」
「そんなところに、ワシが泣きついたんじゃ。一人で亀がさばけんでのう。ヘンリエッタは度を越えた料理音痴じゃし、モーリーに言えば無茶するなと止められる。アイリスなら、血を見てもそんなに騒がん」
「責任とるたびに腰を抜かしてたら看護師なんてできませんよー」
看護師って、責任とる時に血を見るものだったかな。僕の聞き間違いかな。
誰とは言わないけれど、某看護師さんの過去にこれ以上踏み込んではいけない気がする。
一線を越えると、翌朝、釘が打ち付けられたバットか何かでフルスイング練習台にされた状態で発見されそうな予感がする。
「ヘンリエッタさんが料理音痴だなんて知らなかったなあ」
そう言えば、アイリスもダラスも悲しげに目を伏せた。
「サイモン様はヘンリエッタ様にぞっこん羅武なのです。そしてヘンリエッタ様もサイモン様の事を心から愛しております。しかし」
「愛が重いんじゃ……胃的に」
悲劇の、予感がした。
「ヘンリエッタ様は体の動かないサイモン様に代わって毎晩様々な晩餐会に行かれては珍レシピ、珍料理を集められ」
「爺様にも食べさせようと家で再現するんじゃ。爺様が体調を崩されてからは毎日のように手料理をふるまっちょる」
「今のところ、モーリーさんのおかげで即死には至っておりませんが」
「じゃが、時間の問題かもしれん。止めさせろといっても、爺様はこれでエエ言うて聞かんし。ヘンリエッタには悪意がないしで、もう見てられん」
交互に話す二人を見ながら、サイモンさんは缶詰工場の社長さんであると同時に、美食家で有名な人でもあったと思い出していた。そんな人でも美味しくないと有名な英国で生まれ育ってきたわけだし、少々塩加減が濃いとか、茹ですぎたとか、それくらいで体調を崩すとは思えない。僕の疑問は、無言だったにも関わらず相手に伝わっていた。
「不味いとか、不味くないとか。ワシらは味なんぞ気にせん。栄養と量さえあれば満足できる。じゃが、へンリエッタの料理は違う」
「はい、見た瞬間、口に入れた瞬間、生存本能が『これ以上舐めた真似しくさるとデラウェア湾に沈めるぞこのアマ』とファンキーかつヤンキーに告げるのです」
「アイリスさんは、もしかしてアメリカ出身なのかな」
「あっ、ダメです。ダメです。それ以上ダラス様の前で言うと、開放的なのと、閉鎖的なのはどっちがお好みですかって聞かなくちゃいけなくなりますー……骨が折れる意味で」
喉元にドスを突きつけられているかのような緊張感。久方ぶりにトマスが本気でアップを始めた緊迫感。ここでド派手にやりあった場合血を見るのは明らかなので、ハブとマングース対決はまた今度にしてほしいと願いながら考える。
「見た目極道性格純粋と、見た目純朴性格ヤンキーのカップルって、つり合い取れてていいですよね!」
「えへへー、次はないでーす」
そう。サイモン・トライフの死因が真実の愛ならば……それを止めても良いのだろうか?
いい感じのモノローグを流してみても、サイモン氏が不味いご飯で死出の支度をしているのは確かだった。これ事件かな!? ある意味殺人未遂事件なのは確かだけど、僕、もう帰っていいかな!?
「ところで変な事を聞くけれど、二人で夜中に海亀、さばいたりした?」
「あぁ、庭で練習した。あん時は大変じゃったなぁ。ヘンリエッタが起きてきてのう。怖がらせてしもうたんじゃ」
「しかしご安心を! 奥様とモーリーさんは、この私がスペシャルな演技力でしっかり誤魔化しましたんで!」
アイリスが胸を張っているけれど、実はまったく誤魔化せてない。
「亀の血を赤ワインに入れて飲むとエエと聞いて、毒見に、なぁ……」
「聞いた時は半信半疑でしたけど、精力みなぎるとても良いお味でしたー!」
生き生きツヤツヤしているアイリスの背後で、顔を赤くして顔を逸らすダラス。
深夜二人で精力剤飲んでやる事といえば一つしか思い浮かばない。お幸せに、と言うべきか。
言葉に窮していると、のっそりと勝手口から細長い顔の男性が顔を出した。
「お、おい。きき、君が今日の料理人か。社長から話は聞いたよ。水差しを持っていきたいのだが、準備は出来ているかね。まだなら、後で取りにくるが」
「もちろん」
血色の悪い男性だった。バグショー(元)署長を、一回りサイズダウンしたような陰鬱な顔で、葬儀屋のような上下黒のスーツを着込んでいた。きっちりと油で固めた黒髪の中には少なくない白髪が混じっている。サイモン・トライフには食事中、水で口をゆすぐ癖があることを聞いていたので、陶器の水差しとコップを準備してある。酒を水代わりに飲むのが普通の食卓で、僕の他にも水を飲む人間がいたことを嬉しく思っていた。
「おじき」
「だ、ダラスか。今日は、き、君も昼食会に呼ばれたのか?」
「いや、呼ばれてはいないんじゃ。偶然通りかかっただけで……」
「そういうことにしておこう。わ、私から社長に伝えておくから、昼食会に来たらいい。社長も喜ぶだろう。ア、アイリス嬢も、ダラスともっと話したいのだろう?」
そう言って、ニタリと男は笑った。
ダラスがおじきと呼んだのなら、彼が秘書のテネシーなのか。見た目はやっぱり組の者なのだけれども、やっていることは気配りのできるおじさんだ。
「そそ、それじゃ私はこれで。社長を待たせているのでね。ヒヒ」
テネシーはくるりと方向転換して、背を向ける。ひどい猫背だった。
「あぁ、そうだ。料理人さん」
「ひっ」
いなくなったと思ったテネシーの声が聞こえてギクリと固まる。蛇のようにギラギラした目が勝手口から覗いていた。
「食事を、たた、楽しみにしているよ。ヒヒ」
そう言い残してテネシーの顔がすうっと勝手口の中に吸い込まれて行く。庭に取り残されたダラスとアイリス。そして僕の三人はお互いに視線を交わし合った。
「お前、料理人じゃったんか。知らん顔じゃなぁとは思っちょったんじゃが!」
「聞くタイミング逃しちゃってー」
二人は胸の前で十字をきると静かに目をつぶった。一切ぶれない二人の動きにも慣れてきたけれど、これは流石に驚く。
「今日の爺様の昼食がヘンリエッタの飯じゃないことに感謝いたします。今日を生き延びたこと、そして我らの命を救いしこの料理人に幸多からんことを」
「アーメン」
「大袈裟だし、初対面の、しかも家の中で銃ぶっぱなした料理人に対して信用寄せすぎじゃないかな!? お願いだからもっと警戒してね!! 危ないからね!?」
ここまで、ヘンリエッタ・トライフ、女中のモーリー、ダラス・トライフ、看護師のアイリス、テネシー・クレイグの五人に話を聞くことができた。
その結果、いくつかの謎が解けて、いくつかの謎が深まった。その内のいくつかは永遠に謎であってほしいと願う。
「サイモン・トライフの命を狙われているって発言、身内に対する心労で殺されそうって意味じゃないよね?」
まさか、そんな事でレイヴンに相談するなんてありえない、とは思う。けれどトライフ家の面々に会うにつれ、絶対にないとは言い切れなくなってきた。
「ここまで来たからには一応、爺様に挨拶しとかんとな。土産は次の機会にでも渡せばええ」
「ごめんなさい」
「気にするな。それじゃあ、運が良ければまた後でなぁ、料理人」
しゅんとするアイリスの肩を叩きながら、ダラスは笑って去っていった。彼らを見送った後、案の定一人分増えたと頷く。
「あ、トマト缶拾わないと」
物騒な缶切りたちを両手に持ちながら、僕は料理が終わった時よりも疲れた体を引きずって、台所に戻った。